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書籍『反共感論 社会はいかに判断を誤るか』

ポール・ブルーム(著) 高橋洋 (翻訳)
出版社 白揚社‏
発売日 2018/2/2
単行本 318ページ‎




目次

はじめに
第1章 他者の立場に身を置く
第2章 共感を解剖する
第3章 善きことをなす
間奏Ⅰ 共感に基づく公共政策
第4章 プライベートな領域
間奏Ⅱ 道徳基盤としての共感
第5章 暴力と残虐性
第6章 理性の時代

謝辞
訳者あとがき
原注


内容紹介、「はじめに」等

 当初、本記事を記すにあたり、本書「はじめに」から数か所を抜粋しそれらを手短にまとめることにより「内容紹介」としようと考えていたのですけれども、なんと出版社のnoto記事が存在し「はじめに」を全文記載なさっているため、その記事のリンクをペタリンコして内容紹介といたします。


レビュー

 『Humankind 希望の歴史 人類が善き未来をつくるための18章』下巻、第10章「共感はいかにして人の目を塞ぐか」にて、著者ルトガー・ブレグマンは本書の一部を引用しつつ「共感」の危険性を鋭く指摘しており、その引用の表現方法に強く惹かれたため、本書を手に取りました。

 
 以下、個人的に学びとなった箇所の一部を引用し、レビューを終えます。

共感は現在のコストを過大評価し、未来のコストを過小評価するよう導く

 (中略)

 その種の効果は、スポットライトとしての共感というたとえを思い起こさせる。このたとえは、共感の擁護者が強調する「他者の苦しみを可視化することで、他者の苦難を際立たせ、リアルで具体的なものにする」という共感の特徴を上手くとらえている。その力を利用して、暗がりで何かを垣間見ようとするのだ。共感力がなければ人は他者を助けたりなどしないと考えている人は、共感のスポットライト的な性質を、そのもっともすばらしい側面だと見なすだろう。
 しかしこのたとえは、共感の弱点も示唆する。共感は照らし出すべき特定の空間を選び出し、残りの空間を暗がりのままにしておく。その焦点は狭い。何が見えるかは、スポットライトを用いてあなたがどこを照射しようとしたかに依存し、そのためそれにはあなたの持つバイアスが反映される。

(中略)

 スポットライト的な性質ゆえに、共感への依存は、倒錯した結果、つまり理性ある人なら誰も擁護しないような結果を導き得る。

 現代社会に生きる私たちは、曾祖父母の世代と比べて共感力が高いというわけではない。私たちは人類全体を家族と考えたりはしないし、今後も決して考えないだろう。他者に対する私たちの関心は、自分がどう感じているかにかかわらず、見知らぬ人々の命にも身内の命と同じ価値があるとする、より抽象的な評価を反映する。スティーブン・ピンカーはその点を、次のようにみごとに説明する。

 旧約聖書は隣人を愛せよと、また、新約聖書は敵を愛せよと私たちを諭す。隣人や敵を愛せば、それらの人々を殺したりはしないはずだというのが、そこでの道徳的推論であるように思われる。しかし率直に言えば、私は、敵はおろか隣人すらも愛してはいない。ならば、「たとえ愛していなくても、隣人や敵を殺してはならない」と教えた方がよい。(……)拡大されたのは共感の及ぶ範囲というより、もろもろの権利が及ぶ範囲である。命ある存在は、自分とはいかに疎遠であろうが、いかに異なっていようが、危害や搾取から免れてしかるべきだという責務の念が発展したのだ。

 アダム・スミスは、さらに巧みな言い方をする。自分の身の上がかくも大切であるように感じられるのに、なぜ私たちは見知らぬ人々を気づかうのかという問いを立てた彼は、自ら次のように答える。「自然が人間の心にともし、自己愛に由来する非常に強力な衝動を抑えることを可能にしているものとは、人間性というソフトパワーでもなければ、か弱い慈愛の閃光などではない。それはそのような状況においてより強い力を行使する、強制的な動機、すなわち、理性、原理原則、良心、心の内なる者、偉大な判事、自らの行動の決定者なのである」

 上記引用箇所と白揚社のnoto記事に記載されている「はじめに」をお読みになり、感じるものがありましたら、ぜひ一度本書をお手に取ってみてはいかがでしょうか。
 面白いですよ。




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