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木を見ずに森を見る
あっという間に夏が終わり、信越五岳トレイルランニングレース週になった。自分は110kmに出走予定。
トレイルランニングを知る前からなぜか知っていた石川弘樹さん。大学時代に、ノースリーブのウェア前面に、スポンサードされているブランドロゴを所狭しと貼り詰めて、トレイルをバックに爽やかな笑顔でこちらを見ている石川さんの写真を携帯の待ち受けに設定していたほど好きだ。(なぜ石川さんを知ったのか全く理由は思い出せないんだけど)
そんな石川さんの大会に出たくて、今年は奥三河と信越にエントリー。奥三河では念願叶って初めてお会いして、ゴール後には2人でお話しさせていただく時間もあった。忙しい中でもフィニッシャーを温かく出迎えてくれて、長々と話してくれる姿勢がやっぱりカッコよかった。
そんな自分にとって信越五岳トレイルランニングレースはもはや憧れと言っていい。まさか自分が出走できる日が来るとは思っていなかったし、いまだに実感が湧いていない。
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今年の調子
今年はとにかく安定している。なにせ全く怪我がない(あしラボのおかげ)。それに、モチベーションやメンタルが上下せず、まあまあな高さで常に中空飛行している。奥久慈から4ヶ月間、大きく調子を崩すこともなく、かといって激しく追い込みもせず、ぼちぼちな強度で淡々とトレーニングを続けてきた。
レースへのコンディショニングで言えばたぶん足りてない。なんて言ってたって直前のトレイル練で30kで吐いたくらいだ(胃腸炎明けだった)。勝負レースを前にして明らかな調整不足。というかピーキングをしていない。それでもネガティブな気持ちが一切無く、レースが楽しみで仕方がない。根拠はないんだけど、まあまあ良い走りができる気がする。そもそも、何事においても完璧な状態で勝負事を迎えられることなんてそうそう無くて、その時の手駒でどうやってベストを尽くせるかだと思ってる。
木を見ずに森を見る。
今年に入ってよく考えている言葉。本来の諺は「木を見て森を見ず」。意味は「小さいことに心を奪われて全体を見通さないことの例え」である。これを自分なりに変換すると「小さいことに心を奪われずに全体を見通すこと」か。目の前で起こることに一喜一憂せず、物事の本質を捉えるような広く深い視座を構えることだと認識している。(後述の漫画にも出てくる。)
年明けに上司のパワハラにあってメンタルに不調をきたしてからこの言葉に行き着いた。その意味を体現しようと考えるようになってから、メンタルが自分史上でも抜群に良い状態を保っている。具体的には、目の前で起こるストレス要因にイチイチ心が揺さぶられなくなり、自分が大切にしたいと思う物事に注力できるようになってきた。
InstagramとTwitterをやめて、Stravaは自分のログしか見えないようにして、fbはアウトプットツールと捉えて(かわいい娘の成長記録と化している)、テレビを見なくなった。
「受け身」の使い方をやめて、欲しい情報だけを「主体的」に取りに行くことにした。そういったことで、外部からの不要なストレスが激減して、自身の心身の調子に集中できるようになってきた。周囲の評価よりも自己評価を大事にできるようになってきた感じがする。
かと言って「じゃあもう人と競って速く走るのはやめたんですね」ではない。もちろん、レースではコンペティティブな要素が醍醐味の一つであって、そこについては変わらずに、より高い目標を目指して楽しみたい。だから成長のために高強度のポイント練は続けているし、これからもロジカルにキツいことに取り組んでいく。
「楽しむ」と「キツい」は二者択一ではない。トラックでキツい練習を頑張っている人に「あの人は走る楽しさを忘れてる」なんて思うのはお門違いだ。
天下無双の一言
我が剣は天地とひとつ。
故に剣は無くともよいのです。
漫画「バガボンド」(作:井上雄彦さん)の作中でのセリフで、すごく好き。ざっくりこのセリフの背景を説明すると、
天下無双で剣聖と呼ばれていた上泉伊勢守(かみいずみいせのかみ)が、強い剣豪に立ち合いを挑まれる。剣豪は刀を構えて殺気立ち、見るからに強そうなんだけど、一方で伊勢守は静かに佇むだけで構えもしない。微動だにしない対峙が続くうちに剣豪は気圧され疲れ果て、苦し紛れに怒声と共に一本打ち込むも伊勢守に簡単に刀を払い落とされてしまう。立ち合い後、教えを請う剣豪に対して、伊勢守が言った。
(剣豪が自身の強さを誇示したいという自分中心な心持ちであったことに触れて)
そんなことのために剣は、武はあるのかね?
我々が命と見立てた剣はそんな小さなものかね?
我が剣は天地とひとつ。
故に剣は無くともよいのです。
自分は、伊勢守みたいな気持ちで走り続けていたいと思う。
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信越五岳、目の前にある全部に感謝しながら、良い走りをしたい。その時に自分の内から出てくる何かを楽しみたい。久しぶりに会える人達といっぱい話したい。
そして三連休を自分のためだけに使わせてくれる、いつも支えて、応援してくれている家族に心から感謝。
みなさんの3連休がハッピーでありますように!