⚠️⚠️🍥⚠️⚠️
「⚠️⚠️🍥⚠️⚠️」
出し抜けじゃが儂はラーメン通なのじゃ。ラーメンと言えばなると🍥じゃな。配膳されたらまずは胡椒じゃよ。そして割り箸を割る。この時なるとと焼豚は箸で触るだけじゃ。食べてはイカン。裏返すのは宜しい。そしてなるとと焼豚を目で楽しみながらスープを啜るのじゃ。
はじめは熱々じゃから、麺を1~2本摘み啜る。今日日ヌドハラなどと戯けたことを吐かす輩が居るが、それは言語圏の違いから行儀の観念が前頭葉よりの人種が申すこと。日本人たるもの啜り音込み味覚じゃ。思う存分味わうが良い。そして食べ進む頃合いをみてなるとじゃ。
但しこの時、なると🍥の回転を確かめるのが儂流じゃ。仮に🍥(反時計回り)この向きが表としよう、箸で裏返せば当然時計回りじゃな。これはパリティ対称性の破れたこの世界ならではの現象なんじゃ。
もしなるとが薄切りになっていなかったら。、、
儂はこのことを考えると、どうにも大宇宙の中でたった一人ぼっちに佇む儂を観てしまうのじゃ。まぁそんな感傷は端に避け、薄切りではないなるとの考察じゃ。
薄切りではないなると。つまり棒状じゃな。棒状なるとはドンブリの底まで続く。
それどころかドンブリを突き抜け、さらに続き、自動蒸し器へ、その先には自動成形機じゃ。さらに成形される前のスケトウダラやキンメダイのすり身まで続いて居る。
つまりじゃ。🍥は薄切りにしてはじめて色彩と味を一体化して居るのじゃ。裏表が同時にドンブリ上面に存在してはじめて存在を認められているのじゃ。何もこれは屁理屈ではないぞよ。
純正律の面が五度圏で折り重なるこの世界では、陰陽あって存在が確定するのじゃ。双極共鳴ということじゃ。
そして何もこれは🍥に限ったことではないぞよ。音声振動も同じことじゃ。もし複素面で表現する陰側の振動が無かったら、、、考えると恐ろしくなるが、もし無かったら、それは音声として振動伝達できない状態なのじゃよ。、、さて、焼豚をいただき参るかのぉ〜。