【エチオピアRPG vol.1】 はじまりの。
2008年 4月
スタート地点に立って最初に思った感想は、
「すっぱい」
だった。
空港に降り立つと、乾燥した空気に混じってにわかな酸味が鼻を通り過ぎる。いよいよ異国に来たのだ。
ここは、アディス アベバ ボレ国際空港。
エチオピアにあるアフリカの玄関口だ。物語はここから始まる。
記憶にはないが、勢いでどうやらHARDモードを選択したようだ。
自分は明らかに浮いている。遠目に見てもこの場に「異物」が混ざっているのが、周囲の視線から読み取れる。
さて、ロストバゲージが起きていないだろうか。
日本からエチオピアまでに来る途中、仁川国際空港を経由した。
トータルの時間は18時間程度といったところだろうか。
くたびれるほど長い時間を機内で過ごし、腰も尻も軽く悲鳴をあげている。
これほど長く機内で過ごしたのは初めてだった。
預けた荷物が来るのを待つ。
ロストバゲージの原因はいろいろあるが、出国前に経験談として散々聞かされた。
エチオピアに駐在している人によれば、10往復のうち1、2回は覚悟しておいた方が良いとのこと。だから荷物は分けておくように、と。
5分ほど待っただろうか、預けたエンジ色のスーツケースをピックアップする。ロストしていなかった。
そうして、ボレ空港を後にした。
2008年 3月
「エチオピア行くんでしょ?いいなあ。」
と、同じサークルの同期がいう。
その同期は、大手の電気メーカーに就職を決めていた。大学3年時から所属していた研究室では堅実に研究を進め、大学院に進まないかと教授からの打診もあったらしい。
彼曰く、「研究に打ち込んでわかったのは、俺にはもやしっ子は向かない」とのことだった。
その選択として大手電気メーカーが当てはまったのかは定かではないが、仕事もプライベートも安定しそうという意味では、当たらずとも遠からずなのかもしれない。
「俺はさ、思い切ったことできないからさ。写真いっぱい送ってな。」
私がエチオピアに対して持っていたイメージは2つだった。
1つはコーヒー、そしてもう1つはマラソンだ。
コーヒーは言うまでもなく、エチオピアが起源なのではないかと言われるくらいゆかりのある土地として知られているためだ。
コーヒーチェーン店の軒先にも、エチオピア産と謳ったコーヒー豆を見ることも多い。
マラソンはと言うと、「アベベ・ビキラ」と言うと、ああなるほどとなる人もいるやもしれない。彼はエチオピアのレジェンドだ。
1960年のローマオリンピックにて、なんと裸足にてフルマラソンを駆け抜けきり、見事金メダルを獲得した。
レース後のインタビューでは、
「もう20kmなら走れるね」
と末恐ろしい発言をした。
コーヒーに、マラソン。果たしてエチオピアとはどんな国だろうか。
インターネットや文献で集めた情報を合算しても、国の骨格は浮かび上がってこない。
エチオピア国の歴史も重要なのだろうが、私にとってはそんな大それた野望を果たすために出国するのではない。
「人生経験としてアフリカに行ってみたい」という薄弱な意思決定が行われ、その上でたまたまエチオピアに派遣となったのだ。
期限は2年間。
異国の地で生活するなんて全く想像がつかない。ましてや地球の裏側で。
情報を集めども集めども、そこにいる自分という存在は、エチオピア国から見ると明らかに浮世離れしている。
それでもなお、行ってみる価値はありそうだ。
さて、原寸大なエチオピアをこの目で見尽くそう。
その時、自分は一体、何を感じ、どう挙動するのだろうか。
明らかにHARDモードであることは間違いない。
vol.2 へつづく。