データ分析は意思決定の道具である
研究で統計学やっていると、どうしても自分の研究に思い入れが強くなってきてしまいます。
自分なりに意味のある研究をするのは、本当に大切なんですけれども、その一方で、統計学やデータ分析は意思決定のために使われるものであることを忘れないようにしないといけないなとも感じています。
ひとたび統計学やデータ分析自体に意味があると考え始めてしまうと、「回帰分析やりたいからとりあえずあるデータでやってみよう」「機械学習ってすごいんでしょ?この問題機械学習で解いてみてよ」みたいなことになってしまいかねません。
なんでもそうだと思っているんですが、手段が目的にならないようにしたいなあと。
データ分析も、ある問題を解決するための手段の一つとして考えられる方が良いと思うんですよね。
ゲームのような、それ自体に意味がない場合は問題ないんですよ?
ストリートファイターで、波動拳撃ちたいからリュウを使うとか、スマブラで、ファルコンのひざの魅力がすごすぎて、ファルコンしか使いたくないとか。
ベヨネッタで即死コンボ狙う人ばかりになったら面白くないですからね。
でも、データ分析は実際に会社や個人の決定に影響を与えることなので、その手法を使いたいからという理由でやらないようにしたいなあという話です。
Twtterやってます。
いいなと思ったら応援しよう!
最後まで読んでいただきありがとうございました!サポートしてくれると非常に嬉しく、noteを書くモチベーションになります。