自分の幸福にもっと執着しよう
自分が絶対的センターなのだ!
人から見られる幸せ像に執着するな!
自分が幸福じゃなかったら意味ないじゃん!
まだまだ、社会の幸せ像=私の幸せと
勘違いしている人いない?
有名な資格や、先生と呼ばれるような
肩書きがあったら
そう呼ばれるのにふさわしい人間にならないとって
頑張りすぎてない?
外に見せる自分があってもいいんだよ
というか、いろんな周波数に着替えていい
着替えた方が面白い体験ができる
でも、その度に自分を殺して
自分のセンターからいつも外れて
いつも人からどう思われるか気にしたり
言いたいことが言えないのなら
それって、生き地獄
どんなに世間からうらやましがれていても
それが自分のセンターから外れていたら
受け取らないでいい
外の世界は、一見、良さそうに見えてしまうけれど
ちょっとした心のガチャつきに気づけたら
センターからは絶対に外れない
だから、どんなことするにも
自分を知らないと心のガチャつきに気づけない
これまで仮面をかぶってきた
偽りの自分ではなく純正な自分
それまでは、無理に焦って行動する必要はない
それどころか、自分を知らないまま突っ走ったり
ハウツーに走ったり、おいしい話に乗っかって
あれこれ手をつけてしまうのはすすめない
自分を知れば、やりたいことがわかっってくるから
やみくもに、どんどん登っていくと
途中で怖くなって
現状に戻りたくなる
登山と一緒
思いつきで登るのはあまりにも危険
だけど、それなりに装備してるにも関わらず
まだ、足りないんじゃ?これも必要じゃない?
あれがあるといいよ!あれも便利だった!
人から聞いては、まだ揃ってないからと
揃えることに夢中でなかなか登らないのも危険
また、登ってみたくても面倒くさいもある
「もし、〇〇だったら」が永遠に出てきて
できない理由を見つけて踏ん切りがつかない
その間、先に登った人がいい景色を見て落ち込む
あとは、勇気を出して登ったんだけど
途中で降りてくる人を見て
よからぬ想像して怖くなる
もしくは、家族や仲間がまだまだ下の方にいると
そばにいてあげなきゃってそっちに合わせて降りちゃう
私はそれらのパターンを何回も何回も
繰り返してきたよ、うんざりするほど
登ってないのに、登山の知識はあるから
「これはあかんらしい」「これはいいらしい」
そんなことを調子よく人に言って
なんの説得力もない、わかってるよ
もう、変ポコすぎてダサいよね
ダサいも通り越して滑稽
だから、、先へ行く人たちに対して
心の底から応援なんてができなかったよ
カッコつけて、今ちょっとそんな気分じゃなくて
他に忙しくて・・・言い訳だらけで
人が集まらなかったらいいのに
諦めてくれたらいいのにって
思ってしまうこともあった
同じ場所にいると思った人が
なんだか遠くに行ったように感じて
自分が惨めに見えてくるんだよね
そんな自分だっていいじゃんって
認めることもできなかった
そういうのに許可ができなかったから
そう思う自分を責めて、自己嫌悪
それが表に出ちゃうと、アンチコメント
とか、ちょっと物申したくなって
なんか残しちゃうんだろうね
ズレた自分をセンターに戻してくれるのが
自分の幸福にもっと執着することだった
自分はどうしたいの?どうなったらいいの?
自分が心地いいのは?豊かになる言葉は?
誰かの発信に、配信に、友だちの言葉に
「〇〇させられた」って思ってるうちは
幸せは来ないよ、はっきりいう100%来ない
悪魔が勘違いしてやってきて応戦しちゃうから
悪魔が出た時は、被害者意識になって
自分のセンターを奪われている時
例えば、一緒に暮らす家族に対して罵倒
気に入らない人へのアンチコメント
ラインで、友だちに嫌な返信
それは、全部センターを奪った悪魔の仕業
あなたではない
だから、あなたの存在だけは否定しないで
いけないと後で思ったら謝ればいいの
「ごめんなさい」って、だたそれだけ
そして、自分のセンターに戻っていけばいい
あなたがどんなに最低なことをしたとしても
あなたはここにいていい存在だし
あなたはとっても可愛いらしいの
これまで我慢して頑張って
生きてきたあなただから
純正な自分がまだ顔を出せていないだけ
あなたが無理をしなければ
純正な自分がひょこって顔を出すよ
信じられないかもしれなけど
あなたが笑ったら、世界平和になるって
忘れないでね!!