ブラジルでの父の軌跡を辿って、自分探し(1)
プロローグ
僕が生まれる前に父は7年もブラジルに住んでいた。そのことは少なからず、自分の人生に影響を与えている。ブラジルに生息しているルリコンゴウインコを、僕が生まれる前から自宅で飼っていて、僕はそいつに指を幼少期に噛まれて今でも右人差し指は少し変形している。ブラジルの写真に憧れたり、それでカメラ好きになったり。そして、大学受験に失敗した時に、父から留学を勧められて、何となく、前例があるというような思いにもなり心持ちしっくりきて、留学に踏み切った。僕が渡米してから7年経った頃、7年は経ったけど、父はその7年間一度も日本に帰っていないのに対して、自分は数回帰国していたので、もう少しいないと父は超えられない、なんていう意味のない対抗心のような思いすらあった。それで、米国には結局10年ほどいた。それでも、アメリカ人と結婚できたら永住する覚悟はあったが、駄目なら、いつかは日本に帰るのだろうという思いがあった。それは父も結局は帰ってきたので、自分も永住という風にはならないだろうという想定が自分の中にはあったのかもしれない。
そんな影響を与えたブラジルにいつかは行ってみたいと子供の頃から思っていたが、事情を調べれば調べるほど、それが如何に遠くて、そう簡単に行ける所ではないことがわかってくる。それに、アメリカにいた頃は、旅行というものにはあまり価値を置いていなかった。旅行に重きを置くようになったのは結婚してからだ。それでも、ブラジルは遠かった。調べてみれば、相当治安も良くない。それで海外旅行の相談をしてもブラジルはなかなか案として上がっていなかった。でも今年(2018年)は少し事情が違った。妻が仕事を変えて、しばらく長期休暇が取れない状況だった。そこで一人旅という選択肢が浮かんできて、ふつふつとブラジルへの夢が広がっていった。どうせ、一人で旅するなら、僕個人に意味のある旅、そう、昔からの憧れであったブラジルへ自分探しの旅に出よう、と心が決まっていった。
準備
まずは父にとってのブラジルというものを調べた。彼の古いアルバムをあさって、彼の行った場所を検索し特定した。当時の写真と現在の様子を並べたり、背景を調べたりして、彼のブラジルというものを想像して、限られた時間と都合で行けそうな場所を特定していった。それは86ページにも及ぶ記録(父のブラジル)となった。
長い間、ブラジルへの旅を躊躇したのは、その旅路の長さだ。自分は閉所恐怖症気味であり、狭い機内で長時間過ごすことを嫌う。そして、ほぼ決して眠ることができない体質だ。帰り道はアマゾンの奥地から、50時間の旅路が待っている。そこで少しでも快適に過ごすために、様々なグッズの用意。防音機器、安眠枕、立体的なアイマスク等。いろいろ探して最低限のものを購入した。
また治安が悪いところと聞いていたので、その事情をいろいろ調べた。妻から与えられ任務はただ一つ、生きて帰ってくること。これを念頭に、危険なエリアには行かないこと、無理はしないこと、を重点に旅のコースを練った。だけど、観光地でもない田舎町に行くには、レンタカーは必須だと思った。道路状況をイメージするために、車で通るはずの場所は何度もGoogle Map、ストリートビューでシミュレーションをした。これは大きな助けとなった。現地で運転している時に、何度か見た景色であったので、運転しやすかった。迷いそうな場所もそのイメージトレーニングのおかげでずいぶん助かった。駐車場の目星もつけて行った。
主な宿泊場所は決めておいたが、柔軟性の必要なところでは現地で予約することにした。そのためにもポケットWIFIが必須だった。現地調達についていろいろ調べたが、うまく行かない可能性もあると思いやはり日本で用意して行った。英語がほとんど通用しない国と聞いていたので、翻訳アプリとかの準備もした。ヘアカット、歯医者も行っておいた。旅のための買い物は最低限にしたかったが、カメラとその他のものを十分入れられるバックパックは新調した。