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中国帰国者の系譜

 続けての話になるが、シンポジウム「中国残留婦人『三世・四世』という経験」(近畿中国帰国者支援・交流センター主催)にも参加した。私は中国帰国者三世・四世というテーマと向き合うのは初めてだった。「中国系日本人」と自称するかたもいるようだが、これには賛否両論あるようだ。

 一橋大学大学院のかたによれば、中国帰国者の一世は既に平均年齢85才、語りを聴けるのもあと10年が限界だという。思えばうちの母は、旧満洲育ちで「敗戦後の引き揚げはたいへんだった。もう一便、船が遅れたら、今頃は北朝鮮におったかもしれん」とよく言っていた。そうだったら私はこの世に存在しなかったことになる。

 いま東大大学院で学ぶ「中国残留婦人」四世のかたのお話。華僑幼稚園や中華学校で学び、高校を出てから通称名(中国名)から本名(日本名)に変えたという。
 在日コリアンで民族性を自覚されたケースと逆のように見られるかもしれない事象で、実際に「それでよいのか」と周囲から問われることもあったそうだ。
 真相は、ヘイトへの恐怖が理由だったという。知らない人にも、女性で外国ルーツだとわかってしまうことが怖かったらしい。しかし残念なことに、日本人だと誤解されると、今度は平気で、ヘイト話に同調を求めてくる友人がいたりして、それも困るとのこと。
 また、中国へ留学して中国語で話すと「きれいな標準語だね、どこで習ったの」(中国語も「標準語」というんですかね?)ときかれるらしい。なんだか、日本における外国ルーツの方々へのマイクロ・アグレッションが思い出されるような事例だ。
 以来、中国語には愛着と共に複雑な感情をもっており、他言語を使う方が間違えてもよいのでかえって気楽だという。

 比較対照として、台湾出身ニューカマー二世の研究者のかたの話はより複雑だった。「華僑」という呼称とそれに伴うイメージには、様々なヴァリエーションがあると初めて知った。
 ついでながら、蓮舫の「二重国籍疑惑」も話題になったが、「台湾とは国交がなく国籍として認められない、だから日本籍だけなので二重国籍は生じない」といわれ、「何を騒いでいるのだろう」と私が思っていたとおりだった。

 全体を聴いて印象に残ったのは「在日と呼ばれた皆さんが今やホストの立場」という言葉だった。
 私の在職中、ずいぶん前から、オールドカマーのかたが盛んに「いまニューカマーが増えているが、私たちの経験はこの人たちにきっと役立つ」と言われていた。そのとおりだと思うし、単なるホスト以上の部分があると思う。
 ただ、三世・四世ともなると、悩みどころが違ってくるし、直接役立つことばかりではないかもしれないが、基底する要素が同じというべきか。

 昔から、このようなライフストーリー(生活史)は他者を理解する上で、重要な手法だった。今では質的調査研究法というような教科書もある。サンプル数が少なくて普遍化しにくいが、量や数値に換算し得ない大切な事柄を知ることができる。
 ただ、作家が自分の内面を削るようにして書くのと同様、自己の人生や家族の生活と対峙することは、とてもしんどい。
 いまは様変わりしたと思うのだが、部落解放運動に最初に反発を覚えたのは「部落民宣言」だった。真に自発的にするのはよいが、教師や運動家との狭い世間の中で圧力に負けてする宣言は逆によくないと思った。
 児童養護施設出身の知人が講師として引っ張りだこになったときは、疲れているように見えたので「あまり自分を切り売りしない方がよい」と言ったこともある。
 また、フリースクール出身者が「学校を否定してきた半生」を軽やかに語るのを聴いたことがある。軽やかに語れるのはいいことだ。しかし、それが商品化されると真の自己に刃向かってくる場合もあるので、注意が必要だと思う。
 教育啓発業界やマスコミはそれが仕事だから、当事者を平気で引っ張り出そうとする。生活史は大切だし、自分の存立根拠だし、その価値を否定するつもりは全くないが、逆にだからこそそれはとても重い事柄だ。
 だから、他人の私がどうこう言って語らせるのでなく、こうして自ら語るところを聴かせていただけるのは、本当にありがたいことだと思う。