卒業と社会人と
こんなに「勉強した感」を感じるのはいつぶりだろうか。
頭に心地よい負荷がかかり、脳内に新しい(もしくは久しぶりの)情報が注ぎ込まれる。2,3回と同じ問いを繰り返し、定着を促す。
こんな書き方をすると大層な資格勉強でもしているのかと思われるかもしれないが、何の変哲もないTOEICの英語を勉強しているだけだ。それも、あと2週間もない研修中のテストに向けて。
それほどまでに、自分の大学生活は堕落し、楽な方向へ直走っていたのか?
大学生ほど、ヌルッとした気分で卒業したことはなかった。小学校も、中高一貫だった中学も、高校も、浪人も。何か緊張した線がパッとほぐれるような、刺激の入れ替わりがあったように感じる。
それに比べると、大学生活というものはまるで氷を電子レンジで温めたかのように一瞬で溶けて終わってしまった。それは、コロナが世界を変えたことや、卒論を書かずして卒業した自分自身の怠惰という要素に起因するのかもしれないが、大学を卒業した実感がここまでないとは思わなかった。
そして、4月1日を迎える。今まではエイプリルフール、あるいはサークルの新歓が始まる日くらいとしか認識していなかった日常的な一日が、社会という砂漠に投げ出される一歩目になった。その一日は、ちっぽけな都内の賃貸住宅で始まり、そのまま終わった。外を見ればスーツ姿の新社会人がマスクを入念にして練り歩いているであろう日に、1分たりとも外出せずに、モニターの前に座っていた。それはまたコロナが世界を変えたことに起因する。(自分の怠惰ではなかったと信じている)
何もかもが出遅れてしまったのだと思った。
話を聞けば他の入社同期たちは様々なことに打ち込んできたらしい。インスタに延々と自作動画を上げ続けてきた凝った男もいれば、もはやその様相からよさこいサークルをまとめていたと言わしめんばかりの強気な関西弁の女の子もいる。(例としては一般的すぎるが)
さて、それに比べ、自分は何を求めて大学の4年間を過ごしたのであろうか?
森見登美彦『四畳半神話体系』にて、樋口師匠はかく語りき。
我々の大半の苦悩は、あり得べき別の人生を夢想することから始まる。自分の可能性という当てにならないものに望みを託すことが諸悪の根源だ。今ここにある君以外、ほかの何者にもなれない自分を認めなくてはいけない。
大半の苦悩は別の人生を夢想することから始まる。全く持ってその通りである。自分の可能性を過大評価し、何者かになろうとしてしまう自分の弱さには再三釘を刺さねばならない。
しかし、自分の可能性を最大限に広げようとしなかったのは誰か?紛れもない自分自身である。目標を高く掲げねば高い位置には届かぬ。私立大学を目指しては東大には入れないのだ。
今の自分の現在地を省みるに、目標は低かった、あるいは存在さえしていなかったのかもしれない。社会に出るというのに、社会のことをまるで理解しておらず、物事を表面的な層でしか捉えられない。人真似で深い考察など試みるも、それもまた頓珍漢なものである。所詮は大学を就職予備校として用いた人間であるだけなのかもしれないが、それでも自分の現時点で不可能であることの未熟さは計り知れない。
社会に出るに向けて、職を選んだ。まだ選べる立場にあったことには環境に感謝しなければならない。その職では、どうやら「面白い」があると良いらしい。自分にはその可能性があると思っていた節があったが、それは社会の洗礼を受けていただろうか?
否、おそらくほとんど受けていない。勝手に面白いと思っていた脳内は他人の「おもしろいレベル」に比べてだいぶ低かったのかもしれない。自分のアイデアは自分で考えるしかない。面白いを求めても、他のモノの二番煎じを紹介するにとどまっている自分に気がついた。何者でもないのにいつの間にか何かを批評する立場に落ち着いてしまい、自分では何も生み出せないまま大きく育ってしまった。
所詮は視野が狭く浅い人間であるがため、大きな目標など建てられなかった。人の目を恐れ、何かをすることに常に躊躇が付き纏っていた。「面白い」を他人に見せて否定されることが怖かった。結局大学生活の可能性などそんなものでしかなかったのだと思う。継続したのは週2の野球と一年の夏から始めたパズドラくらいだったし、「意識高い系」をやろうとしても2週間が限界だった。こんな大学生なんていくらでもいるだろうし、この文章も似たようなものが既に世の中に出回っているのだろう。
この現状をしっかりと認知し、地に足つけてこれからの40年間、一歩一歩丁寧に、早歩きで進んで行こうと思う4月病の頭と共に、心が取り残されぬよう働いていきたい。これは新年度の抱負なのかもしれない。
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