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科学を装った性悪説、多すぎませんか?

「人間はサルから進化した」、
という言説を耳にするたびに、不要な残響が伴います。
「だから人間は所詮サルみたいに凶暴で、利己的で、乱交を愛する卑小な動物に過ぎないのだ」というニュアンスです。
ですが、これは科学を装った性悪説にすぎません。
そもそもサルに失礼です。

サルにも種類があります。チンパンジーとゴリラでは、家族構造、社会構造からまったく異なります。ゴリラは一般的に抱かれる凶暴なイメージと反して平和を愛する生き物であり、お互いに顔を突き合わせて意思を伝えあうこともあれば、檻の中に落ちてしまった少年を救い上げる親切心を見せる場面も観察されています。

ルソーの「人間不平等起源論」では、人間が社会を生み出したとたんに不平等が出現し、ホッブズの「リヴァイアサン」では、万人の万人に対する闘争が人間の本来の姿だと説きます。しかし実際には、人間以前の類人猿にも立派な「社会」があることは近年証明されていますし、ホッブズ流の性悪説の証明と思われた「殺し合う類人猿の化石」も、解釈に間違いがあったことが判明しています。

つまり、サルから進化した、というのは、性悪説の根拠にはなりえないのです。

そもそもの進化論自体も、性悪説に利用されがちです。
「地球上のありとあらゆる生命は、自分の種の勢力を拡大するための熾烈な殺し合いを展開しているのだ」
という、ダーウィンの自然淘汰の原理がその原因でしょう。

しかし、進化の原因を自然淘汰のみに求める考え方は一つの仮説にすぎず、無数の代替案が存在しています。
その一つが「棲み分け」による共存を目指したことによる進化を説明する、「今西進化論」です。日本の霊長類学の祖である今西錦司が唱えたこの進化論によると、動物たちはお互いの環世界を持ち、それに適した生活を送って棲み分けることを目指して進化を進めたということです。実際、ダーウィンの進化論では、種の中のマイナーチェンジの説明はうまくできますが、大きな枠組みの違いは説明できないという困難を抱えており、その点を今西進化論はうまく説明できるようです。

つまり、利己的な生存欲求に基づく殺し合いが生命の本質であるとする性悪説も、ピントが外れているということです。

こういう内容が、元京大総長のゴリラ研究者・山極寿一氏の「共感革命」に書かれています。
私はこの方の本が大好きなのですが、なぜ好きか、ということが改めてわかりました。
それは、この山極氏が、徹頭徹尾、人間というものを愛している科学者だからです。
この方の思想の根をたぐってみると、師匠の師匠が先ほどの「今西進化論」の今西錦司、そして彼に影響を与えた哲学者・西田幾多郎にたどり着きます。
人間の本質は「統一」を求める志向性にあるとし、西洋的な分析的な知とは対極に位置する西田幾多郎の思想が、根本に流れているのです。

人間の本質を悪と見なすのか、善と見なすのかは、人種や宗教の別を問わず、人間の生き方や文明の方向性に大きな違いを生みます。性悪説の韓非やマキャヴェリも役に立つときはありますが、あくまで人間存在への根本的な信頼があったうえでの使用が前提です。生命全般への愛や信頼を持たない思想に触れると、背筋に寒気がするのは私だけではないでしょう。
しかし世の中にはあたかも、性悪説をもって科学を自称する疑似科学が溢れているように感じます。

最後に、サルから進化した人間は卑小な存在だろうか、という点について考えてみたいと思います。

「サピエンス全史」のユヴァル・ノア・ハラリ流に言うと、言語を使い始めた「認知革命」によって、類人猿が人間に進化したことになりますが、山極氏によると、認知革命の前に「共感革命」があったはずだ、とのことだそうです。
人間は、共感能力が爆発的に高まる、「共感革命」によって、社会的な交流を密にし、その関わり合いを通して言語が生まれていった、というのです。認知革命が、「言語→宗教」という順番を仮定しているのに対し、「共感革命」においては、宗教と言語が一体となって生まれている点が特徴です。

この点で思い出すのは、サイケデリクス革命の先導者テレンス・マッケナの「ストーンド・エイプ仮説」です。マッケナは、人類の祖先が牛の糞に生えたキノコを食べて神秘体験をしたことにより、脳容量の拡大と言語の誕生を伴う認知革命が引き起こされたと考えました。マッケナの描く神秘体験は、大宇宙と一体となるような共感力の洪水であり、山極氏の「共感革命」のイメージと共鳴しています。

こう考えると、サルから進化した人間の卑小性はどこかへ飛んでいきます。つまり、人間は動物であるサルから進化したかもしれないが、同時に時空間を超越した「共感」の世界へアクセスするカギを手に入れた瞬間に「人間」になったのかもしれないということです。

人間は凶暴でも卑小でもなく、平和を愛する偉大な魂を宿した存在である、ということが、どうやら科学的真実と矛盾しないことを知って、安心して今日も眠れそうです。

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