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わたしの欲しかった、美しさ
早朝の東京よりおはようございます。
月1回は何か書こうと思っていたのに、4月は気づけば終わっていて書くことができなかった…
今朝はわたしが4年ほど習っているダンスからの気づきのお話し。
わたしが続けているのはベリーダンス。
元々通っていたヨガスタジオでベリーダンスのクラスもあり(なんだか色々なダンスのクラスがあったように思います、フラとか)、興味が湧いてベリーダンスだけのスタジオを探し、今通っているスタジオはわたしの人生では2つめのスタジオ。
ここではベリーダンスはオープンハートで踊っていいと幾度も教わりました。
でも、わたしは4年近く習って、今やっとそれができるようになる気がしています。
美しさにはずっとコンプレックスがありました。
まだ小学生だったころ外見をからかわれたことがあって、そこから外見にはずっとコンプレックスがあります。
そこで幼い自尊心が傷ついてしまったからか、わたしはどこか物事を斜に構えて見てしまうように成長しました。
そして、19歳のとき、失恋からうつ病になってしまいます。
自尊心は傷ついてずたずたです。
だから、ということでもないですが、内面には自信があるとも到底言いにくい。
自分を美しいと思ったことはほとんどなかったように思います。
今のスタジオに移ってくる前は、ベリーダンスもきれいな衣装や優美な仕草を身に付けたら、美しくなれると思っていたのかもしれません。
でも、それで身に付く美しいとは、きっとわたしが求めていたことではないのですよね。
こころを開いて踊っていると思える友人たちは、みんなとてもきれい。
ときに涙が出るほど、彼女たちの踊りは心を打ちます。
わたしもきっと、同じように美しいものは持っていたんだと今ようやく思うのです。
ただ、自分で見ていないから見せられることもできないでいた。
オープンハートで踊るということを上辺だけで繕いながら、こころは開いていなかったように思うのです。
わたしにとって美しいというのはこれまでは付加価値で、自分に美しい何かを加えるような気持ちだったように思います。
でも、わたしが真に求めていた美しいとは、自分の中にある美しいを自分で見つけることだったのではないかなとやっと思うのです。
これまでにずたずたに傷ついてきた自尊心が、きっとやっと癒えはじめて、随分長くかかってしまったけれどこう考えられるようになったのでしょう。
色々なことが、わたしはすごく遠回りをしているけれど、きっと必要な道のりだったのでしょう。
もとより近道最短ルートの人生が好みなわけでもありません。
自分で考えて気づいたことで、ひとは変化できる。
これからやっと、わたしはわたしの美しいところを見つけてゆくのだと思います。
今日も読んでくださり、ありがとうございます。
Image by S. Hermann & F. Richter from Pixabay