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あの日見た馬の名前を僕たちはまだ知らない

先日、春とヒコーキのぐんぴぃさんがこんな記事を書いていました。

人生の最初の記憶について書かれた内容で、明確で写実的な描写とおぼろげな景色が混ざり合った、何とも言えないものでした。

さて、ぐんぴぃさんがこの記事を書いた後、Twitterで様々な人の記憶を募集していました。

なので、自分の人生の最初の記憶を書くことにしました。


ただ、僕の場合、人生の最初の記憶はごく一瞬が切り取られた断片的なものしか残っていません。


後から親に聞いた話では、

・幼稚園の入園式に飽きて途中で脱走し、一人で園庭の遊具で遊んでいた

・録画したF1中継を楽しそうに見ていた

などの逸話があるのですが、僕の中にある明確な最初の記憶は、この瞬間なのです。


晩秋の東京競馬場のスタンドの端っこで、ベビースターラーメンを食べていた。


この瞬間の記憶しかないのです。

夕暮れ迫る東京競馬場で、閑散としたスタンドの椅子に座り、ただただベビースターラーメンを食べている自分の記憶が明確に残っています。

その前後の記憶はバッサリと抜け落ちていて、なぜこの瞬間にここにいたのか、ピンとこないのです。


東京競馬場にいたのは、僕の父親が競馬好きであることから、僕を競馬場に連れて行ったと考えるのが自然でしょう。

ですが、僕が競馬に本格的に目覚めるのは小学4年生の秋のことで、当時は全く関心を示していませんでした。

そのため、ただただ暇な時間を埋めるために、渡されたベビースターラーメンを食べていたのだと思います。


しかし、この時の記憶が、父の説明と辻褄が合わないのです。


父はこの記憶に対して、

「レガシーワールドの勝ったジャパンカップの日に連れて行った」

と説明しているのですが、第2次競馬ブーム真っ只中のジャパンカップデーは相当な大混雑が予想され、子供とは言えどもそう簡単にスタンドに座ることなど出来なかったはずです。

また、僕の記憶だとスタンドは閑散としていて、とてもG1レース開催日のような熱気に包まれているとは思えませんでした。

さらに、レガシーワールドがジャパンカップを制したのは1993年のことであり、その時点ではすでにF1にハマっていて、レース中継のビデオを繰り返し見ていた記憶もあるため、この最初の記憶は少なくとも1992年以前のものであると確信しています。

余談ですが、もし観に行ったのがレガシーワールドの勝ったジャパンカップだとしたら、1番人気のコタシャーンに騎乗したケント・デザーモがゴール板を誤認する凡ミスで2着に敗れた事件があったため、観客はもっと騒然としていたはずなのですが、そんな印象は全くありません。


肌寒さと冬枯れした芝の色が明確なことから、晩秋の東京競馬場であることは間違いないのですが、果たしてそれがいつの日だったのかは判らずじまいなのです。

ベビースターラーメンにしても、子供の頃はよく食べていたものの、今ではほとんど手を付けておらず、もんじゃ焼きの具にするか、ジャンクガレッジのような二郎インスパイア系まぜそばのトッピングとして食べることがごくたまにある程度です。


つまり、僕の人生に強い影響を及ぼしたものは何一つありません。

にもかかわらず、この一瞬だけが僕の最初の記憶として脳内に残り続けています。

言うなれば、ディスククリーンアップやデフラグを行っても残ってしまうゴミファイルが、頭の中に存在する状態なのです。


案外、残ってる記憶ってそんなものなのかもしれません。

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