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世間噺と惰眠の徒然#5 同窓会

クラスのアイコン

深まりゆく秋のある日、小学校の同期合同クラス会がありました。
同窓会といっていいのかな。
小学生時代、とくに6年生のときは良い思い出がなく
出かけようとは思わなかったのですが
中学校時代に深くつきあった友人が幹事で、強く
誘ってきたので、参加することにしました。

学年全体で120名ほどいた中で同窓会に集まったのは
その半分くらいでしょうか。
思いの外、少なかった。
参加できなかった人々の中には亡くなった人もいるし
事情で参加できなかった人もいるでしょう。

ざっと見てみるに、取りまとめ役が手慣れていて
それをサポートする人々がいるクラスは集りがいい。
我がクラスはどうだったかといえば、10人と少し。
多くはありません。
その中には社会に出てからも、交流のあった男子が
顔を見せると聞いたので、彼に会いたくて参加を
決めたのでした。
恋愛感情はまったくありませんでしたが、ともに戦った
同志のような感情が今でも残っているのです。

彼は5,6年前に脳梗塞で倒れ、半身不随になったと聞きました。

古稀に至ると、いつ何があってもおかしくないと肌で感じます。
しかもコロナ禍という異常事態を迎えれば、なおさら。
なので、同窓会を機にかつての同志に直接顔を見ながらお礼を
言っておきたかったのです。

彼は小学生の時は“ドラえもん”のジャイアンみたいに
粗暴なところがありましたが、男気のある人でした。
大学時代はラガーマンとして活躍。
就職は一部上場企業に内定するも、父上が難病で倒れたため
それを返上し、家業を継いで新宿・歌舞伎町の居酒屋の主となりました。
店は狭くて古ぼけていたけれど、界隈では有名な名物居酒屋でした。
彼は人気者だったので、当然のように店は
同級生の溜り場になりました。
LGBTの人々も在日の人々も、時には文化人も
一緒に彼の懐の中で楽しく酔っぱらいました。
私も時々顔を出す一人でした。
仕事の事で助けてもらったこともあったし
心折れて訪ねると、励ましてもくれました。

彼の母親は継母でした。
小学生の頃に粗暴だったのは、その軋轢があったからではないかと
子供心にも感じました。
しかし、その母とともに居酒屋を営み、その最期を看取りました。
いわゆる“苦労人”です。
ところが、子供たちを社会に送り出し一段落した矢先に倒れました。
コロナ禍の少し前のことです。

さて先日の同窓会では、彼は我がクラスのアイコン
だったのではという話が出ました。
彼は担任から問題児とされていました。
言うことに従わないので扱いかね、同じく扱いにくかった
私と同様に教室で公開処刑の対象になりました。
今で言うところの、教師によるいじめです。
このストレスで、私は月1回ほど登校拒否していました。
この経験はありがたいものではなかったけれど、世の中は理不尽な
ところだと知るチャンスにはなりました。

皮肉なもので、彼女が贔屓にした生徒たちは、卒業後のクラス会に
出席する事はなく。
一度だけ40代の時にクラス会に出たことがありましたが、生徒だけの
二次会で担任に傷つけられた人が少なからずいることを知り
その人々が「あなたが何故クラス全員の前で貶められるのが
理解できなかった」と口々に言った時には、思いがけない事だったし
無防備な場所を衝かれた驚きと、かつての悲しみや憤りが一気に
噴き出して、不覚にも号泣しました。

50代、60代の同窓会はタイムマシンだけど


同窓会の楽しさは「あの人どうしているかしら」と出かけていき
実際に顔を合わせて
「変わったわね」とか「変わらないわね」とワイワイして懐かしさを共有するところではないでしょうか。
太ったとか痩せたとか毛髪の具合によって外見は変わります。
それに驚いたところで、しかし昔の面影を見つけて「変わらない」と言ってみたり。
ちょっとしたタイムマシンです。
それが楽しい。

しかし70歳を過ぎると、肩書が外れた人がほとんどで、それなりの来し方が風貌に滲み出ます。
どんな格好をしていようと、その人の世界観や品格がうかがえるというか。
だから、いい歳の重ね方を問われるし、人生100年時代ならなおの事です。
同窓会では、今を生き、その先へと自分自身を導いている人は、輝いていました。
苦労しても、それを糧として前に進んできた人は、たたずまいに味わいが
あって、傍らにいるだけで心地が良かった。
そういう人々へは、心からリスペクトの念が湧きました。
もちろん我がクラスの“ジャイアン”は後遺症のために杖をついては
いましたが、眼差しは、いっそう温かく深く。
お互いに泣きそうになりながら、再会を喜びました。

自宅に帰ってから考えたのは
自分はこの先をどう生きていくのか。
インドには人生を「学生期」「家住期」「林住期」「遊行期」の
4つに区切る考え方があると聞きます。
今の私は「林住期」の終わりごろ。
会社や社会的な役割をいったん終えて、家族への責任も果たし
自分のための時間を費やす事が出来る年代です。
個人としての成熟をさらに深められる年代ともいえるでしょう。
そのために、西洋占星術の知識を手掛かりに、残された林住期を
充実させたい。
彼岸へ持っていけるものといえば、魂の完成度しかないのですから。

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