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「いのちの木」
昔「いのちの木」というカフェで当事者会をやっていたのだが、
短い間であったが一時期お世話になったことがある。
そのこともあって、およそ7年ぶりにその場所に足を運んだが、、
肝心のいのちの木がやってないので無駄足に終わった。
単なる普通の休日になってしまった。
貴重な休日を使って、一体オレは何をしに行ったんだろう…
平日をちょこまか動けないオレには平日専門店は厳しい、
ということがわかって帰ってきた。
「いのちの木」
いのちの木といえば、カバラを連想させるだろうか。
いのちの木がある、駅前の近くの建物がキリスト教的なテイストを連想させる、
そうした建物が多い印象だった。
その一角に「いのちの木」というのがある。
カバラという教義はキリスト教にも影響を与えたので
「生命の樹」という考え方や用語そのものは
深い意味を知っていなかったとしても、
現代では結構知られている用語だったりする。
まぁ実際に生命の樹のセフィラ、ビナーとかコクマーとか、
それぞれが何らかゲーム作品にも登場しているから
広く認知はされているんだろう。
まぁこのカバラの教義でいう「いのちの木」から取ったんだろう多分。
どうやら平日じゃないとやっていなかったらしく、
土日祝日に来たのが間違いだったようだ。
「いのちの木」目当てで来たんだがやってなかったので
すごすごと帰ることにした。
帰り際に、雰囲気のいいイタリアンレストランに行った。
まあ普通の休暇ってことでいいんでねえのと。
願わくば、もう少しこういう時間が長いといいかなぁ、というところか。
平日働かなくていいならこういうこともないのにな。
救われた魂
たまに思うんだよな、元気かなあって
いのちの木の人たちとか。
いのちの木で開催されていた「当事者会」という
アスペルガーや発達障害に悩まされた人のコミュニティがあった。
私もそれに参加させていただいた時期があった。
非健常者という括りの発達障害の人たちだったが
私にとってはいい人たちだと思った。
健常者の私を受け入れてくれたし、素朴だった。
当事者の人は社会に対しての適合不安があるというが、どっちが不適合か。
意識高い系の界隈はたくさん見てきたが、
この当事者会っていうコミュニティが一番居心地が良かった。
私は今でこそ変わりものな人生として満喫しているが、学生当時はきつかった。
なんで他の連中と違うんだろう、と。
そうした想いの積み重ねが、「自分はアスペルガーでは」と思い、心療内科へと足を運ばせた。
変わり者としての人生がきつかったし、辛いのがわかっても、
馴れ合いなんてできなかったので、それしか歩めなかったのも事実だった。
会社とか学校で居心地がいいはずがなかった。
そんなわけで外に居場所を求めたが、朝活でも起業塾でもなかった。
そんなオレが初めて居心地良いと思ったのが当事者会だった。
あの「いのちの木」に導かれるようにしてやってきたのが、
そんな2年間の間のことだった。
起業塾時代の意識高い系の仲間とか、そういう手合いにグロさを感じて離れ去った。
そんな折に出会ったのが、そこでの当事者会だった。
生きづらいと思っているオレみたいな人間に手を差し出してくれたことが
どんなにありがたかったことか???
総括
結局私はアスペでも自閉症スペクトラムでも何でもない、
にもかかわらず当事者会への参加を許可してくれた、
ということが嬉しかった。
そのコミュニティは平日しかやっていないので参加が長続きしなかったが
今まで行ったどんなコミュニティの中でも指折りで居心地が良い、
そんな場所だった。
皆いい人たちばかりで
「こういう人にもっと早く会いたかった」って思ったし、
自分の周りにもそうした懐が深い人がいる、
そのありがたさは、何にも変え難がかったー。