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こじょうゆうやの神代探訪記 #1

はじまり


日本史は、学校の勉強の中でも特に好きだった科目です。世界史はカタカナが多過ぎてどうも馴染めず、歴史の勉強が全部日本史だったらいいのに、と思ったこともありました。

◯△◯⬜︎♢3世

とか言われても、ほぼ記号のようにしか見えず、どうも記憶に残りづらかったのです。

対して、日本史は記憶とすぐにつながりました。

例えば小野妹子は、「何でおじさんなのに妹子やねん!」
坂上田村麻呂は「坂上と田村、どっちが名字やねん! いや、むしろ名前、麻呂なんかい!」と、突っこんで覚えられたというのが大きいでしょう。

いい国(1192)つくろう、鎌倉幕府とかもいい例でしょう。

でも、「◯◯の乱」とか「⬜︎⬜︎の変」とか、背景を知らないまま、年号と対峙した人物だけを記憶するだけの勉強では、歴史を知ったことにはならないことに気づいたのは、30代になってからのことでした。

そのあたりから、ようやくぼくの歴史熱がじわじわと復活してきたわけです。

その頃は、昨今の縄文ブームの火がじわっとつき始めたタイミングでした。ですので、縄文時代や弥生時代に関する見識を深めようとして、博物館で実物を見たり、学術書を読んだりし始めたところ、あることに気がつきました。

「日本の神々って一体いつ現れたんだろう?」

こうして、ぼくの神代探訪はスタートしました。それは同時に、ぼく自身のルーツを紐解く上でも、とっても大切な始まりだったのだと後から気が付くことになります。

神代探訪のはじまりにあたって、ぼくは急にある時期の記憶を思い出しました。

小学生の頃の夏休みは、たいてい父方の祖父母に会いに、家族総出で九州へ向かいました。祖父母の古い家は、やんちゃな時期を迎えていたぼくからすると宝の山で、毎年のように家中を探検しておりました。

ある時、祖父の書斎の机の引き出しの中を漁っていたところ、何だか物々しい雰囲気を醸し出した書類を見つけました。そこにはあみだくじのように、いろいろな名前が線でつながれた紙があって、上へ上へと名前を辿っていくと、突然名前から、「王」とつく人々が現れました。

そして、最後に書かれていたのが、とある天皇の名前でした。


(続)

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