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理念



「なぜやるのか」論争。これはどうすれば見つかるんだろうな。
いや、いつかは考えなきゃならないことなんだけども。
これが見えない限りは、起業活動にしても
何かイベント立てるにしても、しゃーねーなとは思っている。

現に決まらないわけなので。
なんでやれないんだろうなってずっと考えたけど、
会社とか忙しいって理由はあるんだろうけど、それは建前でしかない。

活動しなさいと言っている人たちに
ただただ萎縮してやってるだけかもしれない。

「起業やりたい」っていうだけなら誰でもできる。
そして、起業をやるだけなら、やっぱり誰でもできる。
だが、それが続かないのが問題なのだ。

一番大事なのは「なぜやるのか」なんだ。

「やる理由」


「なぜやるのか」

私の今までの活動からそれを考えた。

本当は素晴らしい価値があるのに社会から見限られるものは少なくない。
誰にも見向きもされない、廃れていく一方のものがある…
そう言ったものに「再生」の芽を与え
新たな価値をもたらすものに再創造すること。

「再生」のシンボルを持つ私の役割でもあるのかなと言うふうに捉えている。

人生のゴールというのはひとえに自分の持つシンボルに書いてあるのでないか。
古いものに引導を渡すということも同時に含まれているが。

そう、時代の流れによって廃れていくものもある。
黒電話をいまだに使っている家庭はおそらくないわけだし、
新聞も廃刊の流れになっている。

時代の流れとともに忘れられゆくものもある。
それは致し方ないこと。土星という時間を支配する星がある以上、時間制限というものもある。

しかし中には価値があるに関わらず縮退を余儀なくさせるものもある。
例えば昔ながらの味噌作りみたいなやつ。
廃れてやむなしなものもある一方で
良きものが廃れ忘れられる、
ということもある。
そこに再生の芽をあてがえないか?
という想いがあって。

そこにどこまで協賛できるかってのがポイントかなぁ。
再生のエネルギーもそうなんだけど。

一番難しいのは「やり始める」より「継続する」こと


物事においてはやり始めよりも、継続することが一番難しいのだ。
誰でもスタートアップはそんな難しくないが、なんか理由をつけては
それをやめてしまう。

そんなわけで活動というのは色々考えるべきこともある。
「やる理由」がないと、絶対に折れる。

いつだって順調じゃないので、そういう時に折れてでもやれるかどうか?

もし自分の中に「なぜやるのか」が見えたら?
うまく行くかは知らん、
ただやらないで後悔するより、やってから後悔したい。
挑戦したいと思わせてくれた。

まあ失敗するリスクはあるし怖いは怖いけどね。

どういう表現者でありたいか?
というのをやり続ける、継続するというのが一番難しい。

続けられないから、皆折れる。
今まで、何人そんな人がいただろうか?

だから続けることは難しいし、折れることがあっても折れない理由が欲しい。
それが見つからない限りは活動を一旦止めてもいい、
というふうに私は思った。

総括


再生のエネルギーを司る私がすべきなのは、そこに再生の種を植えることなのだと。
なんで縁もゆかりもない私がイベントやろうと言い出したのかで言えば、
いいものだが廃れゆく、見向きもされないのっていくらもある。
そうしたものに価値があるのは知っているし、
そのまま廃れていくには惜しいと思って働きかけたものはいくつかあった。

天文学的に難しいことかもしれないし続かないかもしれないし。
見向きもされないものの価値を再創造するのが私の役目ではないかと思った。

何もせんと廃れる、人々の心からも忘れられるかもしれない土地。
私のゆかりのある土地である柏崎を含めて
そういう土地を見てきた。
私が見てきた会社でも、素晴らしい人間性を持ちながら
見向きもされない社員というのもたくさん見てきた。
だが廃れようとしているそれというのは光るものがある、
確かな価値がある。そのまま死に絶えるには惜しい。

そうしたものに「再生」の芽吹きを与えるのが
私の「なぜやるのか」に対する答えだが、それじゃ不満かー?

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