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量子情報時代の国際関係論を考えるための「構成主義」入門


プーチンのウクライナ侵攻やトランプ政権誕生など、国際情勢の変化がもたらす世界へのインパクトが増大している。

この原因については、新自由主義的な世界秩序の終焉(斎藤ジン著『世界秩序が変わるとき 新自由主義からのゲームチェンジ (文春新書 1478)』)や、その原因ともなる『リベラルなリバイアサン』(ジョン・アイケンベリー)に例えられた冷戦後のアメリカ「帝国」の経済的一極優位の終焉と、それによる国際関係を通じた中国封じ込めのバランス・オブ・パワーの重要性の高まり(エルブリッジ・コルビー著『アジア・ファースト 新・アメリカの軍事戦略』)などが挙げられるが、いずれにせよ、国際関係学が再び重要性を増してきている時代であることは間違いないだろう。

国際関係論における三つの潮流

そこで、国際関係論(IR)の教科書をあらためて学んでみると、以下の三つの大きな潮流があることがわかる。

  1. リアリズム(現実主義)

  2. リベラリズムあるいはイデアリズム(理想主義)

  3. コンストラクティビズム(構成主義)

前の2つが国際関係学における「古典力学」だとすれば、構成主義は「量子力学」に該当する。だから私は、これからの時代の国際関係を理解するにあたって、1と2からもたらされる歴史的な教訓を大切にしつつ、3番の理論的深化を通じてより本質的かつダイナミックな思考を行っていくことが重要だと考えている。

これは単なる比喩ではない。実際に、構成主義的国際関係学の代表格であるオハイオ州立大学教授のアレキサンダー・ウェント(Alexander Wendt)は、『Quantum Mind and Social Science: Unifying Physical and Social Ontology』(『量子意識と社会科学:物理的・社会的意味論の統合』)や、『Quantum International Relations: A Human Science for World Politics』(『量子国際関係論:国際政治のための人間科学』)の中で、「構成主義的国際関係学」と「量子力学」の類似性を繰り返し主張している。

では構成主義の何がそんなに「量子的」なのか。それを説明するために、「国際関係論における古典力学」としてのリアリズムとリベラリズムの歴史を紐解く必要がある。

「ニュートン力学」としての古典的リアリズムから、「相対論」としてのネオリアリズムへ

まず、リアリズムの歴史を振り返ると、古代ギリシアのペロポネソス戦争を分析したトゥキディデスに始まり、チェーザレ・ボルジアに狡猾な君主のあり方を説いた『君主論』のマキァベリを経て、『リヴァイアサン』のホッブズを通じて「万人の万人に対する闘争」としての社会理論にまで昇華された「古典的リアリズム」、そしてそれを国際関係に応用した『危機の20年』のEHカー、『国際政治』のモーゲンソーなどによる「近代リアリズム」がある。これらは全て、戦争の原因を「人間の邪悪な本性」に見出す。そして、アナーキーな国際関係という舞台の上で国家は生き残りを賭けて国益を追求するしかない、という弱肉強食の世界観を提示する。

この「古典的・近代的リアリズム」に対して、構造主義に影響を受けた1970年代のケネス・ウォルツは反旗を翻し、「ネオリアリズム」あるいは「構造主義リアリズム」を提唱する。ウォルツは、

「戦争の原因は『人間の邪悪な本性』なんかじゃなくて、『国際政治のアナーキーな構造』そのものなんじゃないの?」

と喝破した。この主張はセンセーションを巻き起こし、ジョン・ミアシャイマーやロバート・ギルピンをはじめとするネオリアリストの流派を生み出した。「70年代」といえば、世界中の人文学が「構造主義」一辺倒になった時代だから、その波が国際関係にも及んだと言って良いだろう。あるいは、物理学のレンズを通してみれば、国際関係論への「相対論」的視座の導入だったとも言えるかもしれない。アインシュタインが創始した相対論は、ガロアの群論の誕生を契機に生み出され、ブルバキによって体系化された「対称性の数学理論」をもとに構築された理論であり、「対称性という構造」が物理法則の上に君臨していることを宣言する理論だった。ここに見られる「構造至上主義」は国際関係論にも波及し、「アナーキーな構造」こそが国際関係の分析対象の「本質」としてみなされるようになった。

一方で、リベラリズムにも長い歴史がある。自由主義のJ・S・ミルや「恒久平和」を説いたカントを嚆矢として、第一次大戦後の国際協調を主導したウッドロー・ウィルソンの「理想主義」として具現化した。ところが第二次大戦の勃発によってその平和の夢は弾け飛び、ナチスの台頭を許したことで信用を失墜したリベラリズムは、「ソ連の封じ込め」を目的とする冷戦期のネオリアリズムに主導権を譲り渡すことになった。米ソの対立が核戦争の「熱戦」にならずに「冷戦」のままで終わったことは、ネオリアリズム的賢慮のおかげであるとも言われている。

ネオリアリズムの失墜と「量子論」としての構成主義の台頭

ところが、このネオリアリズムは、ソ連崩壊による冷戦のあっけない終結9.11に始まる「テロとの戦争(War on Terror)」の開始を予言できなかったことによって、その権威を動揺させることになる。

リアリズムは、「アナーキーな国際政治」というビリヤード盤の上を転がるビリヤードボールとしての「国民国家」(Nation states)をアクターとして本質視しすぎたがゆえに、NGOや多国籍企業、あるいはテロ組織などの非国家主体の影響を計算に入れることができず、その結果として時代の変化についていけなかった。

これを受け、「アナーキーな構造」以外の非国家主体も理論に取り込もうとする「ネオ古典的リアリズム」が提唱されたり、チャールズ・ケグリーを筆頭に国際協調の影響力を重視する「ネオリベラリズム」が勢いを増したりしたが、いずれも過去の理論の焼き直し感が否めない。

そこで登場したのが「構成主義」である。構成主義とは、アナーキーという構造や国民国家というアクターのいずれをも本質視することなく、それらの根源となる国家の「アイデンティティ」が社会的にいかに「構成」され、変化していくかにフォーカスを当てた理論体系である。

「構成主義」は多様な学問分野にまたがる考え方であり、20世紀前半に活躍した「現象学的社会学」の祖アルフレッド・シュッツにまで遡る思想だ。宗教社会学者のピーター・L・バーガーがその代表格とされるが、最近では『構成主義的情動理論』など、脳科学の知見と構成主義の視点を組み合わせて人間の情動の起源を分析した理論もあり、その展開は幅広い。

国際関係における構成主義の嚆矢となったのは、アレキサンダー・ウェントが1992年に上梓した論文『Anarchy is What States Make of It(「アナーキーは国家がそれをどう作るかで決まる」)』である。彼の主張は以下の2点に凝縮される。

  • 人間社会による構造は物理的な力ではなく共有されるアイデア(間主観)によって決定される

  • アクターのアイデンティティや選好は所与の条件ではなく共有されるアイデア(間主観)によって決定される

見てわかる通り、「間主観的」という言葉がキーワードである。

言うなれば、国民国家による国益追求という歴史的現実を客観的に捉えようとするリアリズムと、国際連盟や国際的な枠組条約による世界平和の実現というアイデアに固執する主観的「理想論」としてのリベラリズム(またの名を「イデアリズム=観念論」)の中道をいく「間主観的」な現実形成のメカニズムこそが、構成主義的国際関係論の分析対象である。

ここでは、新旧のリアリズムが追求する「リアリティ」とは、本質的実体や不変的構造を持つものではなく、絶えず生成されるミクロの「アイデア」によって動的に変動していく「現象」(あるいは「幻想」)に過ぎず、その主体である国民国家のアイデンティティすらも、その「現象」「幻想」の一部に過ぎない。この考え方が量子論の根本的な物理世界の認識と共通していることは明白だろう。なお、動的平衡の現象を分析する「カオス理論」の進展や情報科学の進歩も、量子論と同時にこの構成主義的思想トレンドの背後に働いている科学的パラダイムであることは、今後の理論展開を占う意味での「補助線」として重要な意味を持つだろう。

「思想」の力の分析理論としての、「ディスクール(言説)のポリティクス」

では、ミクロな「アイデア」による現実形成において重要な役割を担うものは何かというと、それは「ディスクール」(言説)、つまり多種多様なメディアによって媒介される「言論」である。X(元Twitter)を買収したイーロン・マスクが2024年の米大統領戦におけるトランプの勝利にもたらした影響を考えるだけでも、その影響力の大きさは見て取れる。

他にも、一見些細なものに見える「ネーミング」の力は、ビジネスのみならず国際関係においても大きな影響力を持っている。

例えば「BRICs」という言葉は、元々2001年に証券会社のゴールドマン・サックスの証券マンだったジム・オニール氏がブラジル、ロシア、インド、中国の総称として投資家向けレポートにおいて初めて使用した言葉だが、そのネーミング効果も手伝ってこれらの新興国に投資が集中し、その結果としてロシアを中心とする「反米同盟」のような様相を一時的に呈するような状況すらも出現した。このように、一証券マンが作り出したキャッチーなネーミングが、国際政治における地殻変動の引き金となる現象も起きている。もちろんそのネーミングがなくても結果的に同じようなことは起きていたと十分に考えられるが、触媒として果たした一定の寄与度は認められるべきだろう。

このような「言説による現実形成の分析」は、近代においてはマルクス主義にその端を発するというのが通説である。そもそものマルクスは一人の人間の思想の力によって世界中で革命を引き起こした。その事実を見るにつけても、「思想」=「アイデア」の力は侮るべきではないだろう。

その後、アントニオ・グラムシが文化的影響力を追求するその方向性を先鋭化させる。グラムシは20世紀前半のイタリアに生きた共産主義者としてムッソリーニに投獄され、獄中である種の「ソフト・パワー」による共産主義革命を企図し、その過程で批判的言説分析の理論を構築した。その流れに「知と権力」の関係を分析したフーコーの知識論も位置付けられるだろう。

彼らの理論によれば、「権力」は軍事力や経済力のような目にみえる「ハード・パワー」だけでなく、ポップソングや流行文学のような目に見えない「ソフト・パワー」として社会のあらゆる領域に浸透している。

このレンズでもって例えば日本の「万葉集」を見ることも可能である。通常、あからさまなソフト・パワー的権力行使を通じて天皇中心の歴史観を打ち立てた『日本書紀』は槍玉に挙げられることが多いが、日本の古典文学が大好きなイギリス人研究者トークィル・ダシー の『万葉集と帝国的想像』によれば、庶民の自然な文学的想像によって民主的に編まれたとされる『万葉集』においてこそ、「帝国的想像」としての中央集権的権力が「帝国の臣民」として自らを位置付ける「一人称」の形で顕現しているとされる。この意見に100%賛同することはないにせよ、真実の一面を突いていることは間違い無いだろう。つまり、構成主義的に作用する権力にはミクロ的には国民一人一人の、マクロ的には国家全体の、「アイデンティティ」を形作る作用があるということだ。

他にも、あらゆる文学や映画は、一つ一つのミクロな「アイデア」によって構成される人類の「集合無意識」が見る「集合夢」のようなものだと言って良いだろう。例えばスター・ウォーズがベトナム戦争の比喩だったように、SF映画は現実の鏡である。この点については、以下の記事で解説したので、興味のある方は覗いていってほしい。

構成主義と共鳴する仏教における「空」の思想

このような構成主義的な世界の捉え方は、仏教における「空」の思想に通じるものがある。「空」の思想によれば、事物は固定された、変わらない「本質」を持っておらず(この一言でリアリズムとリベラリズム双方を薙ぎ倒す)、一切は縁起によって成立している(構成主義)。

「思想が時代を作るのか、時代が思想を作るのか」。その二律背反を、一切は「縁起」の網の目によって進行すると捉える空の思想は軽々と乗り越えていく。

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