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カルペディエム

チンケな四列掛け夜行バスの窓側席に座り、この文章を書いている。さっきから不快でしょうがない。何故ならお腹とお尻がクソほど痛いからである。前日の晩あらかじめ睡眠時間を削っておけばバスの車中でスムーズに寝付けるのではないかという目論見は見事に外れ、昼頃から続く寝不足ゆえの腹痛に非人道的なほど座り心地の悪いバスの座席からの連続パンチが加わって俺はもう全身めちゃくちゃである。めちゃくちゃだよもう。おまけに暑いし息苦しい。あと今これスマホで書いてるんだけどフリック入力が面倒くさいし隣の席に明かりが漏れないよう上体を傾けるのも疲れる。トイレに立つのにいちいち隣の人に断りを入れないといけないのも実に面倒である。つくづく夜行バス――個人的には深夜バスという呼称の方が馴染み深いのでそう呼ぶことにするが、こんなものはおよそ人間の乗り物ではない。全てが最悪。何が悲しくてこんな拷問みたいな目に遭わねばならないのか。深夜バス、二度と乗りたくない。強いて一つだけ良い点を挙げるとすればシートのヘッドレストから頭を覆うように被さるカバーみたいなやつ(調べたらカノピーとか言うらしい)がなんかユニコーンガンダムのコクピットの全天周囲モニターみたいでカッコいいという所だろうか。まあそんなカッコいいコクピットの中で何をしているかと言えば暇潰しと入眠を兼ねてカスみたいなブログをダラダラ書いてるだけなので全然カッコよくも何ともない。深夜バス、最悪。だいたい到着時刻が朝の5時半ってどういうことやねん。朝の5時半に新宿のど真ん中に放り出されて一体何をせえっちゅうねん。ラーメン屋も立ち食いそば屋もひとっつも開いてないんじゃ。大概にしとけよ。もっと遅い時間に出発して昼頃に着くようにせえや。こちとらバイトが一時間延びたおかげで危うく乗り遅れるところだったんじゃ。許さん。深夜バス、二度と乗りたくない。しかし乗らざるを得ない。何故なら田舎住まいなので。もう勘弁してくれ。指が疲れてきた。肩も痛い。吐き気までしてきた。つらい。

今からおよそ半日後、水樹奈々さんのライブに参戦する。「NANA MIZUKI LIVE HOME 2022」。なんたらウイルスの影響で全公演がポシャった2020年の「LIVE RUNNER 2020」を経て、実に3年ぶりとなる真夏のライブツアーである。さいたまスーパーアリーナという何度見ても笑えるほど馬鹿デカい会場で、狂騒の坩堝と化した3万人のオタクに混じって恥も外聞もなく汗だくでペンライトを振り回し、声は出せないから心の中で、オタクのダミ声でコールを叫ぶ。カスアルバイターの分際でろくすっぽ就活もせず何を遊び呆けているのだ貴様は、という糾弾の声が予想されるが、生憎とその程度で己を省みるような殊勝な心持ちなど俺はとうの昔に捨てている。ただ純粋にワクワクしている。

水樹奈々という人物の魅力については、今さら俺如きに語れることなど誇張抜きに一つも存在しないので、特に語らない。マジですげえ人ですよ、以外に言うべきことは無い。ただ、彼女のファンをやり始めてからかれこれ10年以上を過ごした我が身を顧みてみると、色々思うところがあったりなかったりする。

何かに出逢うと、それと同時に、それを知らなかったという空白の時間が過去に遡及して発生する。俺が初めて水樹奈々さんのライブに参加したのは2013年のLIVE CIRCUSツアーの岩手公演だが、どうせならその前年、2012年のLIVE UNIONツアーの青森公演に参加しとけばよかったなぁ~、とか思ったりしている。愛着なんか無いとはいえ一応は故郷だから、一生に一度の初めてのライブを地元で迎えることが出来ていればそれはそれなりに素敵な想い出となっていただろう。でもそうはならなかった。当時の俺は今に輪をかけて世間知らずの小童でしかなく、ライブに参加するという発想自体がそもそもなかった。端的に、心細かったのだ。あんなオタク達が熱狂する恐ろしい空間に一人で足を踏み入れればたちどころにボコボコにされてボロ雑巾のようになって投げ出されてしまうだろうとさえ思い、不安から尻込みしてしまった。そのさらに前年の東京ドーム公演や、さらにさらに前の西武ドーム公演だとか、他にも色々、不安や弱気や怠惰から逸してしまった機会のことをずっと考えている。ライブ会場にいると何となく、変に浮わついたような、全身の高揚に反比例して芯の部分が冷えていくような疎外感をいつも感じてしまうのはそのためだ。周りの全員が百戦錬磨の古強者に見え、彼らに囲まれた自分がへっぴり腰の弱卒のように思えて情けなくなる。ある程度の場数を重ねた今でもその思いは変わらない。どころかそれはより強さを増している。より多くを知って経験するほど、自分が如何に何も知らないか、如何に経験が足りないかを思い知らされる。自分がどれだけ多くの可能性を取りこぼしてきたか、その先にある途方もない空漠の広さを。いつになっても慣れない感覚だ。過去のライブに参加することは永久にできないのに、あるいはだからこそ、不毛な悔恨を自分の中から拭い去ることがどうしてもできない。もっと早く出逢いたかった。もっと早く知っておきたかった。あの流れを肌で感じていたかった。何につけてもそういうことばかりだ。

けれど最近になってようやく、本当にようやく、「別にそれでよくね?」と思えるようになってきた。いや、よくはないけど、でもそれはきっと自然なことだし、仕方のないことだ。後悔が永遠に消えないのなら、それを薪代わりに燃やす炎だってそう簡単には消えないだろう。まさにETERNAL BLAZEである(?)。月並みな慰めだが、そう思うしかない。今までのライブに行けなかった分、これからのライブ全部行ったるぞ~、と意気込むだけの根性。必要なのはそれだ。それ以外に、後悔にまみれた人生をマシにする手段は無いのだ。まあ現実に全部のライブに行くとなるとめっちゃ金かかるから普通に無理なんだけど、そこはほら、リップサービスというやつですよ。ね。

人生は一度きりなのだから、全ての選択は必然として肯定される。仮にそうじゃなかったとしても俺はそう断言する。あの時、あの公演に参加できなかったことで俺はきっと得られたかもしれない何かを取りこぼしたが、その代わりに、参加できなかったからこそ得られたものが、あるいはこれから得るものがきっとある。必ずある。あるったらある。それはたとえば疎外感や後悔などといった醜く湿った類の感情かもしれないが、それをこれからの人生において何かしらの原動力に換えてやろうとすることが俺にはできる。自分の願いに望ましい形の区切りを付けられなかったからこそ、その断絶の先にある無限の空白に思いを馳せることができる。ただ己の無知と無精だけで作られた、惨めな悔恨に縁取られた到底埋めようのない欠落を、可能性などと言い換えて自分を騙くらかすことができる。そんなものなど無かったとしても、そう思うしかない。そうやってのたうち回りながら、人間は可能性と不可能性の境界に己の輪郭を浮き彫りにしていく。それくらいの厚かましさというものが、生きるためにはきっと必要なのだ。

とかなんとか、半分寝ながら書いてたら訳のわからない内容になってしまった。少しだが眠ることができたので、この文章にも書いた甲斐があったのだろうか。とにかく、今からおよそ半日後、俺は水樹奈々さんのライブに参戦する。開演前に俺は多少、飲酒をするだろう。気分を盛り上げるためにだ。具体的には半分飲んだポカリスエットのボトルに焼酎を入れ、周囲の目も憚らず会場内で堂々と飲むだろう。そうするとライブの時ありえんくらいブチ上がるのだ。酒を飲むとおしっこが近くなるので、それだけが心配である。



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