マタイの福音書13章24〜30節 御国を来らせたまえ⑤「恵みに根を張っていますか?」 2022.7.17 守谷キリスト教会礼拝説教
今日の箇所は、
私たちを動揺させる悪について、
神がどのようにご覧になっているかを示す譬えです。
敵が来て毒麦を蒔いたため、
畑には麦と毒麦とが混在しています。
イエス様によれば、畑は世界のことです(38)。
この畑が、
「すでに」麦が蒔かれ、
「やがて」くる収穫を待っているように、
私たちの世界も
「すでに」十字架の救いが完成し、
「やがて」神の国が完成することを待つ、
「すでに」と「やがて」の間にあります。
神は
悪に対して、慌てません。
「すでに」蒔かれた良い種は
毒麦の中にあっても必ず育つという
圧倒的な自信を、
神は持っておられるからです。
これは、
13章の前後にある別の譬えとも共通することです。
蒔かれた種は、必ず芽を出すのです。
「すでに蒔かれた種」とは、
大自然や
一人一人の人間を通して表される
神の恵みのことです。
これを一般恩寵と呼びます。
What a wonderful Worldという曲は、
ベトナム戦争や
人種差別によって
社会が分断されていた時代に作られました。
悪が支配しているように思われる
悲惨な出来事の中にあって、
神が人々の中に
備えてくださった愛や回復力を歌います。
そして、
「すでに」蒔かれた最良の麦が、
イエス・キリストです。
十字架は、
最良の麦を、
毒麦が覆い尽くすような出来事でした。
しかし、
この方はよみがえらされたのです。
毒麦によっては、
麦の成長を阻むことはできないのです。
「すでに」蒔かれている恵みの一つ一つを
より深い確信を持って受け取るなら、
「やがて」という希望も
より強固にされます。
反対に
「すでに」という確信がなければ、
私たちは悪に対して
小手先で対処することになります。
自分は善と悪を見分けられるという
高慢さによって、
「毒麦を抜き集めるうちに麦も一緒に抜き取る」
ことがあるのです。
だから、
私たちは善と悪が混在する世界を
恐れずに受け止めて、
それぞれが遣わされている場所にも
神の国が来ますようにと
今日も祈りましょう。
神はすべてのことを働かせて益としてくださることを、
私たちは知っているのですから。
【本日の説教を振り返るために】
① 既に与えられている恵みの強さに、確信はありますか?
② 毒麦と思えるような出来事や人について、
私たちはどのように祈れば良いでしょうか?