Here we are, entertain us.
ニルバーナの大好きな曲Smells like a teenage spilitの歌詞の中の一節です。
「さあ、せっかく俺らが来たんだから楽しませてくれよ」と言った意味になると思います。恐らくは何かパーティーのような催しものの会場に着いて、ホストに向かって少々皮肉っぽく吐いた台詞のようですね。
私たちはご先祖さまに失礼の無いよう、公序良俗に反する事のないよう、世の為人の為に尽くし、感謝の気持ちを持ち意義ある人生を送りなさい。というのがごく一般的な考えだとは思います。
そうですね、黒澤の『生きる』のように。
けれども私は思います。確かに親が手塩にかけて育ててくれた命、大切にしなければならないと。でも一方で、私達は勝手に親が作り、望むと望まざると関係なく生まれてきた、という考えもあると思うのです。
人生は毎日がパーティー、という訳にはいきませんが、楽しむべき時は思いきり楽しむことも大切だと思っています。
村上春樹さんがよく「踊り続けなさい」という、半ば人生哲学のようなお言葉を吐きますが、とても的を得た良い考えだと思います。
前に書いたように、人の為に尽くすという事もとても大切ですが、それも義務感に苛まれて行うのではハッピーな人生と言えるのか、甚だ疑問に思ってしまいます。
人生には目的がある。我々はそれを全うする為に生まれて来た、という台詞が映画『炎のランナー』に(多分)出て来るのですが、これは極めてキリスト教的な考え方だと思います。マックス・ウェーバーの『プロテスタントの倫理と資本主義の精神』の中で語られる、「隣人愛の実践とそれに伴う利潤の追求」という奴ですね。
確かに美しい言葉です。しかしひたすら他人の為に生き、結果としてではあるものの、お金を稼ぐ為に生まれてきたというのも、なんとも悲しい考えではないでしょうか?キリスト教を否定するものではありませんが。
人生はお祭り。踊らにゃ損ソン。
これでもいい気がするのですが。大人げないわがままな考えでしょうか?自由意思と言うものがあるとすれば、人生の限られた時間を何に使おうが自分の勝手ではないでしょうか?
俺たち、「人生っていうパーティー」に招かれて来たんだけど、たっぷり楽しませてくれないか?
この考えもありだと思っています。
「アンタ人生なめてるね」そんな言葉が槍のように飛んで来そうですが。私は負けません。それが私の生きる道だから。
もちろん踊ってばかりいられない時もあります。私は私なりに既に半世紀を生きながらえました。多くの失敗をし、痛い目に遭って学んだ事も沢山あります。
「私はドジでのろまな亀です」。『スチュワーデス物語』の主人公、松本千秋の常套句ですが、「うさぎと亀」のような人生のエンディングもなかなか面白そうです。
こんな屁理屈ばかり吐いているから、いつまで経っても「ドジでのろまな亀」なんですよね(笑)。
脳科学者の茂木健一郎さんが「不器用な人の方が愛される」というような事をおっしゃっていらっしゃいましたが、私には「憎まれっ子世に憚る」的なしぶとさはありません(でもいぢめられると毒を吐きます)。
愛され惜しまれながらこの世をあとにしたい。
とはいえ、せっかくの人生なので、少し休んだらまたダンスフロアに繰り出すとすることにしましょう。
「ハイスクールはダンステリア」
Girls just wanna have fun.
チャオ