五反野考

 地元の商店街が五反野を盛り上げるキャンペーンを始めるということなので、五反野利用者としていろいろとよしなしごとを考えてみた。なおこの記事は有料ですが最後まで無料で読むことが出来ます。お気に召していただいたらご支援をお願いします。

誰?

 宮崎誠弥(みやざきまさや)。1971年9月10日生まれ。FM富士の局アナから放送業界にハマり、その後都内いくつかのコミュニティ放送を立ち上げ、スタッフとしても参加。足立区のコミュニティ放送を作ろうと2010年(実際にはもっと前)から活動していたものの、最後のツメでまさかの「足立区には災害時を含めてFM放送は不要」という区長NG(と、当時の足立区某課長がいっていた)を食らって頓挫。(でもなぜかその翌年、足立区は災害用FM送信機を買って、一昨年年末には電波まで出している・・・何を考えてるのかさっぱりわからん。これはまたいずれ)
 並行してOffice Stray Catという個人事務所を立ち上げ、フリーランスでラジオ番組制作、音響制作やITコンサルなんかをしつつ、ほそぼそと活動中。五反野駅前に配信用スタジオ「ごたんのスタジオ」を2017年から運営中。ネット配信チャンネル「足立区民放送」を運営中。

参考:足立区民放送(ニコ生YouTube

私と五反野

 私は青井6丁目で生まれ、あちこち点々としていたが去年までの15年近く、やはり青井6丁目に住んでいた。最寄り駅は五反野(微妙に青井駅のほうがやや遠かった)。幼少期、母は北千住にある生命保険会社の外交員として勤務していたため、その保育室に預けられに行く途中、何度となく母の自転車に載せられて五反野駅前を通過していた。その後あちこち転居が続き、小学5年生の頃に神明南に転居してしまったため、五反野とは疎遠になった。
 そして、2000年初期に青井に転居した際、再度五反野民となったわけだけど、その時久しぶりに五反野を見た印象は「何も変わっていない・・・」であった。つまり、子供の頃に母親の自転車に載せられて走りすぎていたあのカオスな五反野の街が、数十年経った後も何も変わっていなかった(もちろん細部は変わっているが)。その後も色々ご縁があり、五反野周辺で仕事をさせて頂く機会も増え、2017年には「ごたんのスタジオ」を開設。東武線の通過音に悩まされつつも、ネット配信を皆さんに楽しんで頂くべくご提供中。2019年に今の場所(加賀廣さんの上)に移転するまえは、春光幼稚園の近所にあり、花火大会のときは土手への裏道として利用されていたため、スタジオの軒先に弊社グッズ「お前も足立区民にしてやろうか」Tシャツ(店頭価格2,500円)を飾っておくだけで飛ぶように売れたのはいい思い出。

本題:何もない??

 「なんにもねえよ五反野」(だっけ)のサイトからも投げたのだけど、五反野って何もないんじゃなくて色々ありすぎてカオスなのですよね実際。じゃ、なんで「なにもない」と思われているかというと、たぶん「何があるか知らない」人が殆どで、もっというと「五反野ってどこ?」がすべての原点かと。更に加えるなら、日本人独特の奥ゆかしさで、「いやあうちはなにもないですから」と、地元が卑屈になりすぎている感が正直なところ否めない。これは足立区全体に言えることだけど。
 だから、こういった情報をカオスのママ放置するのが問題といえば問題で、系統だてて発信していく必要がある。それも、区商連とか観光協会の力や金を当てにするのではなく(残念だが対外的に何かをしたいと思った場合、彼らは何の役にも立たない)、自分たちで何かを始めるのが重要。降って湧いた金と労力じゃ本気になれない。

情報発信の実例

 例えばうちがOffice Stray Catとしてお手伝いしている久喜市商工会という団体。もともとお付き合いしていたのは鷲宮商工会だったのだけど、鷲宮町が久喜市に合併することで「鷲宮の名前が消える」というアイデンティティに関わる危惧を抱えていた。しかし彼らの場合は「らき☆すた」というキラーコンテンツがあったため、運よく延命出来たと考えている。もちろんそれはネガティブないみではなく、あくまでポジティブに。
 らき☆すたの神通力があるうちは、じつに様々なメディアが「萌えおこしの成功例」として取材に訪れ、記事化された。
 ただしこれはあくまで外的要因に委ねた情報発信であり、自分たちでなんとかしているとは言い難い。その自分たちで情報発信を、という名目でウチが提案したのがネット配信とミニFM放送「ラジオ鷲宮」だった。2010年5月5日に初放送を実施し、その後現在にいたるまで久喜市商工会青年部(と広報委員会)の尽力によって事業継続している。もちろん、情報発信力としてはまだまだではあるものの、10年以上継続出来ているという事実は見逃せない。

「変人」の活躍

 鷲宮の例で言うなら、褒め言葉として「変人」が地元商店に多く存在していることがあげられる。変人とひとくくりでいうと元も子もないが、例えば「新しい物好き」「サブカルに明るい」「突き抜けたマニア」(ここでいうサブカルとかマニアはアニメやゲームを指しているものではない。とにかく全方向)等など。しかも、補助金やコンサルに頼ることなく「まずは自分たちでやってみる」という、地方の団体としては色んな意味において(いい意味で)頭のおかしいひとたちがたまたま集まっていたということも幸いしただろう。なにせ数百人を集めるイベントの司会をつとめ、あまつさえ全国的に人気のある声優と対等にトークを展開できてしまうほどの力量を持った和菓子屋の店主がいる。イベントの撮影用にドローンを自前で用意し、いつのまにか飛行許可を取得してくる地元選出の市議がいる。車の話題なら何時間でも話ができる蕎麦職人がいる。そして最近まで地元にある神社は「境内でのモデル撮影(コスプレを含む)」を許可しまくっていたという事実。私が個人的におもっていることは「鷲宮は変な人しかいない」。(一部誇張があります)

五反野はどうか

 じつは五反野も萌えおこしのきっかけが数年前に会った。伏見つかさ原作のライトノベル「エロマンガ先生」がアニメで放送された際、その第1話で早速五反野周辺が背景として登場する(作中では吾反野と表記されていた)。しかしこの街は内容を見ず、そのタイトルだけで無視を決め込んだ。「(エロマンガ先生の)存在は知っているけどあのタイトルじゃ協力できない」と踏んだのだそうだ。まあたしかにどストレートなタイトルではあるが、その実「ステップファミリー」としての兄妹愛が描かれている(一部)シリアスな作品でもある。おそらくガン無視した人たちは作品を1ページも読んでいないと思われる。
 ちょっと脱線したが、そんな背景があるのでおそらくこの街に萌えおこしは無理。そもそもアニメを自ら作るのもだいたいそういう作品は失敗していて、さいたま市が満を持してバックアップした上で制作された「浦和の調(うさぎ)ちゃん」は大爆死している。また「ご当地アイドルを・・」という意見も上がったようだが、ご当地ゆるキャラ・萌えキャラを含めてもうすでにかなりの周回遅れである感は否めない。
 じゃあどうするか、というと、やはり「ありのままの五反野」を粛々と発信し続けていくのがいいのではないかと思う。

五反野の売り

 私が思うに、五反野は「食文化の街」といって間違いないと思う。正直この街で食に困ったことは一度もない(あ、いまは閉店がみんな早くてそういう意味では困っているけど)。もちろん他にもいろんな産業がこの街にも息づいているが、「街を盛り上げる」という事を「人を呼び込んでお金を落とさせる」と定義した場合、やはり外から人を呼び込めるのは飲食であることは間違いないだろう。そしてエンタメ要素としてはパチンコ(これは賛否あるだろうが)、漫画喫茶、カラオケルームがあり、銭湯も本屋もまだ現存している。これだけ多くのものがありながら「なんにもねえよ五反野」はあまりにも自分たちを卑下しすぎている。「こんなものもあるよ五反野」としてどんどん情報発信していくべきではないかとおもっているんだけど、どうだろう。そのためには、

・変人を探しだす
・自分たちでなんとかする
・新しいものを積極的に取り入れる

 を、五反野らしさを持ってどうブレイクスルーさせるかが勝負になる気がしている。「歴史と伝統と文化」じゃもう誰もお金を落とさんと思うのですよ。

さいごに

 私が長年住んでいた「青井」という地名。そもそもこの辺り一帯は相当な荒れ地で、農業を営むには全く向いていなかったところ、先人たちが苦労して土地を改良し、ついには農業に適した土地に変貌させたという歴史がある。この功績から「精を出して耕された」土地から、それぞれの文字の旁(つくり)の部分をとって「青井」と名付け、もう一つの意味として、農業に欠かせない青空ときれいな水が絶えないように、とも思いを込められたと聞く。五反野はまさに情報的に「荒れ地」の状態で、これからどうやって情報を作物として扱うことができるようになるか。楽しみだし私もそれに参加したいと思っている。五反野民として。

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