逝く人の後悔と見送る人の後悔、感謝の祈りできっと双方が癒される。
わたしの趣味のひとつが空間づくり。お部屋のレイアウトを考えたり、ホームページのカスタマイズなどが大好物で、寝食を忘れ没頭するほどです。
インターネットでは、「サロン」「書斎」「おこもり」「秘密基地」などなどのキーワードで検索した画像をひたすら眺めては妄想をふくらませ、ニマニマしたり、自分の部屋に取り入れられそうなアイデアを発見すると真夜中でも突如模様替えをはじめたり、必要なアイテムの検索大会が繰り広げられます。
近頃は物件を紹介するサイトにも、工夫が凝らされている素敵なサイトがいくつもあって、そういったサイトをめぐることも楽しみのひとつです。
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空間づくりから話題はまったく逸れますが、ある物件サイトのスタッフさんの日常ブログを偶然拝読して、思うところがあったので引用させていただきながら記事を書くことにしました。
わたしの母は卵巣がんで、亡くなったのは49歳でした。
わたしは母の死に目に会えませんでしたが、最期までわたしのことを心配していたというではありませんか。
母に対する恨みつらみや指摘したかったこと、山ほどありますが、わたしたち家族をおいて逝くときの母の思いを、ノブよんさんが日記を通じて代弁してくださったような気がしました。
死んでからわかることって、きっと色々あると思うんです。自身の未熟さやら何やら色々。亡くなって20年以上も経ちましたから、色々な思いはとっくに昇華して、わたしの手が届かないような高いところで魂の研磨を続けていることだと信じています。
わたしはわたしで、母に対する怒りや後悔の感情を、100%とは行きませんが多く手放すことが出来つつあります。母と同じ病気に罹ってわかったこともたくさんあります。そして、怒りや憎しみなどのネガティブ感情は、もう今生を卒業した母にとっての妨げになるだけでなく、わたし自身が今生を生きる妨げにもなっていたのです。
そういったことすらも人生というシナリオの一部で、体験すべきことであったとは思いますが。
母も、ちっち(わたしの子供時代のニックネーム)に、あのときもっとこうしてあげれば……という思いを抱えながらこの世を去ったのであろうなあ。
わたしも、母に対してもっとこうしてあげれば良かったという後悔がある……。
「大丈夫、わかってくれてるよ、お母さんだもん」 って看護師さんが言ってくれました。
これからは後悔の念を手放し、感謝のエネルギーを母にたくさんプレゼントしたいです。ポジティブな念は、あの世で修行する人のサポートになり得えますから。
あやまちを繰り返すわたしたちですから、許せないという感情をときには抱きますが、それを越えてゆきたいとき、お相手の後悔を慮ることが助けとなるかも知れません。