全集中鑑賞 俳並連スペシャル ふぁみりあ俳句編
先日発刊されました俳並連三周年句集の中から、恵勇の私的特選を勝手に選出し、チマチマと鑑賞文を書き殴るコーナーです。
今回は『ふぁみりあ俳句』。メンバーの家族や知人を拝み倒して強引に詠ませたかもしれない一句を、どこまで深掘りできるのか。ていうか、ここに挙げた五句(+α)は、完全に素人の域を脱しているし、ここに書いてない句も手練れの雰囲気を醸し出している句が多くありました。選ばれた五句は、瞬間的選者である恵勇の好みであると思って頂ければと思います。
順位を付けてみようかと思いましたが、色々あって今回は叶いませんでした。バラバラに集まった割に、相互に影響を及ぼしていたりして、純粋に単体で評価したくてもできないケースもありました。それは句が自立していないという意味ではなく、むしろどの句も両手を拡げて隣の句と結ばれ合っているような印象がありました。なので、順不動の特選五句、とさせて頂きました。
で、それとは別に、ウチの息子の句の誕生秘話も軽く触れております。
それでは、どうぞ。
恵勇私的特選①
『庭先の小さき指さき天道虫』
いろはにほくと
恐らく本人が一番褒めて欲しいところは、「さき」を3回被せて韻を踏んだとこ(表記にもこだわって)だと思うんだけど、こちらとして一番褒めたいとこは、そこじゃないんですよ。庭先→小さき→指先というカメラワークの絞って行った先に、季語である天道虫を置いたところ。ここが素晴らしい。要するに、季語の見せ方が上手いんです。作者は長男であると書いてあるから、この小さな手の持主は、普通に考えれば弟か妹だろうと想像できる。恐らく縁側辺りから、兄がそれを見つめていて、近寄って行ったら指先に天道虫が止まっているのが見えた。個人的には、最後のコマ割りで、指先の天道虫が翅を拡げて飛び立つところまで、バッチリ見えましたね。
恵勇私的特選②
『そうなんよ二回言う妻桜鯛』
青井ねこのこ
桜鯛という季語の持つ非日常感や特別感が、日常の一コマである妻の口癖と合わされた時に生まれる、絶妙なコントラスト。それとこれを取り合わせようとするセンスが、全くもって初心者のそれではない。「桜」の一字から浮かび上がる、妻の女性的な色みが、どうってことのない日常を鮮やかに覆い尽くしていく。
恵勇私的特選③
『さくらわかばたこやききらいなんだよな』
おさない陽乃
この句は葉桜じゃなくて桜若葉なのが良いんだよな。まだ初夏の、桜の木がある神社みたいなとこで、お祭りとまではいかないけど、ちょっと露店とか出てるイメージなんだよな。それで、何食べようかなって考えてるんだよな。それはそうと、ウチの子も、たこやききらいなんだよな。正確には、たこやきというか、たこがきらいなんだよな。まあとにかく、子どものリアリティに溢れた一句なんだよな。
恵勇私的特選④
『薔薇である事を知らずに切られけり』
半熟かさぶた
薔薇は、自分自身に向けられた評価を、一切知らぬまま切られていく。綺麗だとか、派手だとか、危うさを孕んでいるとか、有名だとか、俳句においては初夏の季語である事も知らないのだ。切られた後、それらの評価を薔薇は理解するだろうか。そして、それならば切られたくなかったと、自らの生に執着するのだろうか。たった17音の客観的事実から、そんな事まで思いが及ぶのは、それを切り取るだけの俳人の目があったと言う事だ。
そんなわけで、この句は素晴らしい。しかしながら、同時に物凄く惜しい。俳句は省略の文学だという観点から、「薔薇である事を知らずに」は「薔薇と知らずに」とほぼ同義である事に触れなければならない。浮いた5音をいじり倒す事で、自身のオリジナリティとリアリティを倍増させるだけの余地が、この句には残されている。
これを推敲できれば、一線級で戦えるだけの素材になると、声を大にして言いたい。
恵勇私的特選⑤
『内定が出たよピンクの薔薇きれい』
しゃぼんるる
薔薇に対して正面切ってきれいと言うのは、勇気の要る事なんです。でも、それをありきたりにしていない工夫が、この句にはあります。ありきたりでない、というのはどういう事か。この句は全編口語でまとめる事で、作中主体本人の、生の実体験である事を押し出しています。なおかつ、その語り口と薔薇の具体的な色を明示する事で、主体の人物像まで具体的に見えてきます。そうすると、誰もが薔薇をきれいと思う、その下地を拡げておきながらも、作者だけの体験をオリジナリティとリアリティを持って、読み手に届ける事ができるのです。
ただし、隣にも薔薇の句がある事を見逃してはいけません。このピンクの薔薇は、薔薇である事を知らずに切られた薔薇かもしれないのです。だとしたら、作者の内定は、作者の心理のみならず、この薔薇の定めすら、明るくしたのではないでしょうか。
息子の句
『雪だるまこわして凍っているこころ』
想レベル7
彼には没句がそこそこあるのですが、ご多分に漏れずこちらも、お~いお茶の没句です。この句の背景としては、実際に雪だるまをこわした経験が元になっています。その時に、壊れた雪だるまの外側と、中央部では、固さが異なるというところに着目したのが、そもそものスタートだったと思います。真ん中の方がより固いから、厳密には全て凍っているにも関わらず、真ん中だけが凍っていると、彼の目は捉えたわけですね。俳句は、真実をありのままに描写するのが王道である一方で、事実を詩的に捉え直す事も求められます。こころが凍っているという措辞は、翻って身体は凍っていないという詩的把握を全面に押し出しているに等しいわけです。視点を変えて、壊した本人の心が凍っているという解釈に至る時、自分自身の身体の芯に感じているものは、絶対に『熱』だと思います。ただ単に凍っているんじゃなくて、それを凍ると捉えた時点で、そこに介在する『やさしさ』が、時間をかけてそれをゆっくり溶かしていくのだと、父さんは信じます。
嵐を呼ぶ一句(←既視感)
『死臭すらくれないトング冬椿』
村瀬っ子2
できる事なら、この句について語りたくはなかった。全部語ると論文になるから、断腸の思いで結論を書かずに、問題提起だけに留めたい(小論文)。
ハッキリ言って、この句集の中で、この一句だけ完全に毛色が違う。そして、これを特選にできなかったのは、作者が届けたかった景に、読み手としてどうしても到達できなかったから。
普通に読めば、12+5の二物衝撃だと思うが、もしかして一物仕立てのつもりではないかという気もする。つまり、現時点でこの句は、解釈の幅がかなり大きい。
トングと聞いて思い浮かべるものが、調理道具なのか、火挟みの類なのかで、前者は室内へ、後者は屋外へと、完全に解釈の道筋は分かれていく。さらにその分かれ道は、二物と一物の分かれ道にもなり得る。
二物においては、肉や魚といった命だったものを調理する工程に、死臭を感じる事ができないという解釈に至る。そして、カットが切り替わり、屋外に咲く椿の映像が添えられる。この取り合わせには非凡なものを感じるが、それは作者の意図通りでない可能性もある。でも、これが正解だった場合、作者はトングじゃなくて、命の方を描写しただろうとも思ってしまった。これが書けるなら、それも書けるだろうと思わせるだけの下地がある気がしたからだ。
一方で、一物においては、屋外で使う長い火挟みを携えて、居住区の外周清掃をしている映像が想起された。この場合、死臭ということばの示すものに、どうしても幅が出てしまう。拾い上げたものが動物の死骸である可能性もあれば、落下した椿の花である可能性もない事はない。季語が落椿ではないから、余計悩ましい。個人的には、しばらく前に落ちて朽ちかけている椿の花をイメージした。樹上にはまだ、椿は椿として咲いていて、それを季語として見せているような気がした。しかし、これも合っている保証はない。何故なら、この解釈自体が、この句集の中にある別の句の存在に誘導されて辿り着いたものだからだ。もしそれがなければ、自力でこの解釈へ辿り着くつく自信はなかっただろう。両者の句は、実際には無関係だとしても、何らかの繋がりがあるような気がしてしまう。そうなると余計に、作者自身の意図が分かりづらくなってしまうのだ。この句は恐らく伝えたい景が濃すぎる割に、句単体での情報量に乏しく、膨大な余白を有している。例えるならば、物語の次回予告くらいの量しか、書かれてはいないのだと思う。だから、この句の持つ火種が、他の句のエッセンスから引火して、少しだけ明るくなった景色を、自分は見たのかもしれない。
なんとも不思議な句だ。そんな言い方くらいしか、今はできない。乱暴に言えば、未完の大器という事になるのかもしれない。
要するに、この段階ではこれ以上踏み込んで解釈を進める事ができないのだ。でもそれじゃあ作者がつまらないだろうから、もう一つ全く別の解釈の可能性について、言及しておきたい。
先述の一物パターンで、トングと書いてあるものが火挟みである場合、安直に
『死臭すらくれぬ火挟み冬椿』
にすれば五七五に整うと思った。
しかしながら、作者の中に「くれない」という言い回しに拘りがあったら悪いと思い、少し引いて再度考え直してみた時、ある可能性に気づいてギョッとしてしまったのだ。。
これ、もしかして『くれなゐ』じゃないよね?
『死臭すらくれなゐ、トング、冬椿』
で読み進めると、もはや一物だの二物だのという議論を超越した仕上がりになってしまうんだけど。。
もしや、ミステリー小説の帯ですか?
なんか、迸る鮮血が見えるんだけど、、
怖い!
怖いよ、村瀬っ子2!!
いや、映像じゃなくて、
その才能が怖いよ!!
そんなわけで、作者の真意はともかく、自分はこれ以上、この句に立ち入れないのです。この句だけは、手に負えない気がしたんです。どの解釈が正解でも、または、それ以外の筋道があるのだとしても、あなたはきっと秀才です。親が親なら、子も子ですよ。血は争えないってやつですよ。
念の為言っておきますけど、褒めてますよ(笑)。
ごめんね、一人だけこんな褒め方で。
いやいや、でもスペースでは司会の二人も、くれないが紅である可能性に言及していたし、まさに嵐を呼ぶ一句と言って良いのではないでしょうか。
でもね、これだけは言っておきますけども。
自分にはかなり前から、言い続けて来た事っていうのがあるんです。
つまり
ことばは意伝子である、と。
まだ読んでない人、これを読んでみてください。
いや、宣伝したいわけじゃないですよ。
こういう事実がある事を、ことばを生業にするかもしれない人に、知っていて欲しいだけ。
全集中鑑賞 俳並連スペシャル ふぁみりあ俳句編
【了】
企画、執筆 … 恵勇
俳句出典 … 俳句ポスト並盛連盟『ふぁみりあ』