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社会人になって生きているオウガの「鋼の教え」。
学生から社会人になって、あらゆる局面で
オウガの台詞の重みを痛感します。
「オウガで学んだこと」と題して
幾つかのシーンを振り返りつつやっていきましょう。
「卑怯だ」「嫌だ」と言うだけなら誰でもできる。
だが、それじゃあ戦いは終わらない!
2章のCヴァイスくんの言い分。
会社入って、社会人になってから嫌ってほど痛感するんですけどね。
「嫌だ」「やりたくない」って言うだけなら誰でもできる。
だが、そんなんじゃあ、仕事はいつまで経っても終わらないもんなんだって。
世の中にはやらなきゃいけないことだってある、
それを誰かがやらなきゃギャップを埋められない、
仕事は終わらぬ永久機関となる。
じゃあそのギャップ、誰が埋めるの?
担当者は、自分しかいない。
目の前の仕事が「嫌だ」「やりたくない」って駄々こねられないのが
社会人のツラミ。
仕事が終わらなきゃ、帰宅が叶わぬというもの。
「手を汚した結果どうなった?
人々から笑顔は消え、
代わりに見えるのは恐怖に引きつった表情だ。
自由と言論が奪われ、貧富の差は拡大するばかり。
これが我々の目指した美しい国家なのか?」
3章Lのこのシーン。
社会人になってから嫌というほど痛感するが、
「我慢」が当たり前になる。
お金を手に入れるために、苦手な上司同僚を、
やりたくない案件の片棒を担ぐこと、
時には炎上案件で飛び火してきた作業すら
「我慢」してやらねばならないこともあろう。
そうして我慢することを学び、実践して、押し殺してきた。
いつしか我慢するが当たり前になってきた。
しかしその結果どうだ?
気が乗らない時に栄養ドリンクを大量投入して無理やり戦意を向上させ、
目上や周りの人間の顔色をうかがうばかりで、
子供の頃笑顔だった俺たちの表情は次第に引きつってしまった。
与えられた仕事の内容と自分の本当の気持ちに乖離は広がるばかり。
これが俺たちが生まれてから目指した、本来のやるべき仕事なのか?
「もう4~5年前になるかな。
帝国と戦う前のことだ。
帝国に追われ、各地を放浪しているうちに、
妻は病気にかかってね。そのまま逝ってしまった…。
幾度となく妻のあとを追って死のうと考えたよ。
戦いの前にはとくにそうだった…。
でもね…、そのたびにこのオルゴールが教えてくれる。
命という名の責任の重さをね…。
死んではいけない、自分のまいた種の成長を
見届けなければならないってね…。」
ランスロットさんのこのセリフを写経して泣きそうになった
かくいう私も死のうと考えたことがあった
起業活動がまったくうまく行かず、
それどころか会社の過酷な業務に苦しめられていた時
カルマだと知っていても、それを乗り越えるのがとても辛くて。
毎朝起きて会社出かける時は特にそうだった。
会社の上司に何言われんだろうとか、今日はいつ帰れるんだろう、
やめると言ってもまったくやめられないこの会社を
いつやめれる希望はあるのだろうかと
いつもビクビクしながら、定時が終わるまでずっと待っていた。
いっそ人生終わらした方が楽だと思っていたが、
終わらせることはなかった。
ここまでオレを生かしてきてくれた人の存在が
あったからオレは死ななかった。
死ぬわけには行かなかった。
…というのを、人生の中でとりわけしんどかった時期を振り返って思います。
終わりに
このゲームで刺さった台詞が多すぎて枚挙にいとまがないので終わります。
ヘタな学校の授業やセミナーよりも「学び」としてしっかり生きています。
以上ここまで取り止めのない文章を並べましたが、
ここまでのお付き合いありがとうございました。