花と散る 4
その家の呼び鈴は、孝子の予想を大きく裏切り、半ば漏電して居るのでは無いかと怯えてしまう程にこれまた普通な音色ではなく、何か大きな間違いを犯して後悔する時の気まずさそのものを具現化しているようだった。孝子は少し驚いて慌ててボタンから指を離した。孝子は何か警告めいた、まるで…そう、その音は「この家に入いるべからず」と孝子に悟らせているかのように聞こえなくもなかった。
その後孝子は、かなり悩み込んだ。もちろんこのままこの家を訪ねるか、この場は一旦立ち去るべきか、という事について。
冷静に見れば見る程に、何か不気味な雰囲気を醸し出すその家の様子は、「西園寺」という名の女性のイメージを極めてダークで得体の知れない不安を煽る存在に仕立て上げていた。
不自然に大きな監視カメラが益々大きくみえ、孝子はカメラとベルを交互に見比べていた。その間数十秒。孝子はカメラが「生きている」と信じてそんな心の動きを悟られないようにレンズに向かって笑顔を見せたが、強張る表情は隠しようもなく、自分が後手に回っている事に焦燥感を抱えざるを得なかった。
何故か孝子の脳裏には、名付け親である母の語る声が響いていた。それはまるで孝子を温かく励まし、襲いかかる愚かな妄想を払い除けるかのようでもあり、孝子が忙しい母親からもらった数少ない「言葉の花束」であった。
「あのね、孝子ちょっと聞いて。孝子っていう名前、このご時世に何だかかなり古ぼけて聞こえるわね。あなたが自分の名前について少しコンプレックスを抱いているの、母さんに伝わってくるの。けれども良く聞いて。人間は大事な選択をする時には、その時々の状況についてよくよく考えてから決断するものよね。あなたには自分のこの良く回る頭で、さまざまな取捨選択を考えて欲しかったの。私はそう願って『考える子』と書いてタカコと読む、この名前をあなたに付けたのよ。困ったことがあっても、あなたの力になるのは他でもない、このあなたの脳みそなの。人生には様々な困難が待ち受けているわね、それは分かるわね。そんな時は立ち止まって考えて。あなたには後悔のない人生を歩んで欲しいの。だから大切な決断をする時には、絶対に人任せにしてはいけない。もちろん人の意見を聞くのは大切、母さんだってささやかなアドバイスくらいはすると思う。だけど最後まで自分の力で考え抜いて。」
それは初めて孝子が受けた入試試験の前夜に、「もうやるべき努力はやった。今日はリラックスしてぐっすり眠る事にする」と宣言し、布団に潜り込む直前に母が聞かせてくれた孝子という名前についての逸話であった。
つづく