辻󠄀の供物
辻󠄀家(つじけ)の家系は、代々神主である。
神主という職種は、神社に家族と共に住み込みで暮らす場合もあるのだが、ウチのように神社の近くに自宅を持っている場合も少なくない。私にとって神社は父親の職場だったわけだが、それ以上に遊び場としての側面が大きかった。特に遊具があるわけではないが、隠れんぼや鬼ごっこ、缶蹴りなどの遊びをするには最適だったし、もし何かあっても父親の後ろ盾がすぐそばにあるから、安心して遊んでいられた。しかし一つだけ、子供ながらに不思議に感じていた事があった。
この神社から、南へ一本の道が伸びており、50メートルほど先がT字路になっていて、そこから左右に道が分かれていく形となっている。右には集落があり、左は山道へと繋がっているから、夕刻に神社から家に帰る際は、必ずこのT字路を右折する事となる。我が家はその傍に住む者として、『辻󠄀』の姓を頂いたのだそうだ。
ある程度年齢を重ねるに連れて、少しずつ理解していく事ではあるが、道が交差している『辻』には不吉な言い伝えがいくつかある。異世界に繋がっているとか、辻神という名の魔物が棲み着いているなど、その殆どが子供に恐怖を抱かせるものばかりだ。
この神社の正面にあるT字路は、いわゆる『三つ辻』にあたり、片方は山道に通じている事もあって、夜はとにかく暗くて危ないものだから、大人は子供達への注意喚起を常に怠らなかった。なおかつ我が家は神職に就いているので、特にその役割を強く担って来た。それとあわせて…という事なのか、神社から見た真正面の突き当たりには、地蔵のようなものが一体配置されている。これがとても珍しい形をしていて、女の人がねんねこを二つ羽織り、背面と正面に一人ずつ赤子を抱えている格好をしているのだ。少し俯き加減で、重たそうに前傾姿勢になっているから、正面からはその表情を伺い知る事はできない。地元では子守地蔵と言われているが、全国にある子守地蔵の中でも、実際に子守をしているものは中々お目にかかれないらしい。
不思議な事というのは、この珍しい子守地蔵の事ではない。この地蔵と神社に関わる、ある厳格なしきたりの事だ。
この神社では、夕刻の暗がりの中を帰宅する子供の安全を守る為、特別な決まりがある。それは、子供があの三つ辻を通る際には、必ず二人一組で通らなければならない、というものだった。
私は神主の息子だから、小さい頃より父親からこの件に関して口酸っぱく説明を受けていた。それを要約すると、こんな感じになるだろうか。
あの三つ辻は、必ず二人ずつ通らねばならない。境内に友人を招いて遊んでいたとしたら、お前が取り仕切って、友人を二人ずつ帰しなさい。三人で遊んでいたら、先に二人を帰して、お前は私と一緒に帰れば良い。四人で遊んでいたら、先に二人帰したあと、お前ともう一人が一緒に帰りなさい。五人以上の場合も、必ず同じようにすること。
一人では危ないという理屈は、簡単に理解できる。問題は、何故、三人以上がダメなのかという点だ。
父親にその理由を訊ねると、実に的を得た答えが返って来た。
つまり、この三つ辻の見守り役である子守地蔵が、お腹と背中の両方に二人の子を抱えている事から、『二人の子守をしている』点に因み、『二人までなら守って下さる』という解釈になっているのだそうだ。そう聞かされると、確かに納得がいく。二人の子を抱えている状態で、三人目の面倒まで見させるのは忍びない。
私は大きくなるまで、この言い伝えをずっと信じて生きていた。物心ついた頃には、自分も父親と同じく、この神社に務める決心がついていた。それは、このしきたりを遵守する事を通じて、自分もあの辻󠄀の安全を守る責任者の一人であると、子供ながらに感じていたからに違いない。
私は成人したのち、結婚し、男の子を一人もうけた。妻も神主という仕事に理解を示してくれたので、私は正式に父親の下に付いて、神主の仕事を学び始めた。
仕事も家庭も順風満帆であるように思えた。息子が幼稚園の年長に上がった頃には、「弟か妹が欲しい」と言われた事があった。多少歳は離れてしまうが、夫婦としても家族が増える事に異論はなかったし、私の父親も、新しい孫の顔が見たいと言ってくれた。私達夫婦も、そうなる事を願いながら過ごすようになった。
やがて、妻から妊娠の第一報を受けた私は、即座に父へ報告した。もちろん父は喜んでくれたが、喜びと同時に、少しだけ険しい顔つきをしながら、どうしても私に伝えておきたいことがあると切り出した。私はこの時、どんな言葉が父親から発せられるのか、見当もつかなかったわけだが、なんとなく確信めいた感覚が一つだけあった。
それは、私が子供ながらに不思議だと感じていた、あのしきたりについて、何らかの真実が明かされるのでは、という事だった。
そして、その予感は的中する事となる。しかもそれは、私の想像の範疇を遥かに超える内容だった。
父親は、この神社とあの三つ辻にまつわる真実を、私に語り始める。
その昔、この神社に祀られている男の神様が、正面の三つ辻で女の神様と出会った。二人は恋に落ち、逢瀬を重ねる中で、子供をもうける事となる。しかし、女は子を産み落とすと、別人のように血相を変えて怒り狂い、子供を山へ捨ててしまったのだという。程なくして女は正気を取り戻したのか、男に蛮行を謝り、許しを請うて来た。男も情が湧いてしまっていたのか、女を許しはしたものの、もちろんその理由を問い質した。そうしたところ、女の答えは、こうだった。
「私は双子が欲しかった」
その理由は嘘ではないように思えた。女はそれ以上語らなかったが、女は真に双子を欲していると感じられた。しかし冷静に考えてみれば、おかしな話である。子孫が欲しいのであれば、山へ捨てる行為が行き過ぎているのは、誰の目にも明らかであった。
しかし、男は女を愛していた。少し冷たい影が差したような瞳が、殊更好きだった。女が怒り狂っている時でさえ、そこにあったのは恐怖の感情だけではなかった。
結果として二人はもう一度、子をもうける事になる。しかし子は、また一人で生まれてきたから、再び悲劇が繰り返された。女は怒り狂い、またしても子を山へ捨ててしまったのだ。そして同じように男へ謝りながらも、どうしても双子が欲しいと懇願するのだった。
現代社会においても、双子の出生率は1000人に4人程度と聞いている。一組の夫婦が双子をもうける確率は、著しく低いのだ。だが、女にはそれを願う強い意志があった。男はそんな女の執念に負けて、愚かな事と分かっていながら、またしても同じ過ちを繰り返してしまうのだった。
そんなことを繰り返すうち、四人目の子が山へ捨てられた段階で、男も遂に女を見限る決心がついた。別れを切り出された女は逆上し、その場で真の姿を曝け出した。なんと女は、人間の女に化けた大蛇だったのだ。
山から降りて来た大蛇は、三つ辻に棲み着いて男の神が来るのを待ち、女の格好で男へと近づいていき、子をもうけるように仕向けた。
大蛇は、真剣に双子を欲していた。なぜなら蛇の世界には、人間に化けて生んだ双子を自ら喰らう事で、自身は双頭の大蛇になる事ができるという、言い伝えがあったからだ。しかし、いくら神とは言っても、そう簡単に双子が生まれるはずもない。遂には男から、愛想を尽かされてしまったというわけだ。
大蛇は怒りに打ち震えながら、男に向かって村の子供を全て喰らうと脅した。村を守る為に神社に祀られていた男が、村の子供たちを危険に曝すわけにはいかない。男は咄嗟に、大蛇に嘘をついた。
これからずっと、あの辻󠄀には子供を二人ずつ送る事にするから、お前はその子らの影を喰らうと良い。子供が通る夕暮れ時には、影もたんまり伸びて食べ頃になる。必ず二人ずつ通るから、影も二人分ずつ食べられる。それを繰り返す事で、お前の身体は双子を授かりやすい体質になるだろう。ただし、それには時間がかかる。私はお前の為に、未来永劫子供を二人ずつ送り続けると約束するから、お前も我慢して影を食べ続けてはくれないか。お前のその執念があれば、いつか必ず願いは成就するはずだから…。
大蛇は、男のこの嘘を聞き入れ、山へと帰っていった。その後、男はこの神社に務める神職の家系にだけ、真実を伝承させ、後世へかけて自分の罪滅ぼしを手伝わせる事としたのだ。正面の三つ辻に、大蛇の代わりとなる女の地蔵を置き、表向きはこの地蔵が子の往来を見守るとした。二人ずつ帰るという不自然なしきたりも、地蔵に双子の赤子を抱かせる事で整合性を図ったのだった。
こうして男の神は辻󠄀家を介して、大蛇の機嫌を取りつつも、集落の子らの安全を長きに渡り確保するに至ったのだった。しかし、地蔵が子を見守っているというのは、民を安心させる為の建前に過ぎない。少なくとも、辻󠄀家の家系を継ぐ父や私にとっては、その裏側にある事の方こそが真実なのだ。二人ずつ帰る子の影は、我々が大蛇へ納める『供物』のようなものだからだ。
神社から辻󠄀は南の方角にあり、左に曲がると山、右は集落である。つまり、三つ辻を右折する子供の影は、西日に照らされて東の山へと伸びる。そして、その山にはあの大蛇が、大きく口を開いて待ち構えているという訳だ。
この真実を知って以降、神社から帰っていく子らを見届ける度に、私は罪悪感に苛まれる。限りなく闇に近い夕暮れが、辻󠄀を覆い尽くし、人を影ごと呑み込んでいくように感じられたからだ。
『秋の暮しづかに人を喰らう辻󠄀』
しかし同時に、私には使命感もあった。父も歳を重ねて来ていたし、行く行くは自分が辻󠄀家の中心となり、このしきたりを守っていかねばならない。影だけを喰わせて身辺の安全を図るというのは、実害がないので非常に巧妙な策に思えたが、大蛇の眼を欺きながら、何百年にも渡り継続的に行えるか否かは、我々辻󠄀家の手腕にかかっているのだった。
この『真実』を知っているのは、辻󠄀家でもほんの一部の人間に限られた。私の母は父から話を聞いていたそうだが、私も仕事に理解のある妻にだけは、こっそり話を通していた。そして当然、私が大人になるまで知らされなかったように、まだ小さな長男へこの真実を伝えるわけにはいかなかった。
ある日の夕刻、神社の敷地内には、長男を含めて四人の子供が遊んでいた。例のしきたりに則り、長男は友人二人を先に帰らせたのち、残った自分がもう一人の友人と共に、後発隊として帰宅した。右折する際には、二人の長い影が、あの地蔵を掠めて山道へと伸びていた。
今日という一日が、安全に終わった。私は自分の仕事を片付けると、一人で家路に着いた。真っ暗になりかけた夕闇の中を、真っ直ぐにあの辻󠄀へと歩いていく。もう少しで辻󠄀へ差し掛かるという所で、LINEの着信音がした。辺りは暗くなりつつあり、取り出したスマホの画面は、煌々と私の顔を照らし付けた。
そこには、妻からのメッセージが1件来ていた。産婦人科に定期検診へ行って来た旨が書かれている。続きは電話で話したい、メッセージはそう結ばれていた。私は咄嗟に、「もうすぐ帰るから直接家で話を聞くよ」と返事を返そうとした。
だが、ここで俄に、妙な胸騒ぎがした。妻は私がそろそろ帰宅すると分かっているはずだ。どうしてわざわざ、電話で話したいというメッセージを送ってきたのだろうか…?
ふと視線を上げると、いつの間にかあの三つ辻の目の前まで来ていた。もし近くに人がいれば、その表情がギリギリ分かるくらいの夕闇の中で、俯いている地蔵の顔から、微かに覗く口元の、口角が上がるのが見えた。
次の瞬間、私のスマホが金切り声を上げて、『妻』からの着信を告げた。私は、電話を取る事すらできずに、尻餅をつくと、そのままその場にへたり込んだ。そして、只々、目の前の女の口角が、ぐんぐん上がっていく様を見ている事しか出来なかった。それはまるで、開かれた大蛇の、大きな口のようだった。
しばらく鳴り続けたスマホが、急に押し黙ったかと思うと、すぐに1件のメッセージを受信した。
恐る恐る液晶を覗くと、そこには『妻』から送られてきた、僅か二文字のメッセージが記されていた。
この二文字は、私が全てを悟るのに充分すぎた。
その意味を正確に理解した私は、全ての過去を悔い、全ての未来に絶望するより他なかった。
何百年もの間、辻󠄀家は使命感一つで大蛇を欺き続けて来た。しかし大蛇には、その使命感に勝る執念があった。
本当に欺かれていたのは、我々の方だったのだ。
『辻󠄀の字の床に蛇の影秋の暮』
辻󠄀の供物
【了】
企画、執筆、俳句 … 恵勇
俳句出典(一句目) … 俳句生活〜よ句もわる句も〜
Special Thanks … 常幸龍BCAD