アクセサリーは伝えるための手段。いにしえの心を伝えるストーリーテラー R’s story 中村玄斗
八重山の貝を使ったアクセサリーを製作販売するR’s story(アールズストーリー)。店主の中村玄斗(なかむら げんと)さんに、お話を伺いました。
サンゴの海との出会い
「貝は最古のアクセサリーなんですよ」と、くしゃっと笑いながら話し始めた玄斗さん。瀬戸内海と日本海に挟まれた、山口県の生まれ。父は考古学者で、埋蔵文化財の発掘調査などをしていた。調査のために外国に行って1年帰って来ないのはざらだった。玄斗さんが小学校4年生のとき、久しぶりに帰ってきた父と過ごすのが嬉しくて、NHKの21時からのニュースを父の隣で見ていたことがあった。ニュースが終わるとハイビジョンの試験放送が始まった。美しい自然の風景が映し出され、クラシック音楽が流れているだけの画面。その日テレビに映し出されたのは、オーストラリアのグレートバリアリーフだった。美しいサンゴ礁と、色とりどりの魚たち。「こんな海があるの?」と感激する玄斗少年に、父は、日本だと沖縄にサンゴ礁の海があって、海の仕事には色々な種類があることを教えてくれた。それからずっと、海の仕事につくんだという夢を漠然と心に抱き続けていた。
高校を出て、石垣へ
高校2年生のとき、いざ進路を決めようということになったが、どうやったら海の仕事につけるのかわからなかった。大学に行って海洋学をやるのも、船舶の専門学校へ行くのもなんとなく違う。色々調べていると、2年間でダイビングインストラクターの資格が取れる専門学校が石垣島にあることを知った。これだ!と思った玄斗さんは、面接のために初めて石垣を訪れ、土地の匂い、温度、湿度などを体感してとてもわくわくしたという。面接には難なく合格し、小論文も父に厳しく添削してもらって一発合格。高校卒業までにアルバイトで資金を貯め、一路石垣へ渡った。
当時住んでいたのは真栄里。周りには海人が多かった。ある日、当時の彼女と公民館の敷地で手持ち花火をしていると、「ここは地域の人たちの場所だからここで花火をしてはいけないよ」と注意された。「やまとの人」と呼ばれたが、全然嫌な気はしなかったという。別の場所で花火をしていいところを教えてくれたし、土地のルールを教えてくれた。
専門学校生活は、厳しいトレーニングの日々だった。早朝の5キロマラソンから始まり、先生が来る前に船の横に整列して、出港しタンクなしで潜ってアンカーを降ろす。安全管理についてはとにかく徹底的に叩きこまれた。ダイビングのコースなのに、学校にはタンク置き場もシャワーもなかったので、先生がすべて手づくりしていたという。ないところに必要なものを自分でつくるという姿勢は、このとき学んだ。生活費を稼ぐため、トレーニングが終わると夕方から夜中まで居酒屋で働く。忙しくも充実した日々は、あっという間に過ぎていったが、あまりの厳しさに、最初15人だった同級生は、卒業時には8人まで減っていた。
ついにインストラクターに
某高級リゾートホテルの立ち上げに際し、レジャー担当として採用された玄斗さんは、ついにインストラクターの道を歩み始める。といっても、ゼロからの立ち上げだから、船の調達からすべて自分たちでやらなければならなかった。船を買う予算が下りず、アメリカから庭用のプールを安く買い付けて、改造して船をつくった。「ないところに必要なものを自分たちでつくる」精神が早速活きた。ホテルは無事にオープンして盛況を極めていたが、体験ダイビングを担当していた23歳のとき、事故が起きた。一度にゲスト2人の耳抜きをサポートしながら潜降させていく中、自分の耳抜きをしている暇はない。それを繰り返していたある日、潜降中に自分の内耳が破裂した。平衡感覚がなくなり、上も下も右も左もわからない。病院に運ばれて手術をしたが、過酷なリハビリ生活が待っていた。強い耳鳴りと頭痛が続き、歩くこともできず、仕事もできなくなった。医師や看護師のサポートでなんとかリハビリを重ね、まっすぐ歩けるようになったが、その頃にはインストラクター時代に少しずつ貯めた貯金も尽きていた。
アクセサリーづくりの道へ
貝の模様や形には意味がある。「螺旋で先が尖るもの」は悪いものを寄せ付けないとされる。真珠を育てる蝶貝は、悪いものから守ってくれる。上を向いて開いているシャコガイは、幸せを呼ぶという。八重山では昔から、きれいだからというよりも、お守りとして家に置かれたり身につけたりされてきた。
このように八重山の暮らしの中で重要な意味を持ってきた貝を使って、アクセサリーを作りたいと思ったが、やり方がわからない。事故後まともに仕事ができていなかったからまずは生活費を稼がないといけないし、マグロかトビウオの漁船で働かせてもらおうかと悩んでいた矢先、アクセサリー店を営む知り合いにばったり会い、店で雇ってもらうことになった。そんな偶然の縁から、アクセサリーの作り方や経営について実践を通して学んだ。その後、40歳を目前にしてオープンしたのがR’s storyだ。
R’s story に込められた意味
店にお客さんが入ってくると、とにかく話しかける。「波照間は星が本当にきれいだから、1泊はしたほうがいいよ」とか、「お父さんへのお土産は美崎牛のハンバーグにしたら?空港で買えるよ」とか、とにかくしゃべる。
「話しかけられるのが嫌なお客さんもいらっしゃいます。アクセサリーに意味なんて求めていない人もたくさんいる。だけど、そういう人でも美味しいものを食べたら少し八重山を好きになってくれるかもしれない。なんとかジュエリーとか、なんとかアクセサリーじゃなくてR’s storyって店の前に書いてあるでしょう。俺話するよ、って書いてあるんですよ」と、笑う。
玄斗さんにとって、アクセサリーは伝えるためのツールなのだ。芸術的に優れたものを作りたいというよりも、この島のことを伝えたい。高校を出て単身石垣に渡った玄斗さんに、地域の文化やルールを教えてくれたり、「お前痩せてるな、飯食ってけ」とごはんを食べさせてくれた、島の人たちに恩返しをしたい。
R’s storyの”R”には、①Roots(原点)、②Ryukyu(琉球)、③Renaissance(再生・復活)、④Romance(伝奇)、⑤Reality(実在)の5つの意味が込められている。
①Roots(原点):八重山の貝を使ったアクセサリーが日本最古のアクセサリーであり
②Ryukyu(琉球):この貝のアクセサリーと共に琉球の文化が日本、そして海外へも伝わっていった。
③Renaissance(再生・復活):こうして昔からつないできたものを現在に合った形でさらに継承していく。
④Romance(伝奇):先人から伝わってきた貝の意味などの物語。
⑤Reality(実在):それらを形にすること。
「どれをしゃべるというのではなく、全部しゃべらないと伝わらないから、R’s storyという屋号にこれらの意味を込めたんです」
少しでもマインドが変われば、世界は変わるはず
ゴミが落ちていたら拾う。船のアンカーは投げ入れないで生態系が傷つかないように人が潜って設置する。当たり前すぎて、特別なことは何もしていないという。
「人間は生きてるだけで大なり小なり環境に悪影響を及ぼしてますよね。車に乗って排気ガス出したりね。でも、山が元気で、川を通って海に植物の栄養が流れ出て、それが海を豊かにして、今度は海のミネラルが雨となって山に降り注ぐ。全部つながっているってことを知れば、少しマインドが変わって、日常の行動に影響すると思います」
すべて循環している。「ゴミをポイ捨てしたらシャコガイが死ぬかもしれない」と想像できるようになったら、きっと行動は変わる。
「今の小学生、かわいいですよ。道の側溝を指さして『これ、海につながってるんだよ!』とか言うんですよ。そういう言葉が出てくるということは、僕たちが今の環境を少しだけよくして、次の世代にバトンタッチすればちゃんと続いていくはず。大丈夫だなって思いますよ」
だから伝え続ける。玄斗さんは、アクセサリー作家というよりも、ストーリーテラーだ。いにしえからの言い伝え、模様や形に込められた意味を通して、この島の魅力を伝えていく。去り際にお客さんが「また来るからずっとお店続けてくださいね」と言う。きっと、島の魅力がしっかりと伝わったのだろう。
取材後記
とうとうと溢れ出る言葉たちは、伝えることが玄斗さんの使命だと思わせるくらいにとめどない。「八重山では米を作ったら争いが起きるとわかっていたからずっと稲作をしていなかった」とか、「ミンサー織の柄は、週末婚が普通だった時代に『足繫く私の元へ帰ってきてくださいね』という意味で、プロポーズへの回答に使われたもの」とか、面白すぎるお話をたくさん伺ったのですが、8割ぐらいここで紹介できていないことが悔しいです。ぜひ、直接お話を聞きに行ってみてくださいね。タイムトラベルみたいに過去に想いを馳せ、海と山に抱かれた八重山の変わらぬ魅力を知ることができるはずです。
Asumi
R’s story(アールズストーリー)
石垣市八島町1-7-5 サザンワールド1F 西
営業時間:9時~19時30分(夏季20:00) 定休日:不定休