嗚呼、愛しき4歳男子
わたくし育休中です。コロナウイルス感染拡大防止にともない、4歳の長男は登園自粛しています。なので、0歳児と4歳児と私、平日昼間は3人で過ごしています。
・・・なんてストレスフル。
いつか子供たちが大きくなって私の手から離れていったとき、このいろんな意味で濃密な時間を愛おしく恋しく思うのだろうな、と頭では思いながらも、いまこの現実は、そんな簡単にはいかない。
一緒にいる時間が急に増えて、私が怒ることが増えたからか、その反発で中学生のような反抗をみせる長男。
「は、うるせえな」とか普通に言う。
機嫌が悪いとモノを投げる。
とにかく、朝ご飯を食べる、歯を磨く、着替えるという毎日のルーティンに驚くほど時間がかかる。同じく日課となっている外遊びも、うちを出るまでに時間がかかる。靴下を履く、トイレを済ませる、リュックを背負う、靴を履く、これだけのことにどんだけかかるんだと思う。何年も同じことやってますよね!?と息子の身体をしっかと持ち、揺さぶって本気で問いただしたい毎日。
先日、息子がようやっと右足に靴下を履いたと思ってしばらく様子を伺っていると、もう一足の靴下をもう一度右足に履こうとして「あ、ちがった!てへっ」みたいになっているところを見てしまい、こりゃなんでも時間がかかるわけだわ、と呆れてしまった。
かわいいだけじゃない4歳児。でも、どう悪ぶっても、こちらがめんどくさいと思わざるをえない行動をとっても、かわいいところを隠し切れないのも4歳児。そんなことを書いてみたい。
抱っこはしてほしい
私がキッチンでお昼ごはんを作っていると、一緒に遊んでもらえず不機嫌になって何やらごちゃごちゃ文句を言っているらしい息子。
お腹が空いているのも不機嫌の原因のひとつだろうと思い、さっさとオムライスを完成させようと、シレッと息子を無視している私。
すると、息子がキッチンにやってきて怒り口調で
「つかれたからさ、ちょっとでいいからだっこしてくれよ」
どんなにプリプリしていても、語尾を大人っぽくしてみても、希望は「だっこ」で、しかも「だっこ」という響きそのものが既にかわいくて、笑ってしまう。これだから愛さずにはいられないのだよ。
どんなおにぎり
その日も、息子と私のケンカ後だったので、お互いやや不機嫌で外出。
お昼に何を食べるか、 やはりおにぎりか、と息子に聞いたところ
「やすいやつでいいよ、こんぶでもなんでもいいよ」
こちらを思いやっていることを隠し切れない回答。優しい子であるよ、素直であるよ。
人間て
疲れたので息子を放って録画した『世界はほしいモノにあふれてる』をみていたところ、突然、息子が低めのトーンで
「ねえねえ、なんかさ、にんげんてつらいよね」
え、なぜ、と思って理由を聞いてみると、
ソファに寝転がり、そして起き上がる仕草をして
「こうやっておきあがるとき なんかつらいじゃん」
急な発見ですね。いや、ほんとおもろい。しかもそんなに同意できる内容でもない。
でも、これって多分、私に話しかけたくて、かまってほしくて、 あまり意味なく言っていることだと思う。 健気であるよ。
今日も今日とて虫捕りだ
そんな息子が好きなのは虫。他にもいろいろあるけど、虫が増えてきたこの季節は、とにかく虫である。
この日は『昆虫すごいぜ!』という番組のアリの回をみたあとだったので、外に出ても、とにかくアリにご執心。こういう単純で影響を受けやすいところもおもしろかわいい。
図書館前の広場で遊んでいたところ、アリを手に這わせて
「おれ、ありつかまえてんだ!」
一度に5匹くらい両手に這わせているので、 アリがあちこち移動するのを追い切れず、 胸や肩、リュックにまでアリが這っていて、それを見た私はぞっとしてそのアリ達を手で払ったところ、
「やめてくれよ!おれ、ありつかまえてんだから!」
と、怒る息子。いや、もはや全然手に負えてないですけど。
更に、
「ここであかちゃんうんでもいいよ、あかちゃんうんだらもっといっぱいになるから」
心底やめてくれ…。
ちなみに、私はとにかく虫が嫌いである。この世で一番嫌いと言ってもいいかもしれない。
息子に昆虫図鑑を見せられて「ままはどのむしがすき?」と期待に満ちた目で聞かれても「どれも好きじゃない」と答える。
「しゃしんとって」と言うので…
腕まで登ってきているyo、アリ。
2枚目にはもう腕にいないアリ。
そして同じアリか分からないけど(一体どこに何匹いるのか分からないその状態も怖い)襟元に確認できるアリ。
嬉々としてアリと戯れ、ムツゴロウさんを彷彿とさせるその息子の姿に、 私はふと、羨ましさを覚えたのです。
そんなに好きで夢中になれるものがあるって素敵だよ、と。
子供のこの感じ、とても尊敬する。どんなことでも夢中になって、まさに「目の前のこと」を純粋に楽しむパワー。頭でごちゃごちゃ余計なことを考えず、ただ好き、それが当たり前なのだ。私が見習いたい点である。
カメムシもね
「しんでるけど」と言いながら、カメムシの死骸を大事そうにずっと持っていた息子。なぜ死骸を…という疑問はもう息子には意味をなさない。
しばらくして何気なく様子を見てみると、死骸のはずのカメムシがハネを広げている。 え、どゆこと…と思って息子に確認したところ、 どうやらハネ部分を自分で無理やり伸ばしたらしい。嘘でしょ…なぜ死骸を…という疑問はもう息子には意味をなさない。
「とんでるみたいでしょ」
と言われても。 いいえ、飛んでるみたいではありません、と思いつつ「うん、そうだね」と 答えておいた。
ダンゴムシを20匹くらい虫かごに入れていた日も。
アリを30匹くらい虫かごに入れていた日も。
そしてどちらも翌日、虫かごのなかで死んでいた。
虫が苦手な私にはその点でも辛い日々だけど、 息子の「好き」がどんどん大きくなればいいなと思う。
蟹もね
河川敷で遊んでいたところ
「ねえ、なにかいる」「はさみみたいのあるよ」
と、蟹らしきものを発見した息子。
息子は案外ビビりなもので、随分長い時間、どのようにこの蟹にアプローチするかを逡巡した挙句、ようやく勇気を出して木の棒でつついてみたようだ。
息子の長い迷いに付き合ってくれる蟹の様子から、もはや生きてはいないだろうという私の予想通り、蟹は死んでいて、木の棒で突かれた蟹は静かに川の流れに乗って流されていった。
残念がって終わるかと思っていると、息子はその蟹を追いかけて拾い上げ、脆くなっているため川の流れにより崩れてボロッボロになっている蟹の死骸を持ち、満足そうに
「もう、(うちに)もってかえりたいくらいだよ」
「おれのたからもの」
と嬉しそうに笑う。
へ~、そういう宝物もありなんですね。
もう何でもいいや、私には理解できないいろんな宝物があって、それで息子が嬉しいなら何よりだ。
登園自粛も今月いっぱいかな。ケンカしながらも、イライラしながらも、そして時々、母としてキャパの狭さに反省しながらも、後で思い返せばきっと良き思い出となるだろう毎日を送りたいと思います。