人間関係の失敗からの学び。なぜ互いの主義主張が食い違うのか。
かつて健康ジャンルにおいて様々なセミナーやイベントに参加しました。
断食とかそういうのに手を出したし、
「友人」にビジネスにも誘われたことがありました。
今思えばそれは「友情」からなるものでなくて
「お金でのつながり」によるもの。
ビジネスの話は耳障りのいい話でしかないのだろうだけど、
精査できなかったし
当時は本当に、誘いに乗ることに「友情」を感じていました。
「あの人にこうであって欲しい」願望
「友人」からたくさんセミナーやイベントに誘われるたびに
「友情」を保持したいと思い、その都度足を運んでいた当時。
正直うっとおしいので断ることもできたはず、
だけど断らなかった。
私が「友人たち」に対して
「こんな人であってほしい」という妄想を描いていたから
アデプトになるまでズルズルと
「断らない良い人であること」を引きずることになってしまった。
「友人たち」との付き合いが続く限り、これがずっと続いていた。
思えば人間関係で失敗した時は何がダメだったかっていうと
相手に「こうであってほしい」って思ってたこと。
自分が「あの人にこうであって欲しい」
そう思うってことは、相手も少なからずそう思うってこと。
「こうであって欲しい」っていう応酬を
延々と繰り出してたに過ぎないのだな、というのを
当時を振り返って思います。
相手が必ずしも、自分にとっての都合の良い面ばかり
見せてくれるわけじゃないんだ。
「こうであって欲しい」というのは歪んだ願望だったように思います。
主義主張の食い違い
相手に対して「こうであってほしい」って思うってことは
相手方にしてみたって「あの人はこうであってほしい」
と思っているとなれば、そりゃ食い違いが起きるでしょう。
実際に面と向かって「あなたはこうであってほしい」
って言われたのを想像してみるとわかると思いますが
「なんだこいつは」と思うわけ。
明らかに主義主張が食い違う「友人」から私を
まるで強制的に引き剥がそうとするかのように、
かつてお世話になったコーチと再会し、叱責を喰らう流れがありました。
起業塾といい健康ビジネスといい、
あまりにも一つのものに傾倒し過ぎていたし、
「友情」を信じて疑わなかったから。
終わりに
「なんでそんな胡散臭い話に手を出したんだ」とか
「あなたは騙されている」とか
色々言われるのは覚悟していて、それでも「友達」であろうとした。
そのことが目的地へ行くことの遅延を生み出してしまった。
人間関係は歴史を狂わすというが、本当にその通り。
手を引くところで引けない弱さが「こうであって欲しい」
という思いの応酬に繋がってしまいました。
著しい思い込みというのは
何よりも人間関係ではまずいものだと思います。