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限界状況の閻裁任務

 烈日が照りつける中、盆の時期を過ぎた現世では多くの人が行き交っている。盆の時期には、地獄の釜の蓋が開いて現世へ亡者が帰るともいわれている。
 盆明けにも関わらず、冥界の役所──閻裁省えんさいしょうの執務室では、黒崎繁くろさきしげるが気難しい表情でノートパソコンと睨み合っていた。
 「……ここ二、三年で冥界へ来る幽魂が多い……というか多すぎる。現世で複雑な事情が絡み合っているのは事実だが、まさかここまでとは……」
 現世の事情に頭を抱える彼に、業野一忌ごうのかずきは苦笑いを浮かべた。
 「その分俺らの仕事が増えるってわけだ。……まぁ、街や現世を脅かす妖の修祓や幽魂済度といった仕事は、俺らの役目だもんな」
 自分達の役目を再認する一忌は、左手に掛けた数珠を爪繰りながら続ける。ソファに腰掛けたまま。
 「あのさぁ……部下達に休みをとらせたのは良いんだけど、仕事抱えすぎだ。無理をして弱ってしまったら、黒崎さんが怨霊や浮遊霊の餌食になっちまうぜ」
 一忌の気遣いを汲み取ったのか、繁はノートパソコンを閉じる。
 「気晴らしに模擬戦はどうだ?」
 「最近は修祓の要請が多いから、次に備えておくか」
 一忌の誘いに応じた繁は、内心で闘志をみなぎらせていた。
 「おっと、罪業管理課から要請が来たんでねぇか?」
 一忌は意地の悪い笑みを浮かべて詰め寄る。生前の罪業と裁判の結果を基に、幽魂の行き先を振り分ける課──罪業管理課から幽魂済度の要請通知が繁達のスマホに届いた。
 「あぁー……どうやら罪業管理課の他に、夜行警備課からも要請来てたようだな」
 意地の悪い表情から一転、一忌は動揺のあまりその場から動けないでいる。
 「模擬戦に関しては、即実戦に移行のようだな。まずは幽魂済度を優先して行う」
 二人は仕事道具の入った竹刀袋と鞄を肩に掛け、宵の街中へ向かった。

 「暑くねえのか?」
 「この服、夏用だが」
 「え、マジで言ってる?」
 「裏地にメッシュが入っているとはいえ……暑い」
 熱気を帯びた夜の風が、黒地の道服と袖口に燐火があしらわれた鈍色の装束をなでる。
 二人が歩みを進める繁華街では、道行く人が足を止めていた。
 「あのお二人は、夜行警備課からの連絡で任務中か」
 「お盆の時期は現世に帰っている幽魂が多いけど、その間も仕事していたとはねぇ……無理をしないで欲しいわ」
 「俺らも現世と変わらない生活しているけど、黒崎さん達にはホント感謝しかねぇよ」
 歓談を小耳に挟んだ繁達は、軽く会釈を交わした。
 「ところで黒崎さん、彷徨っている幽魂は?」
 「それなら、さっき人だかりの中で見つけて保護した」
 「あの人だかりの中で、一体どうやったんだよ」
 「幻影で幽魂を導いて、結界術で魑魅すだまが触れられないようにした。あとは修祓任務だけ」
 「よくしれっとできたな……」
 人だかりの中で彷徨う幽魂を済度した繁は、雑居ビルに足を運ぶ。

 古びた雑居ビルの一角にある部屋に着いた二人は、それぞれ下準備に取りかかる。
 「ここに修祓対象が来たら、結界を張る感じか」
 「ああ。監視網に引っかかった所を、夜行警備課が発見した。それも永年の怨みを抱えた、度し難い魑魅。心して臨め」
 繁の言葉に、一忌は覚悟を決めていた。
 「おぉマジかよ……分かった。それじゃあ、任務始めるか」
 彼らの眼前には、怨嗟の眼差しを向ける魑魅。
 繁は道具を右手に、数珠をかけて意識を集中させている。彼の挙動に応じて、三鈷杵を構える一忌。

 繁は結界術ごとに異なる真言を唱え、五種結界の第一──地結じけつを張り、場の結界を定める。
 その後、四方の守りを固める四方結しほうけつ、上からの魔障を退ける虚空結こくうけつ、炎の結界術である金剛炎こんごうえんの順に真言を唱え結界を張る。
 建物の床と天井にモヤのような影が走り、建物全体を覆い隠すは炎の幻影。
 彼は後ろに控える一忌を一瞥し、再び意識を集中させた。
 「──オン・ショウギャレイ・マカサンマエン・ソワカ──重結大界じゅうけつたいかいを以て、五種結界の下で判決を下す時が来た。業の深き幽魂よ、汝自身の罪業に飲まれていると見受けた。……その業もろとも、断罪してくれよう」
 二人は低い声で言を紡ぐ。結界を張り終えた時、その強力な効果があってか、魑魅は呻きを上げていた。
 『うぅ゛……ア゛あ゛あ゛ア゛ア゛ア゛あ゛あ゛ァ゛ァ゛ァ゛!!』
 「……相当な往生際だったんだろうな、怨みが籠ってやがる」
 一忌にふと向けられる、怨みの矛先。顔の近くに拳が突き出された。
 「うおっ?!」
 彼は三鈷杵で咄嗟に受け流す。
 「業野、三鈷杵と羂索でそのまま抑えてくれ! 状況によっては薙刀で強制的に祓え!!」
 「はあ゛あ゛あ゛!? なんか策はあんのかよ!? このままだと、黒崎さん取り憑かれて詰むぞ!!」
 無茶振りともとれる繁の言動に、一忌は焦りと苛立ちを滲ませる。
 一忌が魑魅の動きを抑える間、繁は錫杖で薙ぎ払った。柄に数珠が触れたことで、さらに霊力が増幅された。
 建物全体に魑魅の絶叫が響く中、繁は錫杖をかざす。その表情に差す、僅かな哀愁の影。
 「其方の業があまりにも深すぎる故に、祓わざるを得ない」
 束縛されても尚足掻く魑魅に下される、無慈悲な一振り。繁の洗練された所作は、魑魅が断末魔を上げる間もないほど。
 任務を終えて結界を解いた後も、彼は依然として一忌に背を向けて佇む。
 「どうした?」
 「業野、先に役所に戻っててくれ」
 「んな事言わずに。俺も残るわ」
 「……わかった」
 ため息のように紡がれた繁の言葉は、虚空に消えた。

 「今回の任務に関して、どう思っているんだよ」
 一忌の問いかけに、繁は渋々といった様子で口を開く。
 「かつてあの幽魂に判決を下したのだが、相当納得がいかなかったんだろう」
 「あぁ……そうだったのか。あそこまで業が深いとなると、いくら黒崎さんでも済度し難いだろ」
 繁は相槌を打って続ける。
 「無論。判決を受け入れればいいものの、先程の幽魂のように蓄積した不満や鬱憤を晴らす為に暴走する者も、一定数いる」
 「そういう輩に関しては、強制的に祓うっつうことか」
 「人倫を外れた者に待つのは、役人による強制執行」
 繁の口から明かされた事実に、一忌は全身から血の気が引く感覚を覚えた。繁に刺客を送り込んだ前科を抱えている為、断罪された幽魂を自身と重ね合わせていたからだ。
 役所に戻ろうとした二人のスマホに、再び通知が届く。
 「今回の修祓任務をこなしてから、やたら同系統の任務が出てきたようだな……」
 「それも、人倫から外れた者や悪鬼まで多岐に渡る」
 画面をスワイプする一忌と繁の手が止まった。
 「……待て、大嶽丸や玉藻前も対象に入っている!! ……玉藻前だって!?」
 「何だと!? あの八尾の妖狐、ついに玉藻前となったのか!! 性懲りもない奴らだ……」
 退治した妖が蔓延る異界──虚牢ころうに送り込んだはずの妖が再び暴れだしたことを受けて、気力が僅かに削られる。
 「業野、まだ任務いけるか?」
 「そういう黒崎さんこそ、余裕そうだな。一連の任務終わったら、飲むぞー!!」
 「酒を飲んでも何とやら、というだろう? 飲みすぎは禁物だ。次の任務行くか」
 繁と一忌は気合いを入れ直し、それぞれの仕事服を風にはためかせて各地を転々と駆けていった。束の間の雑談と共に。

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