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【物差し】

皆様ご機嫌麗しゅう。先日、Twitter(←意地でも)に復帰しました、恵勇という者です。

今回の復帰に関して、端的にまとめてツイート(←意地でも)しようとしましたが、案の定話が膨らみ過ぎて、Twitterサイズを遥かに超過したことばの塊が生まれそうなので、今こうしてnoteに書き記している次第です。話がとっ散らかって収拾がつかなくなっていくと思われますが、皆様におかれましては、「ま、こいつの事だから、何だかんだ言っても、全ての伏線が綺麗に纏めて回収されるんだろ」と、信じて読み進めて頂けますと、物書き冥利に尽きるというものです、はい(←ハードル爆上げ)。

自分は、俳句ポスト並盛連盟という俳句集団に属している(しかも立ち上げメンバーである)関係で、これまでは周りのメンバーと同じ歩幅を保ってコンスタントに投句してきましたが、今後はもう以前と同じような付き合い方ができなくなりそうです。劇中句というものにこだわりがある自分ですが、物語性を重視したいが故、そもそもそのこだわりを満たす媒体として、俳句は余りにも短すぎました。お前今更かよ…という声が各方面から聞こえます。聞こえますが、むしろ、恵勇を知ってくれている人は皆、そう思ってくれていたのではないでしょうか。現に短歌を勧めてくれる人もいましたが、それでも足りないんだと今は断言できます。まあ、なので、スケジュール通りに投句するんじゃなくて、自分の中にある物語の種みたいなものを、預けられると判断した兼題を選んで投句するようにしようかな、と思っています。

でも、だからと言って、俳句そのものや、それにまつわる仲間との時間の全てを、嫌いになんかなれるはずがないし、それらは確実に今に繋がっています。俳句に不適はありません。それは文学である前に、趣味だからです。投句のペースは著しく落ちますが、好きで続けている以上は、俳句が自己表現の一端を担う、極めて重要なツールである事に変わりはないのです。ただ、自分は自分の物差しを大切にし、それを元に俳句と付き合っていくというだけの話です。

さて、自分は俳句を初めてから恐らく5年以上、俳句ポスト並盛連盟に加入してからは3年くらい経っていますが、俳句ポストの結果においては、飽き飽きするほどの並選の称号を頂きました。メンバーの中には、努力が実って大きな戦果を得た者もいれば、自分と同じようにいつまでも並のまま、並盛連盟の『並盛』たる所以を、如実に体現してしまっている者もいるのが現状です。言い換えるとその事は、連盟の中に勝ち組と負け組の概念を作り上げてしまったとも言えるでしょう。

これについては、各々が多少なりとも感じてはいるものの、あまり露骨には触れられて来なかった事じゃないかなと思います。この際だからはっきり言ってしまうと、結果の振り幅が大きくなればなるほど、勝ち組と負け組を分かつ亀裂は肥大していきます。当然ながらその亀裂は、負け組の方からしか見えないので、何の事やらさっぱり…と思ったメンバーは、勝ち組の人なのかもしれないし、もしくは相当鈍感な人なのかもしれないですね。

三周年のめでたい席に、勝ち負けの話を持ち込んで場を乱すな!とお叱りの声が聞こえてきそうですが、自分はこの集団の立ち上げメンバーでもあり、その辺の問題意識については、誰よりも自覚しているつもりです。決して思いつきで書いているわけではありません。何年もやり続ける中で、並選が指定席となり、その席にしがみつきながらも、後続の新入りに追い抜かれていく度に悔しい思いに塗れてきたのは、自分だけではありません。

ただ、そこにある悔しさに蓋をし続ける方が、よっぽど不健全だと言うのが自分の意見です。心の換気を怠ると発酵が進んで、蓋の隙間から黒い瘴気が漏れ出て来ます。それに当てられると、いかなる組織も不穏な空気を脱する事はできません。それを適度に浄化しながら、素直に「悔しい」と言うだけでだいぶ変わって来るものですが、各々のプライドがその蓋の上にあったり、打ち明けるべき相手を選びきれない人もいるのが現状です。Twitterをやめていた自分の所へ相談の連絡が来る事も、しばしばありました。要するにこの問題は、個々の問題としてだけでなく、連盟全体にずっと横たわっている問題だとも言えます。

ただ、自分はTwitterからその身を脱した事によって、それを主たるコミュニケーションツールとしていた連盟を、偶然にも外から眺める機会に恵まれました。それは個人や組織を客観的に見れるという点で、結果としてプラスだったと思うし、今後はどうせ投句の足並みも揃えられないので、情報の発信や共有については、この距離感を保ったまま続けていこうとは思っています。この文を読んで分かる通り、ついつい長く書いてしまうくせがあるので、何かしら呟くにせよ、決まってTwitterサイズからはみ出てしまうんです。何をするにも、自分にとってTwitterは狭すぎる、それは変わらないですね。

さて、過去には、一句一遊の俳句のおまけとして、お得意の長文を勝手に貼り付けて、パーソナリティを困らせていた自分ですが、その中身は、番組の兼題に沿って作られたショートショートでした。しかし、物語が劇中句の説明に成り下がっているのではないかという懸念がありました。17音で完結できないものを、公的に俳句と言い張る事に、かなり抵抗があった事も事実です。つまり、自分は以前より、劇中句というものの可能性について、実践を交えて模索を繰り返して来ましたが、その是非については、誰よりも及び腰だったのです。

ところがこのスタイルについて、最近になって「別にいんじゃね?」という天使の声が聴こえるようになりました。この謎めいた幻聴のお陰で、自分の作風を劇中句スタイルに振り切ろうと思える事ができたのです。

要するに、俳句だけでなく、その背後にある物語を詳しく見せたい欲求が自己の中にあり、尚且つ自分はその手段を知っているのだから、それを実行するだけで良いではないか、と。

もっと言うと、そんなけったいなやり方をする人なんてほとんどいないんだから、プライド持って堂々とやればいいじゃん、と。それが自分のやり方であり、味であり、才能なんだって、言い切って生きていけばいいじゃん、と。自分の物差しくらい、自分で決めろよ、と。

随分と長い幻聴ですが、そこにある背景について、もう少しだけ補足させて下さい。

9月末に『坊っちゃん文学賞』の締切日がありました。去年某ラジオの某パーソナリティに「送ったらええやん」と言われるがままに始めて、今年は二回目の挑戦ですが、中身はショートショートのコンテストです。本来俳句は全く関係ないはずですが、聖都松山市が奥歯で一枚噛んでいる案件の為、昨年同様、今年も勝手に俳句を捩じ込んでお話を書き上げました。

これがまあ、とにかく面白かった。ショートショートは4000字以内に収めるルールなんですが、17音の俳句を推敲するのと同じで、この4000字を数ヶ月間に渡り、弄って弄って弄り倒しました。相対的評価は知る由もないですが、仕上がりだけでなく、製作過程も含め、かなり充実した創作時間だったと断言できます。

出来上がった2つの作品を無事に応募した後、昨年の敗退作品を読み返してみたところ、今年の出来栄えと大差無かったと感じました。普通はそこで、じゃあ今年のもダメだろうと感じるのでしょうが、自分は違いました。つまり、自分としてはどちらも面白く書けている作品で、それで充分だな、と思えたのです。これまでは、選者や主催者の物差しに弾かれたものに対して、自分でダメな理由を探して、自分で不適格の印を押してしまっていたのだと、その時初めて気づいたのです。

自分の創作したものについて、そこに相対的評価を求めるのであれば、もちろん他人の物差しが必要不可欠です。しかし、まずは自己の物差しにあてがってみて、基準を満たしたものについては、他者の評価はさておき、自分自身が真っ先に褒めてあげるべきだと思うのです。それは、俳句だろうと短歌だろうと、小説だろうと同じ事です。自己満足という概念に気を使っている場合ではありません。

ことばは、自分自身の分身であり、子どものような存在です。子は褒められて伸びるものです。生みの親が愛してやらないで、誰が愛してやるのですか。愛してさえいれば、分かるはずです。あなたの生んだことばが、水を得た魚のように、自由に気持ちよく生きていられる為に、あなた自身が何をすべきなのか。

答えは実にシンプルです。自分の詩にとって、最適な環境を見極めれば良いのです。その為に必要な事こそ、『自分自身の物差しを正確に知る』という事ではないでしょうか。選者や、戦績の優れた仲間の物差しと、自分の物差しが同じだと思っていませんか。それは、とんでもない誤解です。その長さも、目盛りも、色も形も、あなただけのものです。違って当然なのです。

あなたの筆箱に、ちゃんと物差しは入っていますか?確かに、ペンさえあれば、詩は書けます。しかし、物差しがなければ、その純度までは測れないのです。

試しに、あなたがペンで描いた詩を、生き物だと仮定してみて下さい。


それは、生き生きと輝いていますか?
苦しそうにはしていませんか?
塞ぎ込んではいませんか?
淋しそうな眼をしていませんか?
自己顕示欲を失ってはいませんか?






さて、そろそろ最後の段落に入ります。



我が家には、9歳の男の子と、4歳の女の子がいます。ご存知の方もおられるかもしれませんが、9歳の方は父親である自分の影響で俳句の世界に片足を突っ込んだ『想レベル7』。4歳の方は俳句が何なのかも分かってないので特に俳号はないですが、何故か奇跡的に家族三人で岩波に載ってしまった時の名は『ゆうちゃん3才』でした。

先だって、お~いお茶の俳句の結果が発表になりました。我が家からは自分と息子が上限の6句ずつを送りました。その際、いつも俳句の話を横で聞いていた当時3歳の娘が、またしてもポロッと即吟をしたものですから、ついでにそれも送る事にして、家族三人分の結果を待つ形となりました。

予選通過の報せは2通でした。自分と、娘の分だけ。息子は自分だけ予選を突破できず悲しみましたが、敗者復活のシステムもあるので、そこに一縷の望みを託して、その日を迎えました。娘の句は、当時3歳だから詠めたもので、発想がかなりぶっ飛んでいるのに対し、息子が送っていた6句は、自分がアドバイスした事もあって、どれも大人風の仕上がりだったので、本人は敗者復活の線を本気で頭に描いていました。

しかし結果は、想定していた中で最も非情なものでした。息子の句は、結局選ばれずに終わったばかりか、父親である自分の句も入賞を逃し、最終的に娘の句だけが残ったのです。しかも、佳作特別賞。彼女の句は、180万人分の1600人に選ばれました。賞状も、作品集も、句が印刷されたお茶も、何の知識もなく偶然にそれを呟いた、彼女のものです。


『なつがとんでいったらねこがきた』

ゆうちゃん3才


初めてこの句を見た時、自分が持っている物差しには収まりきらない、圧倒的な力を感じたと記憶しています。こんな句が入賞するなんて、お茶の審査の物差しはどうなっているのか、不思議ではありますが、大人の脳では到達し得ない作風のこの句に、高い評価が付いた事は喜ぶべき事だとは思います。しかし、二人の子の結果を並べて見守るべき立場からすれば、単純に片側だけから見て、素直に喜べるはずはありませんでした。


親だから言うのではなく、一人の客観的鑑賞者として、当時8歳の子がそれなりのクオリティの句を詠んでおきながら、何の評価も頂けない事が不憫でなりませんでした。父親の俳句や、プレバト等の番組を通じて、一応俳句の骨法みたいなものを学んで臨んでいた彼には、せめて予選通過くらいの結果が伴って欲しかった。それが正直な感想です。

もちろん、彼の句が落選した理由を探ろうと思えば、いくらでも探る事はできます。しかし、どの句も魅力に溢れており、特に直すべきところもないのに、妹のぶっ飛んだ句があっさり突破した壁を、自分は越える事ができなかったのだという事実が、息子へ重く重く伸し掛かりました。自分は自分で、アドバイスの方向性を誤った可能性を否定できず、もっと子どもらしく作らせるべきだったと猛省したものです。審査側からすれば、これはきっと大人が詠んだもので、子どもの名を借りて送ったものに違いないと、疑いをかけられてしまったのではないか、そんなありもしない後悔に、随分と苛まれました。それくらい、彼の句は高い仕上がりだったと思います。

彼は、母親の足にしがみつき、延々と泣きました。親としてフォローできる事は全てやりましたが、もう何も言わないでくれ、放っておいてくれという感じで、どんな言葉も彼の心へ届かないという状況でした。

この状況は、俳並連の結果発表にも通じる部分があります。次々と特選を獲るメンバーの傍らで、万年並選の無限ループにいる自分の姿が重なりました。大人ならまだしも、まだ9歳の彼の心中は察するに余りあるものでした。この結果は酷すぎる。選者の物差しに弾かれたからと言って、彼の句の力が削がれるわけはないですが、始めたばかりの彼にとって、相対評価ほど大きな物差しはないのです。せめて誰かが、彼の詩を褒めてくれないだろうか、そう思いました。

ただ、これだけは補足させて下さい。

悲しみに打ちひしがれ、経験したことも無い理不尽で巨大な敗北感に、その身を覆い尽くされる直前、彼は妹に向かって「おめでとう」と言ったのです。


立派でした。

立派すぎて、涙が出ました。


悔しさの余り、それが言えない大人を、今までたくさん見てきました。自分もその一人だったに違いないと、強く思いながら、心の中で呟きました。



それを言えた、お前が優勝だよ。
負けてなんかいないよ。



『秋時雨いもうとに一輪の花』
想レベル7


『祝福の明るき泪銀杏散る』
恵勇



彼はまだ、俳句の良し悪しを正確に理解してはいません。しかし、彼は既に自分だけの物差しを持っています。まだまだ小さくて、目盛りもぼやけている物差しですが、それは彼だけの物差しです。

ただ、往々にして子供は、文房具を失くしがちです。だから、それを閉まっておける箱が必要です。

その箱に相応しいものが『俳並連』なのだと、自分は力を込めて言いたいです。句集『ふぁみりあ』に寄せた句は、荻窪での集会に親子で参加した時の事をそのまま詠んだものです。彼にとって、あの晩の事は人生の大きなハイライトシーンだったように思います。ちょうど彼の句が、一句一遊の金曜日に読まれた直後だったので、部屋に入るや否や大歓迎ムードに包まれました。そこから彼は、別れ際に号泣するまで、ずっと笑いっ放しでした。

俳並連の発足から三年に渡り、連盟の内外から、色んな問題を自分は見てきました。しかし、その三年間が作り上げた『絆』は今、一人の小さな俳人の魂を救おうとしています。彼の句も、あの句集には掲載されているので、多くの人の目に触れる事になります。彼は、それを楽しみにしているんです。勝ち負けではなく、各々の物差しで測られた詩の純度を、鑑賞という方法で示す事ができるからです。

家族と絆をその名に冠するこの句集を、皆さんにも是非読んで頂けたらと思います。誰一人として、同じ物差しを持ってはいませんが、あなたのものとそっくりな物差しが、この中にあるかもしれません。

そう。これは、筆箱のような句集なんです。

たぶん、素敵な物差ししか入っていないけど。



『筆箱にペンと物差し星月夜』
恵勇


 

【了】

〈物差し〉

企画、執筆 … 恵勇
俳句 … 恵勇、想レベル7

Special Thanks … 俳句ポスト並盛連盟
〉ヒマラヤで平謝り
〉鈴白菜実
〉コンフィ

参考文献
『俳句ポスト並盛連盟 3rd句集 ふぁみりあ』


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