心に残ったゲーム「タクティクスオウガ」の心に残ったシーン4選
私にお題・ゲームの話をさせると
口を開けばタクティクスオウガの話ばかりをこぼす。
愛ゆえにということだろうか。
オウガシリーズの生みの親たる松野泰己氏は
自作を通して「人間とは何か」という哲学を描いている。
ゲーム性として面白い面白くないという話のみならず
ストーリーにも心に残ったシーンが多いから
「不朽の名作」と言われるわけで。
あのファミ通でも不朽の名作としてたびたび取り上げられている。
私が心に残ったシーンをいくつかあげてみた。
1・「二人のランスロット」における「本当の自由」とは
ファンの中でもかなりピックアップされるイベントである
「二人のランスロット」。
最適化されなかった人たちが民衆の愚について自論を述べる。
私たち民衆というものは
まるで風見鶏のような存在で
誰かがああいえばこういう、そんな存在だ。
パワーランクが上の人に「カラスは赤」と言われれば
「カラスは赤い生き物だ」というし
そういっておきながら手のひらを返し
「やっぱりカラスは黒だった」と言われれば
「カラスは元々黒いもんなんだ」という。
為政者側である彼らからすると民衆は
「甘んじて弱者の立ち位置にいる」のでなく
「自ら望んで弱者の立場にいる」のである。
現状に対して文句を言っていたいからこそ
弱者の立場にいたがる。
民衆とはそうして保身を図ろうとしているに過ぎないのだ。
ランスロット・タルタロスは「本当の自由とは自分で勝ち取るもの」
「自由になるための行動をせず、文句ばっかり言ってる連中は
為政者に支配されて当然の存在である」
と主張する。
タルタロスはデニムたちにとって
故郷ゴリアテを焼き討ちにした上に自分の父親の命を奪った
まさに「倒すべき仇」として描かれている。
勧善懲悪として描かれているものでないので
主人公サイドからして憎き相手であるにかかわらず
タルタロスを支持するファンも少なくない。
ちなみに後発の作品であるFFTの主人公・ラムザも最終的な自論を
「自由とは与えられるものでない、自ら勝ち取るもの」と
最終章に述べていた。
同じ作者が手がけた一応の違う作品とはいえ
プレイヤー側であるはずの主人公ラムザ・ベオルブと
タクティクスオウガにおける悪役
そして「為政者側」ポジションであるはずの
タルタロスや摂政ブランタと同じような主張である、
というのが実に興味深い。
ラムザとタルタロスらの根本的な思想は異なるであろうが。
2・為政者の資質について
Lルート3章でのデニムと暗黒騎士バールゼフォンのやりとり。
他人をも欺き、自分をも欺く。
そうでなくては為政者は務まらないということ。
「Limitation」が流れるということもあり
ゲーム屈指の熱いシーンである。
リメイクの運命の輪限定ではあるが
Lルートでは数々の苦難を乗り越えて
人としての成長が伝わってくる主人公デニムが描かれている。
このシーンにたどり着く前にLルート3章序盤では
迷いがあるデニムの姿が描かれていた。
ガルガスタン軍の猛将であるヘクター・ディダーロに
その迷いを見抜かれていた。
デニムが後の戦いでディダーロ親子が
枢機卿によるガルガスタン支配を憂えており
内乱の終結を望んでいるという真意を知ると
ヴァレリア島民が内乱終結を望み
ローディス教国による支配を受けない世界を
目指していこうという想いを強くしていく。
こうしてデニムから迷いが晴れていってのバールゼフォンとのやりとり。
デニムの成長が伝わってくるし
ここは実にうまい繋ぎ方だなと思った。
Cルートでは理想に突っ走るあまり
人生の悟りを開いてしまった主人公デニムになっているし
Nルートではいったい何をしたいのか
プレイヤーに訴えかけてくるものがない主人公デニムになっている。
結果として優秀な人材が多く集まるのはLルートになるが
その理由がわかる気がする。
3・海賊とは
「海賊なんてどいつもクズさ。そうだろ?
力づくで奪い、気に入らなきゃ殺す」
海賊と名乗るものの定義について
運命の輪で追加された海賊ディエゴ・G・アゼルスタンのセリフ。
絡んできた海賊ラグナルに対して
一言二言多いと返した時。
海賊なんだったら威勢だけいいことをゴチャゴチャ言わずに
行動に移しなさいよというお話。
自分から海賊と名乗る者に
いわゆる「正義の味方」的な連中はいないという思想であろう。
タクティクスオウガの世界なんか力こそが正義の時代なわけで
海賊による略奪などは当たり前のようにある。
現代でも海賊は商船に対して攻撃したりなどの行為を行なっている。
某有名海賊マンガに対する松野氏なりの思想だろうか………?
そういう意味で心に残ったシーンだった。
某海賊マンガについては思うところがあるのでおいおい取り上げてみたい。
4・ザエボスの演説
ガルガスタンの将軍ザエボス・ローゼンバッハの演説はファンの間で有名。
「英雄と呼ばれた貴様がなぜ、
解放軍に追われているかやっと分かったよ。
公爵は貴様のことが嫌いなのさ。
貴様のように手を汚さず
綺麗事ばかりを語り、
美味しいところだけを盗む……。
汚い仕事は他人任せで、
理想や正義をちらつかせる………。
それが貴様だ。
やがて民衆は公爵を見限り、
貴様を支持するようになるだろう。
公爵より「汚れていない」からな。
しかし、それも束の間だ。
貴様のどうせそのうち「汚れる」さ。
くっくっくっ………。」
散り際の捨てゼリフでもやはり悪態をつく。
「貴様はなれるんだろうな……?
ふふ、なれるんだろうな…………
正義ヅラした………偽善者に………」
「正義の味方」を自称する連中は
私たち民衆に「大義名分」というニンジンをぶら下げ
裏では「悪」と定義された側の人間とやってることは大差無いということ。
Cルートデニムはザエボスに何も言い返せずに終わる。
「汚い仕事は他人任せで理想や正義をちらつかせる」
コレってまんま前作の「伝説のオウガバトル」で
プレイヤー側がやっていたことなんだよな…
戦闘専門の部隊に暗部は丸投げして
解放部隊で民衆の支持を得ようとするというね。
どのルートに進んでも将軍ザエボスは
デニムの痛いところをついてくる。
あっぱれな武人として描かれるのだが。
戦闘中の口論で珍しく言い返せないデニムを垣間見れる。
自覚しているのだろうか。
終わりに・心に残ったゲーム・タクティクスオウガ
心に残ったシーンが
運命の輪で追加された要素になった。
やはり心に残った、かつ今でもやってるゲームだけに
長くなってしまう感は否めない。
果たしてオウガバトルサーガは完成するだろうか。
私はその結末を見届けることにしたい。