『朗読劇 白昼夢の青写真 CASE-_ 誰が為のIHATOV』再演版鑑賞レポート
こんばんは。
毎日暑すぎてやってられないですね。
今回は表題通り、2024/8/3(土)に開催された『朗読劇 白昼夢の青写真 CASE-_ 誰が為のIHATOV』の鑑賞レポートになります。なお昼公演参加組です。
こちらはNSW/Steam/PCで展開されたビジュアルノベルゲーム『白昼夢の青写真』の続編にあたる物語を、キャストさんの生朗読劇で披露する、というものです。
昨年見逃したものを見られる喜びと、これまで舞台やミュージカルといった人の生芝居というものに触れる機会がなかったことによる未知の楽しみが合わさり、良い体験となりました。
ゲームのほうもしっかり感想残してるのでリンクまとめておきます。
まさかこの作品知らずにこの記事見てるとは思いませんが、やってなかったら最低限ゲームのほう予習なりしてからどうぞ。
こっから先はゲームネタバレは当然のこと、朗読劇もぼかしはしますが実質フルネタバレなのでご了承ください。
1年越しのリベンジ
この朗読劇は「再演版」とあるように2023年夏が初演。今年は1年ぶりの再公演。
その存在を知ったのは初演まわりが何もかもが終わった後。物語の続編、グッズにサントラが…とあってその時の後悔はなかなかのものでした。
それからはアンテナを伸ばすようにして、再演の実施決定と先行抽選開始の告知を受け取って応募。無事一次抽選でグッズ付きチケットを獲得。大事なイベントだけはチケット外さない運については自分を誉めてやろう。うん。
というわけで東京へは念入りに前日入りして当日に。
昨年別イベントで当日入りしようとしたら新幹線が台風に巻き込まれえらい目に遭いました。前日入り、大事。
公演前いろいろ
前日入りのおかげでちょうど物販開始10分前といういい感じの時間に会場に到着。具体的な時間の情報を得られないまま来ていたためラッキー。
物販も買って昼をこしらえて改めて会場へ。
山野ホール(代々木)はキャパ800程度のホールです。こじんまり感はありますがホール自体は割と居心地いい空間でした。
しかし作品の出自や2公演あることを考えてもほぼほぼ席が埋まっていたのは客層もいい感じなのかな、と思いました。女性もチラホラ見かけてほんのちょっと意外。
朗読劇感想編
朗読劇が約100分にライブ歌唱、休憩なしの幕が上がります。
舞台には上部にスクリーンがひとつ、そしてキャスト5名のイスとマイク。
それだけとシンプルな構成。
物語はスクリーンに映されたゲーム画面と新規アレンジを含めたBGMにキャストの演技が乗る形で進行しました。
UIやテキスト表示がないだけで、差分含めた立ち絵やCGに背景といったビジュアル、エフェクトに効果音といった演出は原作ゲームさながら。原作を知った上で朗読劇を観る層としてこれ以上なくわかりやすいものもないです。
下層-中層を繋ぐエレベータなど、初めて明らかになった背景もチラホラ。
『CASE-_ 誰が為のIHATOV』はゲーム本編で言うCASE-0と、「幸せなエピローグ」の間、どちらかというとかなりCASE-0よりの時系列に位置しています。
世凪の物語を語り継ぎだした海斗。その物語に影響を受けた人が―という物語。朗読劇を目撃した人向けの記事なので細かいストーリーは割愛。
生芝居の迫力、驚き続き
やはりなんといっても朗読劇なので、最大の魅力は声優さんの生演技。キャストさんが目の前で、演技されているだけで得難い体験です。
物語は出雲のセリフから始まりますが、三宅氏があの声を加工なしに出されている事実にまず驚愕したなど。
海斗の回想ラッシュで世凪との大事な記憶が蘇る場面では、浅川氏演じる世凪の幼年期→青年期の切り替えに震えました。あの当時の演技そのままに間を開けず切り替えられるって改めて凄い…
お二方は実に多くの役の演じ分けがあるので殊更すごさを実感。テンブリッジに流れるすもものシーンにおける演じ分けはお見事の一言。
そして怨敵のようで父で先生で…遊馬役の杉崎氏のお声は相変わらずたまらん。この朗読劇でも痺れるばかりでした。
期待と不安、新しい声のイメージ
汐凪役金城氏と海斗役福島氏は、朗読劇よりの参加。
汐凪(とモチーフ先の秋芳)は原作で喋らず、第三者の回想で台詞が1文あった程度なのでイメージを膨らませづらいのですが違和感なし。
飄々としてるしずぼらな印象もあるけど朗らかで憎めない…遊馬の回想から想像した人物そのままだったように思います。きっちり溶け込んでました。
やはり気になっていたのは海斗。本編で相当な発言量に加え主人公故心理描写もびっしり、個人的な事情で当時海斗のセリフやモノローグも喋りながら原作プレイしていたこともあって結構イメージが固まってたんですよね。さて新たに吹き込まれる声を受け入れられるだろうか。
結論から言ってピッタリ解釈一致。特に、激情に駆られ声荒げがちなとこ。
彼は怒りの段階分けが少なく、一度ライン越えたら一気に声を荒げて責め立てる印象があります。CASE-0青年編、世凪が中層から落ちた経験があることを知った際、中層の海斗宅で繰り広げられた問答が代表例。
声のなかったキャラに声が付くケースでは、頭に浮かべていたイメージとのズレが起き、聞く側も演者さん側もアジャストしていくことは往々にしてあると思っています。再演だったこともあるとは思いますが、汐凪も海斗もそういったズレは一切なかったです。すごくすんなり物語に集中できました。
誰の声もイメージを損なうどころかきっちり引き立っているだけでも満足ですが、これは朗読劇で生芝居。更なる魅力がありました。
生芝居だからこその力
朗読劇には事前収録された台詞はなく、ゲーム部分の回想を含めすべてが肉声。だからこそ、その時々、公演ごとの魅力があるのだと言われます。
私は1公演のみの参加でしたが、しかし生の芝居の強さはしっかり浴びることができました。
海斗と"凛"が想い出の花畑で決定的に対峙するシーンはその最たるもの。
本気の演技と演技がぶつかり合うさまを目の当たりにしました。
間の取り方、台詞の被せなどなど、ゲームという媒体では絶対に出来ないリアルタイムの芝居がそこでは繰り広げられました。
迫力に圧され、でも目を離せない。緊迫感に包まれずっと心臓バクバクしていたことを憶えています。今まさに、その場で感情をぶつけ合うからこそ成立している。これを目撃できたのは本当によい経験となりました。
「ある人物の演技の熱が、別の人物を吞み込むこともあれば刺激となり更なる熱を生み出す」という舞台の魅力をようやく体感出来たように思います。
特筆して印象に残っているのは、やっぱり"凛"の演技ですね。
偽りの世界を海斗が面と向かって糾弾するまでの"凛"は、凛であってどこか凛でない、不思議な声色を持っていました。当人ではないのでは?と感じさせるわずかな違和があったんです。タネが明かされた時はゾッとしましたね。
また、海斗の記憶を塗り替えようとする場面では幼少期の世凪の記憶が凛に置き換えられるところもまた、「幼少期の凛」の声色にスッとなっていくんですよね。どこか妖艶さを感じさせる目つきの変化と合わせ、ゾワッとしたことが強く印象に残っています。
ライブパートについて
朗読劇を追えて、Hinano氏によるライブパート3曲。
CASE-_のED『Out of Gray』、CASE-1のOP『クラムボン』、CASE-_のOP『Two Blanc』が披露されました。
新規2曲も各CASEの作り方を踏襲している印象がありつつ、終わってみたらやっぱり本編ネタバレ全開の歌詞、タイトルだったというのもお変わりなし。(OPはからっぽの自我である2人を指していた、とか)
今回も読後感としては複雑な部分もありましたのでしっとり歌い上げられていて染み入りましたね。
歌関連の情報を知った当初、本編の歌唱担当からシンガーが変わっていたのは何故だろう?と思ったものですが、これも終わっていれば(大人の事情?もあるかもですが)むしろ違う方が歌唱すること自体に意味があったのだとわかり、本当に色々納得させられるばかりです。
ストーリー感想戦
それではここからはストーリー面の感想を。
冒頭、出雲と遊馬のやり取りの後映し出されたのは、海斗と汐凪、祥子っぽい人、そして凛。それはありえなかったはずの取り合わせ。
生きているはずのない者、まして現実に生きた痕跡がないはずの人物まで居て驚きしかないスタート。意外性から入って掴みはバッチリでした。
コミカルな場面も投じられ、歪な形とはいえオリヴィアやすももたちの姿をもう一度見られたのは嬉しかったです…アレをすももといっていいのか
海斗の決断
偽りの生活をしつつ、歪んだ世界が生まれた理由とその首謀者を探って…やがて世凪の危機を前に海斗は選択を迫られ、ひとつの決断をします。
その終盤の流れから、遊馬と海斗の「似た生き方をしてきた」関係性にもう一度迫る物語だと感じました。既に演技の話で触れましたが、あの時の鬼気迫る海斗の叫びからは強い覚悟を受け取りました。
終盤、現実世界での遊馬と海斗の会話もとても印象深い。みんな、強くなれたのだろうか…
今回の首謀者について、まさか本編と一切かかわりのない人物が出てくるとは思わずミスリードしまくっておりました。
ただ言い換えれば仮想世界に入った誰でも、観客(仮想世界の住民)である我々の誰かが起こし得たって見方もできますから。
兆しを見せる物語
また、ゲーム本編で描かれなかった基礎欲求欠乏症根治の兆しが見えた、というのは世界観的に最も大きな事象でしょう。
一連の出来事の首謀者は、最終的に自ら生きたいと意思を持ち、その上でやるべきことを定めました。そして、生体側では基礎欲求欠乏症の改善の兆候―失くした自我の再発生が観測される。
これは海斗たちが行った「自分の役割を定める」ことと同義。「何がしたいのか」がハッキリしていることで、あの病から脱することが出来るのかもしれない。そんな希望が灯される幕引きになるとは思ってなかったので驚きました。
これにより、ゲーム本編で疑問に思っていた、「世凪を失った海斗が仮想世界を眺めるだけでなぜ五体満足のままだったのか?」という点にも自分なりの落としどころが見つけられました。
当時の彼は「世凪が作った世界を見届ける」という考えは持っていました。朗読劇で語られたことを踏まえると、生きる意志が希薄に見えても、役割が明確だったために自我を保ち続け得たのだと今になって理解できたのです。
一方で、改めて仮想空間の危うさも改めて見えた気もしました。
仮想空間での死が生体の死に繋がることが明確に示唆されたため、生きる目的が負の感情で構成されているなら、仮想空間でも事件は普通に起こり得るということに。
世凪が持つ人格と同一化する願望を持つだけで今回の事態が起きたことを考えると、この後も色々すったもんだしていくのだろうな…などと思ってしまいます。世凪が顕現するまで、どんなことが起こっていくのでしょうか。
そんな中、世凪との束の間の再会は本編エピローグ的には蛇足感が出てしまった気もしますが、総じてゲーム側の説得力も増し、あの世界に改めて希望が灯された、深い物語でした。
終わりに
たった2時間という短い時間ではありましたが、とてもいろんなものを吸収出来た気のする非日常でした。
また生芝居とか見てみるのもよさそう、そんなことを改めて思わされました。
物販も要所はしっかり押さえられたかな…?今過ごしてる場所に壁がないので飾る系は最近買えないのが悲しいところ。
ポストカードという名のCG集、そして台本でいくらでも朗読劇を追想出来るのは嬉しいですね。遊馬と海斗の会話の場面とかすきだったのですがそこらへんも欲しかったかな…なんて。
本編の感想からちょっとズレますが蛇足を一つ。
朗読劇で使われたCGはいくつか本編の立ち絵や構成部品をうまく使ってるのですが、どうしても印象に残ったのがコレ。
ティザーで1度、本編もエピローグで1度だけ使われた大事な1カットなんですが、朗読劇ではこれが割と連発されていたイメージ。(落涙差分もあったけど)
あまりにも使われたためにことあるごとに海斗が目を見開きまくる変なイメージがついてしまいました。今後またこのカットを見た時に真剣な面持ちでいられるのかしら…?と思っちゃうなど。
次のイベントはライブイベントだそうですね。
11月かあ…ちょーっと予算がきついのとそもそも予定被りになってそうなので断念になりそうです。悲しみ。
とはいえボーカル曲もいい曲ばかりですしファンとしては行く価値全然ありそうに思います。
オルゴールとチケット特典のエピローグは、旅路から帰ってきて、少し間が空いてから聴き、読みました。
すごく切なく、温かい気持ちになりました。
誰かの理想郷…イーハトーヴが描かれた、世凪を想う人の物語、たっぷり堪能できたと改めて思うことができました。
それでは今回はこの辺で。読んでいただきありがとうございました。