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オカンの誤入力変換に思う「人を笑うより、笑われてでもがむしゃらにやっている人の方が強い。」
ブブ(スマホの振動音)。”LINEか”。
「携帯電話でバナナしました」
ブブ。”なんだ?”
「ごめん、打ち間違い。携帯電話でバナナしました」
??
あ、携帯電話で話しました、か。なんだよ、打ち間違いゆーて送ったらまた間違えてるし(笑)。
スマホの文字入力に慣れていない母のLINEは、時にこんな調子で暴走しています。
最近、アマゾンプライムで「関ケ原」を見ていた時に、上記のLINEがきました。
役者一人一人の演技は良かったのですが、強いて言えば早口過ぎて何を言っているのか聞き取りにくかった。一番気になったのはストーリーで、何というか思想性が感じられず心にガツンときませんでした……と、まあ、映画評についてはここでは置いておいて、私が言いたかったのは、石田三成が真剣な表情で書状に筆を入れてたシーンと、母のスマホ誤入力シーン(想像です)が、なぜか変に重なって見えてわらけてきました、ということ。きっと三成はこんな誤入力はしなかっただろうなとか謎の思いが浮かんできて(笑)。
まあ、全く次元が違うので重ねるなよ、という話なのですが、なんというか私は母の誤入力しても果敢に発信してくる姿勢に、三成の必死さと似たものを見たのです。いや、噓をつきました、ごめんなさい。でも「無双感」は感じたんです。
私は子どものころ、5円玉で何でもお菓子が買えると思い、両親の説得を聞かず、一人スーパーに繰り出したことがあります。結果は玉砕でした。
小学生のころ、給食の時間に血液型が話題にのぼり、「うちの母はC型なんだ!」と自信満々に言い切って先生含め皆に笑われた事がありました。
こういう記憶は、はっきり残ってます。溶解せず沈殿したままになります。すると、段々失敗するのが恥ずかしくなって慎重になる自分が出来上がります。
でもです。「すごい人」と一般的に言われる人たちに仕事でお会いした際、話を聞いてみると、皆一様に「失敗をおそれないで」と言うのです。たしかに彼らの人生をたどってみると、皆、「えいっ!」と勇気を出して挑戦したから道が開けたいう局面があります。だからそれが彼ら・彼女らの人生哲学になっているのでしょう。
今って、低コストで「トライ&エラー」できる時代です。このnoteだって、そういうチャンスのツールの一つにもなります。私はここで、慎重さで凝り固まった消極的な思考をほぐして、大胆さを身につけていきたいと思います。今、そう思いましたっ。
人を笑うより、笑われてでもがむしゃらにやっている人の方が強い。そういう人が最後は勝つ。おかんも勝つ、とりあえず何かに。そんなふうに思う今日この頃です。