地震への畏怖。

最近、周囲の人間との「地震へ対する恐怖の感覚の違い」を感じる出来事があった。


いつも通り大学の講義に出ていたら、冒頭で先生から、11:30頃から学内で避難訓練がある、との連絡があった。
昨年はほとんど学校に通えなかったし、一昨年より以前はそもそもオンライン授業が基本だったので、大学での避難訓練は初めてだった。

私は2011年の東日本大震災を千葉で経験しており、当時小学四年生だったことから、地震の恐怖をかなり理解している方だと思っているし、今でも緊急地震速報の音を聞くと動悸がする。また、高校までは千葉にいたので、当然同級生もほとんどが同じように震災を千葉で受けている。つまり、大学に来るまでは同年代の皆が「大震災は自分と関わりの浅い位置にあるものではない」という認識をしている環境で生きてきた。(各個人の地震へ対する不安感や恐怖の差異はあれど)

しかし大学はそうではなかった。
緊急地震速報が校内に鳴り響き、室内の全員が避難準備をしている最中、何人かの学生の話し声が聞こえた。
「俺、京都出身だからさ、東日本大震災とかあんま知らないんだよね〜」
「だってあの時まだ小2とかじゃなかった?記憶も薄いわ」
その時、はたと気づいた。
今、この周りにいる人たちはあの震災を経験していないのか、と。
あの緊急地震速報の音が、心をざわつかせる恐怖の警笛であることを知らないのか、と。

彼らにも地震の恐ろしさを知ってほしいとは思わない。ただ、根源的な、トラウマともいうべき地震への畏怖を感じている人間というのは、この場においてマイノリティであると認識させられた出来事だった。

余談ではあるが、追伸と記述するには長くなりそうなので、第二幕として。
東日本大震災当日の出来事の1つをこれから書き残そうと思う。

大きな揺れの後、私は小学校の校庭へ避難した。暫くは校庭で待機し、保護者の迎えが来た生徒から帰宅していく運びとなっていた。校庭に生徒、教師らが集合しているその間も大きな揺れは続き、校庭の中心に避難しているにもかかわらず校舎の窓が軋む音が響き、近くのマンションがこんにゃくのように歪んで、次の揺れで倒壊するのではないか、と戦慄したものだ。私は妹と一緒に、黙って座りながら保護者の迎えを待っていた。
泣き出してしまう生徒や落ち着かずに動き回ってしまう生徒がいる中、その時、近くにいた先生が放った一言が今でも忘れられない。

「地割れが起きたら危ないから近くにいなさい」

これは先生が本心から発した言葉なのかは分からない。動き回る生徒を諌めるために発した軽い冗談なのかもしれない。生徒を脅すつもりなど毛頭なかったのだろう。実際、今、私がこの言葉を聞いても以後10年以上心に刻まれるようなものになり得るとは思えない。
が、当時若干10歳の私にとって、それは不安と恐怖で破裂しそうな心に大きな波風を立てるような一言であった。
その時、私が脳内に浮かべた映像は今でも忘れない。馬鹿らしく思うかもしれないが、いわゆるアニメであるような地割れ(モーセの海割りのような)を想起し、足を取られ、その狭間へ吸い込まれ、奈落へ落ちていく、そんな様を脳内に描いた。そして、それが現実として起こり得ると思えるくらい、目の当たりにした揺れというものは「畏ろしい」ものであった。

揺れの感覚や当時の状況は記憶が薄れていくものも多い。だが、あの一言とそれによって自分の中に想起された死への道筋は、年端もいかぬ少年のスポンジのような心には、現在まで深く刻まれている。


久しぶりに書いたので、また文体とか書き口とかが変わってしまったような気がします。
本当はもっと頻繁にnote書きたいんだけどなぁ。

最後までご精読いただきありがとうございました。

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