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バイオダイナミック農法のアルケミ― (聖なる農業 第三章の5)               Sacred Agriculture         ーAlchemy of Biodynamics by Dennis Klocek より

第三章〖マクロとミクロ〗の5


牛角とシリカ

バイオダイナミクスに関わる人たちの間で、牛の角はシリカでできているとよく思い違いされています。実際はシリカではなく、ケラチンというタンパク質物質です。もっとも、ケラチンとシリカは関係があり、それを理解するためには、物質としてのシリカとプロセスとしてのシリカを区別する必要があります。

物質としてのシリカとは、私が手に取ることができるそのものを指します。ラボに持って行って分析すれば、それはシリカ、つまり二酸化珪素(SiO₂)でできていると言うでしょう。これは鉱物です。牛の角を化学者に持って行って分析すれば、化学者はケラチン、つまり髪の毛や皮膚と同じタンパク質物質だというでしょう。私たちが牛の角を使う理由は、それが強くシリカのプロセスを表しているからです。牛の角の実体は結晶性のたんぱく質ですが、シリカが地球の鉱物領域で作用するように、牛の角は天球からの力、つまり光を取り込のです。その特別な形がこれを可能にします。

前項では、自然界におけるエネルギー変換の主体としての形と表面について述べました。今度は、物質としての形とプロセスとしての形を見てみましょう。形(Form)という言葉を辞書で引くと、税の申告形式から動詞の活用形まで、約30の異なる定義が見つかります。このような区別は、プラトン、アリストテレス、そしてそれ以前にまでさかのぼります。これらの哲学者たちは、活動として、完成品として、アイデアとして、プロセスとして、形のさまざまな質に対して独自の言葉を持っていました。彼らは形という言葉のさまざまな用法を区別しており、形が世界において魔法のようなものであることを認識していました。このことを説明するために、ここに水晶の構造についての一般的な定義と、牛の角のタンパク質の形についての定義を示します。両者がどのように関連しているかは、あなたが判断してください。

水晶の基本的な構造単位は、閉じた三角形の表面を形成しない、3つの連結したケイ酸四面体分子のグループである。 結晶モチーフの3つの四面体分子は、1つの軸を中心に回転する3つの異なる平面上にある。この図は、3つのピラミッドが共通の軸を中心に螺旋状に並んで、先端で互いに接している様子を表している。

この四面体の繰り返しがシリカ結晶の層を形成している。各分子の四面体の各セットは、その上下にある2つの隣接するグループとつながっている。このモチーフは結晶の中で垂直に繰り返され、螺旋状の束の形でつながった柱を形成する。つまり、水晶の分子構造は、端と端がつながった四面体として形成された分子が、水晶の中で分子経路の束を作る柱を形成しているのである。水晶全体は、このような鎖が螺旋状に編まれた束として見ることができる。鎖の束はシリカ結晶の垂直軸の周りに巻かれ、螺旋を形成する。螺旋は化学結合で形成され、結晶の繊維状にはならない。しかし、螺旋は石英の真の幾何学的特徴であり、すべての珪質結晶の対称性に重要な意味を持つ。つまり、このような分子間の力によって、水晶の中に渦巻き状の螺旋構造が分子レベルで形成され、実際の分子と分子の間には、水を取り込むための空隙のような空間が存在する。これがシリカ結晶の風化を可能にしている。

(www.quartzpage.de/gen_struct.html; also en.wikipedia.org/wiki/Tetrahedron)

これは素晴らしいウェブサイト(quartzpage.de)からの引用です。このサイトは土壌の形成の理解をとても助けてくれます。

さて、今度は角のタンパク質の構造についてです。化学的には、十分な純度があれば、どんなタンパク質でも結晶にすることができます。これは、とても興味深い事実です。タンパク質は結晶化によって合成することができ、その結晶は鉱物の特徴を持ちます。以下は牛の角の物質、ケラチンについての説明です。

ケラチンは脊椎動物の皮膚から生える構造物の主成分である。これらの構造物には以下が含まれる: 哺乳類では、毛(羊毛を含む)、角、爪、鉤爪、角質、蹄などがあり、これらは主にケラチンでできている。例えば、毛髪は哺乳類にのみ見られる皮膚からの糸状成長物であり、その主成分はアミノ酸の長鎖(ポリマー)であるタンパク質ケラチンからなる非生物細胞からなる繊維である。ケラチンは自然に螺旋状繊維を形成し、その後螺旋状繊維を2本一緒に巻きつけることで、ケラチン特有のはるかに強い「コイル状コイル」繊維を形成する。ケラチン化した細胞は、毛包の基部にある毛母細胞の細胞分裂によって生じ、互いに密に詰まっている。

(www.newworldencyclopedia.org/entry/Keratin)

ケラチンの結晶構造は、水晶の説明と非常によく似ています。どちらも規則正しく並んだ大きな鎖状の螺旋分子で形成されます。このことから、牛角は物質としてはシリカではありませんが、形や形成過程はシリカのようであることがわかります。この区別が重要で、ルドルフ・シュタイナーは農業講座の中で、私たちに形という言語を学ぶよう求めているのです。形の言葉は鉱物、植物、動物の領域を結びつけるのです。物質は異なっても、その過程は似ているということについて、さらに考えていく価値があります。

物質としての形と過程としての形

物質が変容の過程をたどる動的なプロセスの形は、一種の言語として、私たちが自然システムのダイナミクスをより深く見ることを可能にします。シリカとケラチンの例では、それぞれが同じような「成っていく」過程を経ています。その結果、両者はその形を通して共鳴し、互いに形態的に調和しています。これが、特定の種類の鉱物やハーブを特定の種類の動物の鞘に入れることが有用である理由です。これは基本的に錬金術的な考え方であり、物質や素材の同一性に基づいて判断する世界においては、バイオダイナミック農法のやりかたを受け入れられにくくしています。 生命ジェスチャーや形態的共鳴の考え方を科学的な仕事の基礎に置くことは、物質的同一性を基礎に置く人々には受け入れがたいのです。

物質主義的な世界では、シリカが牛の角と関連しているということはできません。そう考えること自体が科学的でないと見做されます。確かに物質としては何の関係もないのですから。しかし、形成過程として見た場合、シリカとケラチンは異なる領域で互いに類似しています。形態的な共鳴とは、牛の角を使うことが相乗効果を生むということです。なぜなら、両者は形態モチーフによって結びついているからです。 もっとも、シリカは鉱物から動物へと移行するため、シリカにとってはステップアップとなります。角は、その形が変圧器(Transformer)やコンデンサー(Capacitor)のようです。角にシリカを入れることで、私はシリカをシリカ的でありながら生命に由来する形のフィールドに引き上げているのです。シリカは角のシリカ形態と共振しており、その繋がりは形態の作用によるのです。その物質がどのように成り立ったかによって、その形の特徴や自己同一性に応じた働きの潜在性が生まれるのです。引用文にあるように、回転する四面体鎖であるという事実は、すべての珪酸塩にとって意味があります。鉱物の80%はシリカが母体です。

四面体という形は、鉱物の世界では80%の鉱物の原型となる形なので、本当に重要なのです。あなたの内面で四面体を変形させるメディテーションによって、岩盤が表土になる仕組みがだんだん理解できるようになります。頭の中で四面体のエクササイズをすることを学べば、土壌のプロセスや土地に関連する元素界の存在たちが、あなたが彼らに関心を持っていることに気づくでしょう。もしかしたら、彼らは夢の世界にやってきて、あなたに話しかけてくるかもしれません。内的表象を持つことで、自然を生かす存在たちをあなたの意識に呼び込むのです。それを繰り返すことで、彼らの世界への扉が開き始めます。そして彼らは、あなたが彼らに敬意を表して思考を形成しているという事実に興味を持つようになるのです。考えてみてください。もし誰かがあなたの写真を心に抱き、毎日あなたに愛を送っていると知ったら、その人に会ったとき、あなたは特別なつながりを感じるでしょう。これは人間の基本的な能力です。あなた自身が体の中の結晶構造の中に、元素的存在たちを持っています。これを意識に留めておくと、彼らは体の外の存在たちとつなげてくれます。いったん彼らを知れば、ルドルフ・シュタイナーの言う「自然のイマジネーション」があなたの中に生まれ、それがバイオダイナミック農法の鍵になります。それは、新しい想像的方法、つまり聖なる方法で大地に関わるための鍵なのです。バイオダイナミクスは神秘学派です。単なるノウハウではなく、意識を高めるための手段なのです。

形態の意味を理解するためのこの瞑想的アプローチは、古代ギリシャ人にとってそうであったように、将来まったく別の科学の一分野となるでしょう。中世、そしてその後のルネサンスや啓蒙時代においても、瞑想は錬金術として科学の一分野でした。その後、唯物論的な考え方のために地下に潜らざるを得なかったのですが、合理主義的で還元主義的な研究のバランスをとるために、今また復活しつつあります。想像的意識によって、人間はまったく違った方法で自然界に入り込むことができます。それは、想像的認知の学問としての形態の言語と呼ぶことができるでしょう。錬金術の世界では、鉱物、植物、動物の関係を研究するために、形に基づいた内的表象を使うという考え方は、類推(Analogy)の方法として知られていました。類推は、人が物質や植物を別の、より生きた方法で見ることを可能にする思考法であると理解されていたのです。

想像的な認識によって、人の心は物質を生み出す目に見えない活動にアクセスできるようになります。これが錬金術の基本です。古典的なアルケミストたちは、自然がまだ霊性を持っていた時代に働き、物質の中に霊性を見ようとしました。西洋人であれば、生命体がそのように構成されているため、おそらく何らかの物質(Spirituous substance)を摂取しない限り、霊を見ることはできないでしょう。もっとも、それで霊が見えるかもしれませんが、それが本当に霊(Spirit)なのか、幻覚なのかはわかりません。しかし、目覚めた意識を完全に保ったまま霊的な存在を見ることは可能です。それが想像的意識であり、類推の方法の基礎となるものなのです。

胚の三層構造

胚(初期)の二層構造

今度は類推の方法を用いて、牛の角の形と胚の構造、そして静電気学の原理を比較しましょう。目的は、牛の角と牛糞の組み合わせがいかに理にかなっているかを示すことです。このダイアグラムは胚の2つの層です。上層の外胚葉(Ectoderm)はタンパク質性の膜であり、ケラチンと同じように非常に強いシリカプロセスを持っています。繊維状ではありませんが、層を形成する性質があります。実際の中身は珪酸塩ではなくタンパク質ですが、その働きはシリカ的です。その形成の仕方は、シリカが平板で、層状の表面で形成されるのとよく似ています。胚の外胚葉層は外側の層です。接頭語のectoは外側を意味し、Ectodermは外皮(皮膚)の意味になります。

発生学者たちは、外胚葉の進化を胎児の成熟期まで追跡しました。外胚葉は、神経、軸索、樹状突起、脳組織など、すべての神経装置の源であり、神経組織はすべて外胚葉から進化します。つまり、外胚葉は胚の神経層を表していると言えます。神経層は感覚器官ができる場所です。感覚器官の構造には、目、耳、そして皮膚に至るまで、同じようなタンパク質の鞘の形成が見られます。基本的に私たちの脳は、皮膚が内側に取り込まれて折り畳まれ、最大限の表面を作り出している、皮膚でできた島のようなものなのです。

研究によると、脳は胎児に入ってくる感覚刺激の影響を受けて折り畳まれます。感覚刺激が多ければ多いほど、外側の外胚葉(鞘)が拡張して活性化し、その成長に対応するために折り畳む必要が出てきます。したがって、神経があるところならどこでも、細胞組織が何層にも重なって形成されます。発達中の神経系に作用する感覚刺激の形成作用は、天球から(Peripheral)の力、宇宙(Cosmic)の力、光の力、そして暖かさと呼べるものの作用のイメージを私たちに与えてくれます。神経はこれらの生命の力を伝えますが、生命を伝達する物質は生きていることはできません。編集者ではなく、単なる伝達者でなくてはならないのです。

神経は組織の生命を犠牲にして、光、暖かさ、音が外部の周辺(Periphery)から入ってくることを可能にします。これが外胚葉の機能です。外胚葉と神経組織は、やがて伝達器あるいは受信機となります。つまり、周辺(Periphery)からエネルギーを受け取り、それを中心に伝えるのです。一般的に、それが外胚葉の主要な機能です。もう一方の側は内胚葉(内皮)です。発生初期の胚は外胚葉と内胚葉という2つの層を持ち、内胚葉は消化器系(腸、結腸、胃など)を生み出します。

生命組織が持つ消化の側面の機能は分泌です。生命の初期には、外部刺激を受け取る神経層という層があり、それと密接につながっているのが、神経からの刺激を受けて分泌する層です。小さな胚はピンの頭の30分の1ほどの大きさで、すでにこの2つの層を持っています。形成活動は、外からの刺激が外層にぶつかり、内層に伝わることで起こります。そして内層は、外から入ってきたものへの反応として分泌を始めます。分泌物は、普段の生命の流れの中に入り込み、成長と発達を促す刺激を与えるのです。それによって外層も変化します。しばらくすると、外層は外部と内部の両方から影響を受けるようになります。これが生命組織の法則です。

胚(後期)の三層構造

胚の発達において、外部刺激のもたらす印象の流れは、第三の層である中胚葉を急速に形成します。(図参照)発生の初期段階において、中胚葉は血液を生み出し、やがて筋肉、骨、臓器、そして消化器系や感覚器系以外のあらゆるものになります。これで、神経が血液に影響を与え、血液が神経からの力を受けて内胚葉に働きかけ、内胚葉が血液に分泌物を供給するという、血液を中心とした3段階の胚ができました。この時点から生物の一生を通じて、血液は消化と神経の仲介役となります。これが胚における三層の機能です。ルドルフ・シュタイナーは、血液を両面から書かれる平板と呼びます。

血液は、外部からのものと内部からのものとの反応を、仲立ちとして体中に運びます。人間の場合、血液はカウンセラーや調停者として働く存在です。血液は感覚の印象に対する反応として、分泌腺系が出す分泌物を運び、腺からの衝動によるホルモンの連鎖反応を調節します。これが生理学の説明です。

神経、血液、消化の3層からなる胚は、瞑想的なイメージとして、何年も取り組む価値があります。このイメージを使って絵を描いたり、蜜ろうで小さな模型を作ったりすれば、シュタイナーの言っていること、特にバイオダイナミック調合剤の作り方やそれに使う器官について理解するのに役立ちます。

調合剤とそれに使う鞘について、シュタイナーは非常に正確に形の言語を使いました。その言葉を理解するためには、胚の3つの層についての考えを心に留めておくことが役立ちます。何かを読んだり見たりするときに、時々このイメージに取り組んでみると、シュタイナーの農業講座の一節に光が灯る筈です。そして、やがて彼が「有機体の三層構造」と呼ぶものについての洞察が得られるでしょう。

感覚的な体験に反応して、外胚葉は分泌腺を刺激して分泌を促します。分泌物は生命器官の反応を引き起こし、内胚葉を刺激してその分泌を促します。突然、その動物の生命は分泌物によって体内を運ばれるようになります。分泌は生物学において実に重要な要素です。なぜなら生命体にとって、分泌は生命衝動の伝達経路だからで、それは直接的ではなく為されます。たいていの人は、体内の細胞間のコミュニケーションは、ある細胞が別の細胞と触れ合うことで成り立っていると考えます。しかし、ニンニクを一片、靴の中に入れておけば、数分後には、昼食にニンニクを食べたのかと聞かれるでしょう。ニンニクは足と口の間に細胞がたくさんあることを知りませんが、ニンニクに含まれる物質が血液の中で相互作用を起こし、血液と分泌物の連鎖反応が始まります。そして、足から始まった香りが突然口の中に広がるのです。血液がそんなに早くそこに到達するはずはありません。

これが肉体としての私たちの現実であり、私たちは一般に考えられている以上に繊細な存在なのです。自然界において、いかに微妙なことが大きな影響を与えているかの一例です。このことを知らなければ、植物の世界から何かを取り出し、それを動物の臓器に入れ、それが何か特定の作用を持つというのは理解できません。分泌物の活動は、生命の微細なレベルを明らかにします。そのレベルをシュタイナーは、エーテル的な力と呼びます。エーテルの領域には、酵素、ホルモン、フェロモン、香り、エステル、風味、オイルなどが含まれます。生物組織は(植物でさえ)感覚器官があります。植物の感覚器官のひとつはクロロフィルで、それは眼球のようなものです。その感覚器官は光を取り込み、そこから作りだす分泌物が、光合成プロセスの一部となります。

植物は活力ある物質を作り出すことによって、感覚的な印象に反応します。これは動物と同じですが、動物には活力ある物質を作り出すための器官や腺などがもっとたくさんあります。植物にも分泌腺、例えば油腺があります。子供たちがするように、オレンジの皮をロウソクの炎の上で絞ってみてください。パチパチする火の玉は、オレンジの皮にある分泌腺から出たアロマオイルです。分泌という考え方は、ある器官が関わった物質をどのように変化させるかを理解する上で重要です。ここにも類似性があります。生命の領域には、物理学やテクノロジーの領域とも類似性があり、それは自然界のより繊細な関係を理解するのに役立ちます。

引力と斥力

すこし静電気学というものについて、話しましょう。興味があるなら、エルンスト・レア―(Ernst Lehrs)の『Man or Matter (人間か物質か)』という本をお勧めします。この本は、硬直した思考を解きほぐすものです。簡単な本ではないですが、ルドルフ・シュタイナーの錬金術を理解する上で重要な本です。理解するまでに何度か読み返す必要があるような類の本です。
この本は、二つの違った種類の電気について説明します。ひとつは、私たちがこの世界を照らしたり、自動車に使ったりしている派生的な電気であり、実は私たちが地球から盗んでいるものです。もうひとつは本来の第一義の電気で、科学的には静電気と呼ばれます。その応用が静電気学です。静電デバイスにはエンジンを駆動する力はありません。そのため、コンピュータが登場するまで静電気学はあまり発展しませんでしたが、今や静電デバイスはいたるところにあります。インクジェット・プリンターも、素粒子を光速まで加速するために使われる巨大なヴァン・デ・グラーフ・ジェネレーターも、静電デバイスです。静電気は、工業用煙突から飛灰を排出するフィルターや、組立ラインで塗料を吹き付ける際にも使われています。

静電気は自然界に広く存在する形態の電気です。これは、生命を保持する電荷を構築する潜在性があるということです。電荷を維持するためには、放電は避けなければなりません。放電を避けて、生命を保持する形は丸いのです。自然界では、丸い形が最大量の電荷、生命、潜在性を持ちます。たくさんの層が重なった形も、静電気を失わずに保持することができます。生命に関わる自然の形態が層状であるのは、静電気は表面に帯電するからです。電荷は表面に運ばれ、多くの表面があれば、多くの電荷が得られます。

エルンスト・レアーのように、これらの考えを錬金術的に見るならば、電荷を重力(Gravity)と浮力(Levity)の両極として観ることができます。アルケミストたちは、重力と浮力を自然界で最も基本的な2つの力と見なしていました。重力は下方へ、現象化へと向かい、浮力は上方へ、希薄化、潜在化へと向かいます。自然界において、この2つの力は無限の組み合わせと順列で見られます。レアーは陽極の電荷を、基本的には地(重力)の極の、現象化した質のものが、宇宙の力である浮力の影響を受けたプロセスにあるものと観ます。正(+)の電荷は、浮力に引き上げられつつある地球の状態なのです。

これを理解するために、ちょっとしたシナリオを考えてみましょう。私が少し落ち込んでいるところへ、誰かがやってきて、「ハグが必要そうだね 」と言います。ハグしてもらい、ちょっとした交流があります。今、私は少し気分が良くなっており、私が持っていた地の要素は浮力の状態へ上昇しています。私がその人に感じているのは共感(Sympathy)であり、その人から電荷(Charge)を受け取ったのです。1960年代には「コンタクト・ハイ」という言葉がありました。それは電荷です。何かが受け渡され、新しい状態が展開するのです。

正(+)の電荷の反対は負(-)の電荷です。負の電荷を帯びると、宇宙的な浮力状態が地球的な重力の極に、影響を受けます。あなたが朝とても良い気分でいたとします。そこで、寝ている間に世界のどこかで起こった悪い出来事についての話を聞きます。これは、あなたの浮力状態を小さな箱の中に閉じ込めようとするのです。あなたは 「そうしなければならないのか?」と感じます。この感情は反感、あるいは負の電荷と呼べます。反感(Antipathy)とは、何かを憎むという意味ではなく、何も私が思うようにはならない世界で、私は満足できないという感覚なのです。一方、共感(Sympathy)は、世界が自分の思い通りになっているということを意味します。

つまり、この2つの電荷は感情と結びつきます。私たちの魂の中にある感情が、世界の現象に投影されると、プラスとマイナスの引力、電荷、反発する力、引き寄せる力、原子の価数、分子の結合角などになるのです。アルケミストの観点からは、これらの物理的な力はすべて、世界の魂(World soul)の感情として感じられます。抽象的な科学の世界では、これらの力が生命体としての地球の感情に相当するものであることが忘れられ、単に数量として計算される力になってしまいました。しかし、ベンジャミン・フランクリンの時代にこれらの力が発見されたとき、アルケミストたちはそれらを理解しようとしていました。彼らがこの力を説明するために使ったのは、引力と斥力の特性を表す魂の言葉であり、それはまるで魔術的な、磁力のようなものでした。彼らは自分が何者であるかを意識して探求し、魂を持っているかのように働く諸力を、自然界に見出したのです。

今日、それらは単なる抽象的な力であり、それらが実際に私たちと繋がりがあることは忘れられています。私たちはただ、何ワットの電力を使うとか、何オームの抵抗だとか、の電気機器を使うだけなのです。その電気機器は、一次的な静電気で動いているのではなく、二次的な、つまり派生的な電気で動いています。これは、私たちが自然界の基本である静電気の電荷を奪い、派生的な電気に変えて機器の電源にすることを学んだからです。静電場に電線を通すと、二次電気が発生し、放電が起こります。発電機を使えば、放電から電流を引き出して機器の電源として使うことができるし、電池を使って蓄電することもできます。ワイヤーを小さな輪にして、磁石(磁石は基本的に小さな地球です。)の磁力線に通し、小さなメーターを付けて電球に繋ぐと、明かりがつきます。これは私が、二次的電気の電流を地球の静電場から引き出したからです。私はそれを、二次的な電力という形で、私の装置を動かすために使っているのです。

これが、私たちの電気が生命を枯渇させる理由です。しかもこのようなことを研究する人々は、電球の電気と生命の電気を同じものだと思っています。どちらもプラスとマイナスの電荷を持っているというだけの理由です。私たちはこのようなおかしな世界に生きています。自然の力は、生命の電荷を蓄積、保持できる形を作り出すことによって、生命エネルギーを保有しようとします。ルドルフ・シュタイナーはそれらの形を鞘(Sheaths)と呼び、いくつかの例を挙げています。鞘の機能は、物質の中のエネルギーを強めることです。そしてそれらはコンデンサー(静電蓄電器)に似た働きをします。あるいは、バッテリー(電池)と呼ぶこともできますが、正確には、コンデンサーが近いのです。

コンデンサーと生命力の電荷

このように私たちの電気機器が、いかに自然界の営みの小さな影絵であるかが、わかると思います。自然界の中でエネルギーを高めるのではなく、自然界からエネルギーを引き出しているのですから。電気機器に使われる力そのものは異いますが、その形の原理は類比できます。その形態モチーフを理解することで、自然エネルギーを集中させて電荷を高める新しい形を想像することができます。その結果、私たちが電気機器のために奪ってきたエネルギーを、地球に返すことができます。私にとっては、これがバイオダイナミクスです。実際、私たちが大地から莫大に奪っているものは、地球の処女膜と呼ばれることがあります。ヴィクトル・シャウベルガーは、地球の処女膜であるこの層は、私たちの電気機器の使用や、鉄器具の乱用によって枯渇していると言います。私たちは、自然界に働く形と力を理解することによって、この層を蘇らせることができます。この点で、静電機器の形は、電気機器の形よりも有用です。

さて静電気の原理を見てみましょう。まず電荷を伝導する2枚の金属板が必要です。それらを蓄電源であるバッテリーに接続すると、蓄えられた電荷がバッテリーから金属板に流れ、金属板に電荷が生じます。接続している限り、電荷はバッテリーから金属板に流れます。金属板は充電されるまで(いわば電荷で飽和するまで)、電荷を吸収して伝導します。一旦充電されると、金属板と金属板の間に電界の場(潜在性)が発生します。その電界は、金属板が保持できるバッテリーからの電荷量を示します。しかし、もし私がバッテリーからの配線を外すと、電荷はバッテリーに戻ろうとして金属板から逆流します。金属板は電源が供給されている間、電荷を保持するのです。
これは、自動車やトラクターのバッテリーを充電する時と同じです。充電を止めると、電力は出ていこうとします。風船を思い浮かべると、わかりやすいかも知れません。風船を膨らませると、中に圧力(Charge)、潜在性が発生し、空気を吹き込むのを止めると、その力は逆流しようとします。風船の口を開けると、圧力は部屋の中に逆流します。このイメージは静電気の蓄電を理解するのに便利です。

さてここで、静電気の流れに抵抗するものを2枚の金属板の間に置くと、それは誘電体と呼ばれます。シリカは良い誘電体です。そして、再びコンデンサーに電荷を入れると、誘電体によって、より大きな電荷が金属板の間に蓄積されます。(これが起こる技術的な理由は割愛します。)誘電体の抵抗によって、2枚の金属板の電荷を保持する能力が変化したのです。バッテリーの接続を外すと、電荷は金属板から離れ始めますが、誘電体によって2枚の金属板の間に電界が形成され、より大きな電荷が蓄えられます。したがって、金属板と誘電体をいくつも積み重ねると、コンデンサーと呼ばれる装置ができます。コンデンサーに電流を流すと、より大きな電流を蓄えることができます。非常に薄い金属板と非常に薄い絶縁体を積み重ねてコンデンサーを作れば、強い電位差を得ることができるのです。

板を薄くすればするほど、バッテリーを切った後にコンデンサーが保持する静電容量が増えます。もっと蓄えられるようになるのです。バッテリーは弱くても、コンデンサーに接続すれば、はるかに大きな電力を生み出します。ここで重要なのは、コンデンサーは外から入ってくる電荷を受け入れては反発し、受け入れては反発するように内面が層状になっているということです。そうして弱い電荷からより強い電荷を作り上げるのです。

ここで相似事象として、牛の角を考えることができます。角のタンパク質構造は誘電体であるシリカに似た構造をしています。角のタンパク質層は、太陽光線から非常に弱い電荷を受け続けます。さらに、タンパク質構造内には金属が存在し、静電容量を強化します。牛が日光を浴びながら牧草地へ歩き出すと、角は事実上、頭の上でコンデンサーの役割を果たしてエネルギーの場を構築し、それが体の中に流れ込むのです。

これは突飛に思えるかも知れませんが、電荷がどのように形成され、電気機器に組み込まれるかという原理は、有機的な世界でも有効なのです。もう一度、表面の話に戻りましょう。この図の左は雲母(Mica)です。雲母は、非常に微細な金属を含むシリカ板で構成されています。天然のコンデンサーである雲母は、膨大な量の内表面から構成されており、誘電体と導体がサンドイッチ状に積み重なっています。その山積みの表面を太陽光の下に置くと、光によって雲母に電荷が発生します。光と暖かさが岩肌に当たると、その物質の電荷の働きに変化が起こるのです。

雲母の場合、実際のエネルギーは装置の中ではなく、その周りの電場にあります。コンデンサーはそこに余分な電荷を蓄えます。 これが、今日世界中で使われている多くの装置の原理です。ラジオ部品用のコンデンサーを製造する方法を知らなかった当初、人々は雲母をコンデンサーとして使いました。彼らは電気の流れを制御し、調整する方法を必要としており、そのために雲母に目を付けたのです。

イギリスで、コウモリが音を使ってどのようにコミュニケーションをとるかを研究していた人の話を聞いたことがあります。彼は夕方、トラックで出かけて行き、人里離れた所に車を停めてアンテナを立て、高周波のコウモリの交信を聞いて録音していました。ある朝、彼は一晩中働いた後、トラックの中で朝食をとっていたのですが、 集音アンテナがオンのままなのを忘れていました。その時、突然コウモリのような甲高い鳴き声を聴いたのです。窓の外を見ても、コウモリはいません。朝日が昇り始めていたのです。不思議に思った彼は、翌朝の同じ時間にアンテナをつけたままにして、何があの音を出していたのか探そうとしました。 すると、太陽が地平線に現れるとすぐに、同じ鳴き声がアンテナから聞こえてきたのです。そして、太陽が地平線から離れると、鳴き声が止むことにも気がつきました。これは非常に興味深いことでした。その時、彼はトラックを環状列石の近くに駐車していたことに気づいたのです。やがて彼は、朝日が石に当たると、石が高周波信号を発するのを確認しました。それで彼はコウモリの研究をやめて、石の研究を始めたそうです。

石の中には無数の雲母があり、そのひとつひとつが小さなコンデンサーになっています。太陽光線が冷たい石に当たると、そこに緊張が走ります。石の一部が電荷を帯び、他が帯びないからです。彼の研究によると、大きなパラボラ・アンテナを設置すれば、その放電の音を聴くことができます。これは、純粋に日光と鉱物との相互作用です。日光の暖かさが、花崗岩の塊の中の雲母に、反応と活動を引き起こします。

図の左にある雲母コンデンサーは、鉱物の層(カリウム、鉄、シリカ)でできており、太陽の光を受けて反応し、周囲に電界を形成します。右側にあるのは、牛の角です。これは、牛の皮膚プロセスの結果として、タンパク質物質であるケラチンの鞘が形成されたものです。ケラチンという物質は髪の毛や爪に似ており、芯の周りに何層も積み重なって圧縮され、珪酸塩の螺旋構造に似た、タンパク質性の結晶構造を形成します。非常に滑らかな丸い形をしていますが、良いものは螺旋状の渦の形をしています。

調合剤 BD500とBD501

角の形状は、角の先端が天球(Periphery)からのエネルギーを捉え、それを牛の体へ送り込むようになっています。右図のように、その形が増幅器でありコンデンサーなのです。角の層構造が、電荷をつくりだします。但し、角の形は電荷を一方向に、つまり牛の方に向けます。電気で言えば、このような装置はダイオードと呼ばれ、電荷を一方向に通し、反対方向には通しません。ダイオードは細流充電器などに使用され、一晩中、自動車のバッテリーを充電しても電荷が逆流して漏れてしまうことはありません。ダイオードは特別な種類のコンデンサーです。

牛に話を戻すと、牛のアンテナはシリカに似たらせん状のケラチンでできており、太陽光を受け、それを牛の皮膚の中へ伝播します。そのエネルギーは何層にも重なった組織に伝わり、消化器官の血液の海へと降りていきます。腸の構造を見れば分かりますが、そこには皮膚の中に皮膚が何層にも重なっているのです。牛の消化器官は大きな有機的コンデンサーです。それは、宇宙からの 「細流充電 」を受け取り、消化コンデンサーの層のなかで、有機的で酵素的な食物の塊に流し込みます。

角を切られた牛はどうなるのでしょうか? ここで、発熱と感染症について話さなくてはなりません。通常、雌牛には体内に必要なカルシウムの力が足りません。その力は胎児の形成に使われてしまうのです。これは、角の周りの輪を見ればわかります。もし角がなければ、組織の再生に必要な力が利用できません。このような場合、子宮の筋肉が拡張すると、出産に必要なカルシウムが牛の免疫システムから損なわれます。すると、牛は感染症にかかり、子牛に乳を与え始めたときに死んでしまうことがあります。昔はこのようなことは稀でしたが、今は獣医師を呼び、牛にカルシウム注射をすることになります。

ここに偉大な秘密があります。私の理解では、牛の角は戦うためのものではなく、生命エネルギーを維持するためにあります。その目的は、生命と光を誘導し、内皮の膜を通して牛の体の中を消化器官にまで伝えることです。それによって、牛の血液は光を受け取ることができるのです。基本的に、牛の胃袋は巨大なコンデンサーであり、天球からの諸力によって、常にエネルギーを供給されています。

牛は、もう一組のコンデンサーをもう一方の端、つまり蹄に持っています。牛のエネルギーはその端に閉じ込められます。この二組の間には、胃袋と呼ばれる熱原子炉があり、それが生命の泉なのです。牛は地球上で最も栄養価の低い食べ物のひとつである牧草を大量に取り込み、粉砕機にかけ、それに生命を充電します。牛の腸内に生息する微生物は、その生命力を浴び、発酵した草の中で増殖します。微生物は飼料を変化させ、それに自らの生命力を浸透させます。そして牛はそれらの微生物を吸い上げ、牛の体を作るための豊富なタンパク源とします。基本的に、牛の胃液はクジラが食べるプランクトンのようなものなのです。

牛は非常に豊富な生命力を食べたものに注ぐので、糞尿にも生命の力は宿っています。私たちはその神聖な贈り物をコンデンサーである角に入れ、錬金術でいうところのスパジリック・プロセス(Spagyric process)、つまりアルファとオメガの結合を行うのです。消化器系と神経感覚系に挟まれた血液という全体の部分として、糞と角は同調しています。生命に満ちた糞を、天球から生命を取り込んだ器官に戻すのです。それが相乗効果であり、調合剤BD500です。

もっとも、ルドルフ・シュタイナーの洞察はそこで止まりません。私たちはシリカ結晶を非常に細かく砕き、、極小表面の法則が有効になるまですりつぶします。極小表面の法則によって、粒子が小さいほど表面は大きくなることを覚えていますか?すると、私たちは、光の宇宙からの力を受け取るために、無限に遠い平面(天球)に対してどこまでも開かれているシリカを手にします。それを同じパターンを持つコンデンサー(角)に入れるのです。こうして、光の宇宙との相乗効果が得られる、調合剤BD501ができます。地球の生命力との相乗効果が得られるのが、BD500 です。これらのものが相似事象であり、空想ではなく、科学的に合理的なかたちでつながっていることを見抜いたのが、シュタイナーの叡智です。このような繋がりを考えることができないのは、最初のうちは構いません。しかし、やがてあなたのイマジネーションが育ち、シュタイナーがバイオダイナミクスを発展させるためにもたらした発想が見えてくるようになります。

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