もう、誰も傷つかないために、世界で一番やさしいスタニスラフスキー・システムの教科書を創ろう!
世界一やさしいスタシスの教科書を創る理由とは?
初めまして、アクティングコーチをしている田中徹(てつ)と申します。
普段、私はプロの俳優さん達に演技指導や役作りのお手伝いをしています。
今日からnoteの場を借りて、「世界で一番やさしいスタニスラフスキー・システムの教科書」を執筆していきたいと思います。
世界で一番やさしく解説して日本でもスタニスラフスキー・システムを俳優や指導者なら誰でも知っててあたり前の新常識にしたいのです。
なぜならば、皆さんの演技力向上に役立つのはもちろんですが、傷つく必要のない俳優たちが無用に傷つけられていく今の環境を変えていけるはずとの想いがあるからです。
なぜ、スタニスラフスキー・システムなのか?
いずれ、納得して頂けるかと思いますが、スタニスラフスキー・システム(以下、スタシスと略します)はあらゆるリアリズム演技メソッドの根幹です。
つまり、今後、あなたがマイズナーテクニックを学ぼうとも、チャバックメソッドを学ぼうとも全てがスタシスのスピンオフのテクニックです。
あるいは特に名前がついたメソッドやテクニックでなくとも、今のその稽古が「形で表現する」演技ではなく、「心から役を生きる」演技を目指しているのならば全てはスタシスから派生しているといえます。
欧米の俳優なら必ず学ぶスタシスですが、日本では名前ぐらいは知っていても、本当に理解できていると自信を持って言える俳優はプロの中にも中々いらっしゃいません。
最近、多いケースは様々なスピンオフの演技テクニックを熱心に学んだものの、肝心のスタシスを理解していなかったせいで返って混乱してしまったという俳優さんです。
だからこそ、初心者からプロまで全ての俳優に是非スタシスを学んで欲しいのですが、スタシスを教える演技教師はかなり少ないです。
また、書籍で学ぼうとすると1500ページを超える分量や難解な用語のため、独学ではその全体像をつかむことも、本当に知りたいことを納得するのも非常に難しいと思われてきました。
そんなスタシスですので、もし、小学生にでも分かるくらいやさしく解説できれば「世界一やさしい」と言っても過言ではないかと思います。
かなり難易度の高い挑戦かも知れませんが、傷つく必要のない俳優たちを守るために、私はこの夢をなんとしても実現したいと思います。
ではなぜ、スタシスが常識になることが、皆さんの演技力向上だけではなく、傷つく必要のない俳優たちを守ることにつながるというのでしょうか?
「演技とは何か?」が曖昧なせいで傷つく俳優たち…
ほとんどの日本の俳優は「演技とはどんな技術なのか?」を納得いくまで教わる機会に恵まれません。
そのせいで、思うように演技できない時、つい自分の人格を責めてしまう俳優が実に多いのです。
もし、演技をするたびに次のような言葉で自分を責めているのだとしたら、次第に演技が辛くなってしまっても当然ではないでしょうか?
私は開放されていない…
私は覚悟が足りない…
私は殻を被っている…
私は鈍感だ…
私は人生経験が足りない…
このような思考は自分を傷つけるだけで演技力向上にはなんの役にも立ちません。
もし、これがピアノや絵画であれば、思うように弾けないとき、人格を責める前に技術の習得や練習の必要性を感じるのが自然なはずです。
まだ、身に着けていない技術が有るのかもしれない…
あるいはその技術をさらに磨く必要があるのかもしれない…
あるいは、使うべき技術の選択ミスだったかも知れない…
本当は演技も上の3点を点検するべきなのです。
ところが演技の場合は、その失敗をまるで自分の人格や性格のせいにして、自分を責めてしまう俳優が実に多いのですがその理由は次の2つだと思います。
「何を?どうすれば?思うがままに演技できるのか?」を納得できるまで学んだことがないこと
そのせいで演技に対してある誤った思い込みを刷り込まれ、日々強化していること
では、ある誤った思い込みとはなんでしょうか?
「役を生きる演技」の秘訣は次回からドンドンお伝えしていきますが、スタシスを学び始める前にこの思い込みだけは払拭しておきたいのです。
俳優が抱えがちな「誤った思い込み」とは?
普段、私はプロの俳優さん達の役作りのお手伝いや演技指導をしています。なぜか年齢層は高めで30代から50代の方が一番多いです。
悲しいことに、そんなベテランでさえ演技への自信を失ってしまったり、演技が嫌いになったり、怖くなってしまったという相談を受けることが少なくありません。
そんな彼らが再び演技を好きになり自信を取り戻すために絶対に欠かせないことがあります。
それは、「演技とはそもそもどういう技術か?」を本当に納得することです。
「演技とはそもそもどういう技術か?」を改めて、というよりも長い俳優人生で初めて「演技とは技術である」という事を心の底から納得できると、知らず知らずのうちに抱えていた誤った思い込みの存在に気づきます。
演技の失敗は俳優の人格の問題ではなく、技術の問題です!
その誤った思い込みとは…「演技の失敗=俳優の人格の問題」という考え方です。
演技の失敗は俳優の人格の問題ではありません。演技の失敗は技術の問題です。
例えば、あなたがピアノを習った事があるのだとしたら思い出してください。最初に何を習ったか…
音が鳴る仕組み、音の鳴らし方、指の使い方、それらを鍛える基礎的な楽譜、楽譜の読み方など。
全ては教えることも学ぶ事も可能な技術です。
まず、技術を教える前に「一流のピアニストにふさわしい性格や人格になりましょう!」などという訓練や指導はありえません。
曲が上手く弾けない生徒に対して技術については一切に触れずに
「覚悟がたりない」
「感情を解放しろ」
「殻をやぶれ」
「人格に問題がある」
などと言うピアノ教師が一人でもいるでしょうか?絶対に居ないはずです。
もちろん、理想を言えばピアニストも俳優も素晴らしい人格を備えていて欲しいです。しかし、人格がそう簡単に変えられるはずがありません。
仮に人格や性格の改造が本当にできたとしても、楽譜も読めず、想い描く音を出す技術を持たないピアニストが人の心を動かす演奏などできはしないのです。
もし、思うがままに弾けない曲があれば検証するべき点は他に山ほどあるはずです。曲の理解や解釈、指の使い方、姿勢、奏法の選択、基礎の見直し、訓練方法など…
演技も同じです。
あなたという楽器を想うがままに鳴らすには、
楽器の仕組みの理解(演技理論)
楽器の鳴らし方(無意識の操作方法)
楽器をならすために必要な感覚の磨き方(五感の訓練)
曲の解釈の仕方(シナリオ読解法)
欲しい音を奏でる秘訣(ビート毎の行動解析)
などを知っている必要があります。
演技は学び、磨いていける技術ということがちゃんと納得できれば、演技を人格の問題にすり替える必要はないはずです。
では、一体いつのまに、こんなネガティブな思い込みが刷り込まれてしまったのでしょう?
思い込みの原因は?まさかの…
繰り返しになりますが、多くの俳優は演技力とはどんな能力や技術なのかを納得いくまで学ぶ機会に恵まれません。
そのせいで、演技力とは「学んで身に着けられる技術」というよりは「生まれつきの才能」と感じてしまうのはむしろ自然かと思います。
確かに、学ばなくても素晴らしい演技をする人もいれば、立派な養成所出身だからと言って必ず素晴らしい演技をするとも限りません。
ですから、多くの俳優は演技が失敗したとき、自分の人間性を疑いがちなのです。
だからこそ、演技教師は演技の問題は純粋に技術の問題であることを強調して伝えなければなりません。
演技力とはどういう技術なのかを教え、磨き方を伝えるだけでなく、演技を見る目や修正する能力を教えなければならないのが本来の演技指導者の役目のはずです。
ところが、その肝心の演技指導者自身もキチンと納得いくまで演技を学んだ経験が無い場合が多いのです。
演技の本質ではなく、○○メソッドのメニューや手順を学んだだけの演技指導者がいます。
驚くことに実際そのメソッドを使って演じた経験が無い指導者も居たりします。ですから、知識としてそのメソッドの訓練メニューを伝えることはできても、なぜ、いつ、そのテクニックが必要なのか分からないまま「訓練のための訓練」に終始してしまいます。
そして、いざ実践で演技が上手くいかないと、結局「演技の失敗=俳優の性格の問題」という誤った思い込みを俳優に刷り込んでしまう指導になっていることが多いのです。
原因は的外れの演技指導
演技の失敗を俳優の人格や性格に問題があるかのように指摘してしまう演技指導は明らかに間違っています。
演技力を向上させるために性格や人格を変えるなんて的外れです。
もし、本当に人格改造が必須なのだとしたら、演技を教えることも、学ぶこともなんと途方もない話なのでしょう。
性格を変えたくて心理カウンセラーに十数年通いながらも、一向に変わらない登場人物たちを映画やドラマでどれだけ見てきた事か…。
そんな大変な仕事を演技教師が担えるはずがありません。少なくとも私にはお手上げです。
私はその俳優の今の人格そのままでありながらも、カメラの前や舞台の上ではまるで別の人格を持ったかのように役として生きる仕組みと秘訣を教えます。
ただし、「身に着けた演技力のお陰でなりたい自分になれた」という人は知っています。
順番が逆なのです。
演技が思うようにいかない時に自分を責める必要は一切ありません。技術を磨く事によって解決できるのです。
ベテラン俳優でさえもがこんな基本的な事を知って安心し、再び演技に立ち向かっていける力を得られるようでした。
勉強不足の演技指導から若い人を守りたい
プロまでたどり着けた人達へのケアはこのような対処療法で良かったのかもしれません。
しかし、最近の映画演劇界のパワハラ・セクハラの告発を見るにつけ、俳優を目指す若い人達までもが少なからず被害者になっている事を知るようになりました。
私にとって演劇とは常に楽しく、かつ神聖なものでした。
特にロシアやドイツの演技教師達の生徒に対する態度は私にとって驚くほど誠実で丁寧でした。私は生まれて初めてリスペクトの真の意味や価値を身をもって知ったかのように感じたものでした。
ところが、日本では映画演劇界の大人たちに酷く傷つけられ、失望し、俳優を諦めざるを得なかった若者達が大勢いらっしゃることを知って胸を痛めています。
稽古場や現場で指導者のパワハラ・セクハラまがいの指導をそれが酷いこと、間違っている事と見抜けず、逃げられなかった被害者たち。
そばで、目撃していて「何かおかしい」と感じながらも、自分の違和感に確信が持てずに助けられなかった人達も多かったであろうことが本当に残念でしかたありません。
俳優を目指す人たちがもし、演技を始めたころからスタシスを学び「演技とは何か?」を知っていれば、指導者に直接「ノー」と言う勇気までは持てなかったとしても彼らが明らかに間違っていると見抜くことは出来たかもしれません。
勉強不足の演技教師達の心無い言葉を額面通りに受け取り、長く痛み続ける深い傷を負わなくて済んだのではと思ってしまいます。
演技とは何かを本当に知っていれば、暴言、暴力、セクハラが俳優や演技の助けなるはずが一切ないことは明らかです。
演技を知らない演技教師達の恐るべき屁理屈
演技を知らない演技教師達がひどい指導を平気でできてしまうのは、
「俳優は様々な経験を表現しなければならない。だから実人生におけるどんな経験も演技の役に立たないわけがない!」との屁理屈を本気で信じているからだと思います。
こうなってくると、どんなパワハラ・セクハラまがいの要求でさえ演技指導として正当化できてしまいますので犯罪まがいのことさえ起きてしまいます。
したがってもし次のような演技指導をする者が居たらその人からは絶対に離れた方が身の為です。
事情によってすぐには離れられないならば、せめて精神的に距離を取った方が良いです。そのままだと自分も演技も嫌いになるのがおちだからです。
勉強不足の演技教師や演出家の特徴とは?
演技ができないのを人格のせいにして個人攻撃する
おまえは才能がない。
人格が俳優に向いていない。
おまえは不感症か?
おまえは覚悟が足りない。
殻を破れ!
もっと、自分を解放しろ!
こんなことも分からないの?バカなの?
上のような発言を真に受けないようにしましょう。暴言は暴力を受けたのと同じダメージを脳に与えるそうです。そして、なるべくその人の元を離れましょう。
勉強不足の演技教師や監督は感情的で怒鳴ったり暴力を振るいます
また、勉強不足の演技教師や監督は俳優の出来次第で感情的になったり、時に怒鳴ったり暴力を振るいます。
よくよく考えてみて下さい。
感情のコントロールは俳優の仕事でも最も大切でデリケートな部分です。
レッスン中に自分の感情もコントロールできない人間が俳優を指導する資格などあるはずがないのです。
もちろん、所属するメンバーと別れたり、居場所を一時的に失う寂しさもあるでしょうし、勇気も必要かも知れませんし、直ぐにはその人物から離れられない事情もあるでしょう。
また、演技指導者としては最低でも、最高の劇団運営者であったり、天才作家という場合もあり得ます。その団体に属している事、戦わない事があなたの人生設計で必要なのかも知れません。
その様な時は、自分の心を少しでも守るため、以下のようにその指導者に内面で語りかけ哀れんであげてください。
「ああ、可愛そうなあなた!あなたは本当の演技を勉強をする機会に恵まれなかったんですね。演技を知らないにも関わらず偉そうに振舞わなければならないなんてとても孤独で怖いのでしょうね。今は怒鳴らせておいてあげますね。」と…
くれぐれも、本気で自分を俳優失格かのように捉えて、自分で自分を傷つけないように注意しましょう。
そして、思うがままに演技できない時は、本来、どんな考え方で、どんな技術が必要で、どう訓練するべきか等をココで勉強してください。
次回からあらゆるリアリズム演技メソッドの根幹スタニスラフスキー・システムを世界一やさしく伝えていきたいと思います。
初回につき超長文になってしまいましたが、最後までお読みいただき誠にありがとうございます。
次回からはもっと気楽に投稿したいと思います。
どうぞ、よろしくお願い致します。
俳優の環境を少しでも良くする一助になればと頑張ります。よろしければサポートお願いいたします。より、分かりやすく、役立つお話を創る原動力にさせて頂きます!