人が人を使うインド社会
インド生活は早くも9ヶ月目に突入した。食事や娯楽などもインド在住日本人の方に色々と情報を聞き、少しずつ自分の心地良い暮らしができるようになってきて嬉しい。
しかし、まだ慣れないと感じることがいくつかある。
これから挙げることは良い悪いと判断しているのではなく、生まれてからずっと日本で生きてきた自分にとって違和感を感じるあれこれだということを先に断っておく。
一つ目、人が人を使うこと。
インドは階級社会。ある程度のお金に余裕のあるインド人であれば、お手伝いさんやドライバーさんを雇い、掃除や家事、運転などを彼らに任せる。
カースト制度の歴史を持つインドでは(現在はカースト制度は撤廃されているが、人々の意識の中にはまだ残っている)ジャーティにより、生まれながらにして職業・序列等が決まっている。
そして、一般的に自分より階層が下の人に対する態度が大きい。英語だと「Bossy」という形容詞がぴったりかな。
人は生まれながらにして平等と信じて生きてきた日本人からすると、何も非がない人に対して高圧的な振る舞いをするのは「差別的だ」と感じてしまいそうになるが、何百年とインド社会に深く根を張るカーストの意識は細胞レベルでインド人に身についていて、無意識に態度が変わってしまう。
中・上流階級の人は悪気があってローカーストの人に強い口調で命令している訳ではなく、幼い頃から「人が人を使う」環境で生きてきた人にとってはごく当たり前の感覚なのだ。
外国から来た部外者の私は階級を見定められることもないのでお気楽なものだが、もしインド人の貧しい家庭に生まれていたとしたら、人から常に邪険に扱われるのは耐えられないなあと思う。
「人が人を使うこと」について歴史的背景を理解していても、そこで生まれ育ってない限りは、慣れないだろうなと思う。(逆慣れてしまったら怖い)
インド人にとっては何かを指示できるというのはその人にとってステータスとなっている感じがする。
もちろん、すべての人が横柄な態度をとるわけではないし、謙虚な人もたくさんいるが、中には明らかに自分とインド人に対して接し方が違うなという人もいる。
もう1つ上に関連して2つ目、後片付けをしないことが気になる。
逆に言えば、誰かが当たり前のように片付けてくれて、自分は掃除には手を出さないといういう感覚を持っていること。
例えば、フードコートや野外のオープンテーブルには、食べた後のゴミが置きっぱなし。これは、やはり掃除担当の人がすぐに片付けてくれるからであって、自分で片付けるのが正しいという意識自体がそんなにない気がする。
以前、インド人の友達に「日本の小学校では、掃除の時間があるって本当!?すごいよね、感動したよ!」と言われたことがあった。自分で使った場所の掃除をするのが素晴らしい?当たり前じゃない?と思ったが、使った場所はきれいにして戻すという日本人的なその感覚がインドでは当たり前ではなく、大人になってから後天的に学ぶ美しさなのかもしれない。
世界が変われば常識も変わるんだなあと感じた出来事だった。
最後に、仕事をする上での距離感。
インド人は仕事をする上で自分より立場が上の人の指示は、しっかり守るが、自分より立場が下だと判断された人の指示はなかなか聞かない。その上下関係は在籍年数や実年齢ではなく、主に役職によって決まる。自分より立場が上の人に仕事を依頼する時、自分の上司の名前を出して動いてもらう、ということはどこの職場でもよくやる手段だ。
インド在住歴が私よりもはるかに長い先輩に、動きが遅いインド人(何度もリマインドしないと仕事をしてくれない)について話をしたところ、一度お酒を飲んで話したり、プライベートな話をすると、その後仕事の依頼などがスムーズに進むようになったと聞いた。今まで、仕事以外でのコミュニケーションを積極的に取ろうとしてなかったなぁと反省したが、仲良くなっても自分の指示を聞いてくれるか否かはその人のタイプによると思うので、また難しい。
またインドに来たばかりの頃、人に動いてもらわなければいけない場面で舐められてしまう場合があることも経験した。
インドに来たばかりの頃、ドライバーさんやお手伝いさんに友達のような感覚で話しかけていた。すると大家さんから、「あなたの周りの人全員に親切にしすぎないほうがいい、仲良くしすぎると舐められる」とメッセージがきた。普段上の立場の人から親切にされることがない彼らが調子に乗ってしまうのを避けるためだと言う。当時はその感覚が理解できず、もやもやしていた。
上司の車を頻繁に使わせてもらっていた頃、ドライバーさんと友達のような感覚でおしゃべりをし、距離が近すぎた時期があった。雇用主と労働者という関係を守るためには、ある程度の威厳を持たなくてはいけなかったのだが、彼よりも年下で女という立場もあり、いつからか舐めた態度を取られ始めてしまった。それに気づいてからは、感謝の言葉など最小限の会話のみするようになった。
インド人は日本人のように真面目な国民性ではないので、監視されていないとサボってしまうし、生易しく指示されるだけだといつまでたっても働かないという人もいるので、上で取り上げた「立場が下の人=自分のために働いてもらわなければならない人」に対して強い言い方をするというのもマネジメントの1つの方法として理解できる。
でも人に指示することに慣れていない自分は、今でも距離を縮めながらも威厳を出す、この匙加減が絶妙に難しいと感じる。
不完全なまま着実に前進する国
この国は自分の力ではどうにもならない不条理がたくさんあり、人間は平等ではないのだなと思い知らされる。
自分の住んでいるエリアには広いお庭付きで、大きな犬を飼っている高級住宅がある。そしてそのすぐ隣に自分たちでレンガを積み上げて作った家に暮らす家族もいる。
駅で来る日も来る日もボールペンを売り続けている少女がいる一方で、家族と毎週高級レストランに外食にいくというような子供もいる。
このありえないほどの格差を毎日見ていると、たまに我に返って、狂気を感じるが、貧しい家庭に生まれた子供は自分たちの置かれた環境に絶望しているかと問われると、そうは見えない。少なくとも外からは、逞しく、強く、そして楽しそうに生きているように見える。
目に見えないところまで染み渡る身分の差はインドに旅行で来ただけと気づかなかったと思う。
そして、彼らを見るとこんなに裕福な生活を送っているのにまだ環境に文句を言おうとする自分が小さく思えて、もう少し頑張ろうという気になる。
インドは自分の国に誇りを持っている人ばかりで国全体が前向きで明るい、国としての面白みは計り知れない。強い者が弱い者を制す、まさに弱肉強食のインドだが、こんなカオスな状態でも未来に希望を持って生きている人が多く、そこがインドのすごいところだと感じる。
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