なんで国語の勉強をするの???
勉強せずともある程度正しく扱える「母国語」
どの国を見ても絶対にカリキュラムにある「母国語」。
私たちは日本語を勉強せずともある程度扱えますし、言語の目的である
意思疎通という観点から言えば勉強せずともなんら問題はないはずです。
ある程度扱えるものを、教育課程において「国語」という大々的な肩書きをつけてまで勉強させる意義はなんなのでしょうか。
国語の勉強=論理構造の勉強
この社会は基本的に「論理」に支配されています。
法律、政治、化学などから人間の対話までも全ての面において
「論理」は必要不可欠なものであり、社会における根幹です。
いわば「論理」はこの世界における一種の「ルール」であり、
これを無視して物事はうまくいきません。
この「ルールの構造」を学ぶのが「国語」という教科であるわけです。
正しいものを取捨選択していくためのツール
加えて、私個人的には、特に今の現代社会にとってこの「国語の勉強」は重要であると考えています。誰でも情報の発信者になることができ、生成AI等を用い「本当(嘘)の情報」を発信することができるようになっています。
このような嘘が本当になりえる社会においては、
「情報の論理的整合性が取れているかを見極められる能力」が大変重要だと考えています。
先日コロナワクチンについてのニュースがありいろいろ調べてたんですが、
善か悪かはさておいて賛成意見、反対意見を書いている方の資料にそれぞれ違和感のあるものがあったんですね。
「ごく小さい相関関係」が認められる程度の結果に対して「因果関係」があると主張する意見もあったり、本当か?というような偏りのあるデータを見てみれば、前提条件の時点でその結果以外でないでしょ!というものだったりと...
これまでも、そしてこれからも論理の盾を持たない人間は熟慮性に欠け、真偽の定まらない情報に振り回されるようになると思います。
そんな人間にならないように、教育課程において国語を学び、ルール通りに正しく読む、正しく書く能力を鍛えることが重要なわけです。
今回は以上です。
今回も読んでいただきありがとうございました。
他にもいろいろ記事があるのでよければぜひ読んでいってくださいね。
ではまた。
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