【不登校】ぴかぴかのランドセル残して、進め
我が家の姉妹が今春無事、中学校と小学校をそれぞれ卒業いたしました。
まずは長女の話。
1学期に「他人を悪しざまに言うことによって結束を保つタイプのタチの悪い同級生グループに至極軽いノリでタゲられる」という不運かつ不愉快なイベントが起こり、IBS発症。ストレス要因がクラス内にいる状態で症状管理がうまくいかない、そもそも症状自体が年頃の女子にとってはなかなかセンシティブで教室での学びに不安が強まる、でも推薦狙いで出席日数と内申が必要、でも症状管理がうまくいかなきゃ登校自体が難しい…みたいな堂々巡りの負のループに入り込んでだいぶしんどい二学期を過ごしていましたが、とりあえず出席を重視しようという方針で別室登校へシフト、出席と成績をキープし(めちゃくちゃケツ叩きはしたけど、これがマジですごいんだよな…)推薦をもぎ取りどうにか落ち着いた状態で受験を迎えました。本人が熱望した、ICT重視の私立高。
私立の推薦入試なんてほとんど受からせる試験だとわかってはいてもまあ合格が来るまではどうしようって感じだったんですが、無事合格。
推薦合格者の課題にヒイヒイ言いながら2月を過ごし、何度か設けられていた登校日ですでに友達を作り、ワクワクしかしてない様子です。
卒業式も症状への不安(と本人は言うけど主因のバカ子たちと顔を合わせたくなかったんだろうな…)から別室チームと一緒に参加、校長室で証書をいただきました。それでも歓送には参加して「あっ長女ちゃんいるじゃん!」てあちこちから声かけられて楽しそうにはしていたので、そういう、変わらずに接してくれる友達の存在を実感することができて、晴れやかに卒業できたことだけを覚えておいてあげようと思いました。
卒業式の翌日早速カラオケ行ってたしな…たのしめ…青春を…
ちなみにこいつには卒業式の数日前にカラオケ行こ!を見せに行きました。(わたし3回目)(見すぎだろ)(だって…好きで……)
多分これ、中学卒業の時期に見るのが一番いい映画だなって思いました。彼女、聡実くんの「歌えません」からずっと泣いてたからな…
そして次女。
1年生の秋から教室に入れなくなり、家族以外の人間と会話を交わすことができなくなった彼女は、そのまま紆余曲折ありながらも所属教室に戻ることなく卒業を迎えました。
最後の2年は挨拶だけ、毎日数分の登校。と、地元から離れたところにあるフリースクールに週1回。あとはずっとホームスクール。
塾にも隔週で通っていたけど、やっぱり話せないことがネックになってなかなか手ごたえがなくなっていってしまったため6年の後半からはSSTと面接練習をお願いした。
あと、これは学校とは関係ないけれど、プレイセラピー&並行しての保護者面接にも週1回。
いやさあ、大変さは次女には見せないように頑張ったけど大変だったな~~~~~!!!?(大声)(ここでだけ言う)
教室に入れなくなった時点で支援級検討したけど本人NG出たので腹くくってホームスクールと短時間別室同伴登校開始、2年と3年のときの先生が一番関わりがうまかったけどもちろんずっとお世話になるわけにもいかなくて、4年は多分悪い先生ではなかったし本人もそれまでの2年間の蓄積でがんばれちゃったんだろうけど途中でガクンと失速して二次障害が出る寸前くらいまでいった、5年の担任はもう顔合わせからぜんぜん期待ができなくてその時点で「挨拶だけ登校」に切り替えた。困ってることないですかってよく言われたけど「今それ聞かれてることが一番困ってま~~~すあと金銭問題で~~~す」って言ったらなんとかしてくれたんか?全部「ないで~すありがとうございま~す」で一年乗り切ったけどあれが一番大変だった。
あと診断がついたのもあって放デイも検討したけど、本人がNGを出した。わたしも(この環境は無理だな…)って思ったし。静かに過ごしていたい子が目立つことなく、その姿勢を尊重されていられるデイってたぶんほとんどないんだよな…これ、ちょっと真剣に小学生を支援するうえでの課題だと思う。
そして6年の担任は、多分ご本人の理想と上と現場(我が家)の板挟みなんだろうな~をひしひしと感じた。タブレットの利用について掛け合ってもらえたけどなかなか思った通りにはいかず、公立の限界を思い知った。
一人一台端末、平日はお借りして自学自習に使うなり課題をやり取りするなりして土日だけ学校に返すって提案、ダメだったんですよ。そうなるとお金はそこまでかからないにしろ最低限の学びの機会の保証もできない環境(前述のとおり、長女が地元中の別室を使っていて環境は知っていた。小学校とICT運用ルールは似たり寄ったり)で過ごすより、どうにか工面してでも特例校にやったほうが幸せなのではないか?という考えがどんどん強くなっていった。
次女はフリースクールで1年半ほどを過ごし、ここでわたしが勝手に立てていた目標も達成しました。お弁当をパーテの中で食べて、一日過ごせるようになった。
困ったことを視線で先生に訴えて、問題を解決することができるようになった。
職員室への用事を他の子と一緒に言いつけられて、一緒に動いて指示を完遂するようになった。
スクールの子たちの話を聞いて、少し笑ったりしていると聞いた。
それなら行けるだろう、で特例校受験に絞った。
私立中も一条校じゃないスクールも見に行ったけど、本人が納得し、かつ親として安心してお願いできるところがなかったのもある。
特例校には何度か体験入学に行き、「ここならまあいいかな…」という感じではあったけれど、本人が選択した。
勉強もちゃんとしてくれた。算数、わりと好きな部類らしい。ケアレスミス多いけど。国語も漢字と作文が書けない・文法がわかってないだけで、思ったよりもずっとできていた。
最終的に、上記の凹以外はほぼ学年相応かちょっと下レベル位までできていたように思う。
受験もがんばった。面接は筆談で、iPad使わせていただいて(メッッッチャ時間かかってた…事前面談で想定内だったので多めに時間割いていただいた)なんとか無事に終了。
無事、入学のご許可をいただきました。
そして卒業式。
ひとりで、校長室で証書をいただきました。先生方結構たくさんいたけど、授与式の作法を何も知らないから受け取った証書そのまま両手で持って困ってたけど、しっかりと式次第(超簡易的)をこなしてきました。
マスクだけど、卒業式の看板の前で写真も撮ってきました。普段は全然写真撮らせてくれない子が。ありがとう。
卒業アルバムに写真は載っておらず(名前だけ掲載)、購入もしませんでした。前例と同じようにやるなら写真館で撮って合成するとか言われたけど、なにそれって思ったのでぜんぜん平気で断りました。なんだその思い出の捏造は。クラスの子も困るだろ。「名前だけ載せる&アルバム買わない」があの小学校で今後の選択として残ってくれることを願います。
文集にも参加しませんでした。てか作文書けないし。
唯一参加した、というか多分これはないと担任的に体裁が保てないんだろうな…と思ったので参加を承諾したのが、学校新聞の卒業生全員参加川柳。
本人が書かなければこれまた写真同様捏造される(言い方悪いけど)ということだったので、それはやだな~と思ったわたしが数個作って本人に選んでもらいました。ほんとは本人が書けるのが一番いいんだけど、まあ、作文が書けない子だし学校自体に何の思い入れもないのでモチベーションもないし…
そんな、わたしが作ったうちの一首。
「これからも私は私の学校にいる」
私はこれにしなよ~めっちゃ皮肉効いてるじゃ~ん🎶って思ってたけど(そういう態度が良くないんだよ)、彼女が選んだのはもっと現実に沿った、本人のこれまでの迷いと未来の展望を両方ふくんだ一首でした。
ランドセルは寄付するって去年は言っていたけど、どうする?と聞いても明確な答えをくれないのでまた聞いてみなくちゃな。
なんにしても、半年しか使っていないぴかぴかのランドセルが今、我が家にはあります。
このランドセルはきっと12歳の今、次女を次女らしい姿でいさせてあげることができた証拠であり、心折れずに次の道へと進もうとしてくれた彼女を誇りに思うなによりの象徴です。
7歳の秋、リビングにはいつくばって何時間も幼児みたいに泣いていた彼女を(この子をこのまま過ごさせたら、いつか自分から最悪の選択肢を選んでしまうかもしれない)と途方に暮れながら慰めていた私、心配しなくていいぞ。たぶん、結構なんとかなるから。今のところは、なっているから。
ふたりとも、卒業おめでとう。
大好きです。
どうかこの先、しあわせな気持ちで歩ける道が見つかりますように。