5年前の自分から 障害受容のプロセス
キューブラー・ロスの「死の受容」や、「障害受容のプロセス」を学んだあと、上記記事を再編集したものです。
2019年時点では、このように捉えていたのだなぁ、と自分のことながら懐かしく感じます。
一方で、「否認」、「怒り・悲しみ」、「適応」は、現在も繰り返しプロセスをたどっています。
これからも、人生の転機に差し掛かるたび、きっと同じプロセスをたどっていくのだと思います。
僕は約3年前、仕事でのストレスをきっかけに、不眠や抑うつ状態等の体調不良が生じたため心療内科を受診したところ、ADHDの確定診断を受けた。以下、ADHDと確定診断されてから今日までのことを、障害受容のプロセスに沿って、綴っていきたいと思う。
①ショック
カウンセリング、WAIS-Ⅲを受け(言語性-動作性=25)、「あなたは発達障害、特にADHDの傾向が強いです。」と告げられた時、想像していたよりもショックは感じなかった。なぜならば、ADHDと診断されたことに対して「あー、そっちなの!?」という驚きの感情が大きかったからだ。当時の職場で「急な予定の変更」や「上司の指示の曖昧さ」「手順に対するこだわり」に悩んでいたため、心療内科を受診したこともあって、ASDと言われる覚悟はあっても、ADHDと診断されることは予想外であった(ASDの傾向も強いとは思うが)。それでも、改めて3年前のことを思い出してみると、自分の「性格」と思っていたところが「障害」と診断されて、やはり落胆はしていたと思う。
②否認
それまでの経験において、不注意、集中を保つことが出来ない、多動性、といったADHDの特性については、思い返すと「なるほど」と思うものもあったが、幼少期から今に至るまで「人間だれしもミスはつきもの」、「自分の性格が大雑把なだけ」と楽観視していた。その日から処方されたストラテラも、気休めとしか思っていなかった。このあたり、全く自分の特性や状態を客観視して評価できていない。いざ明確な診断名がつくと、「ADHDで本当に苦しんでいる人に申し訳ない。自分の努力不足が悪いに違いない。」と、途端に否認の態勢に入ってしまった。この期間が3か月ほど続いただろうか。
③怒り、悲しみ
書籍等でADHDのことをよく調べてみると、幼少期から今に至るまで、思い当たる節があり過ぎるほど出て来る。「この本の作者はいつの間に僕に取材したのだろう?」なんて思ってしまうものまである。そして、ASD同様、遺伝性の可能性が高い障害であることを知った僕は、怒りの矛先を両親に向けた。なんの葛藤もなく子供を産んだ親の無知加減に何より腹が立った。エジソンやアインシュタインの親のようにとは言わないが、せめて子供の特性を十分理解して、肯定してほしかった。「なんであんたには友だちができないの!?」なんて言葉、聞きたくなかった。自分の努力不足と思えばこそ「両親から自分への叱咤なのだ」と納得できたことも、「生まれつきの障害」ゆえに苦しんでいたことと分かったときは、両親への怒りが込み上げてきた。「なんで発達障害の遺伝子持っているくせに子供を作ったんだ、馬鹿どもが!!どれだけ苦しんできたか分かっているのかボケども!!」と、衝動性も手伝い、これでもかと罵った。罵った自分にも嫌気がさして、ひどく落ち込んだ。「親が悪い」というこの考え方に1~2年は囚われ続けたと思う(いまだに、どうしようもなく許せなく思うことがある)。
④適応
両親を恨んでも仕方ない、と気を取り直すも、今後どうやって生きていけばいいか分からない。発達障害について「好きなことならできる」などと言う意見も多いが、仕事をやめたところで、アラサーのゆとり世代かつスキルなしに、好きなことで食べていく時間的、金銭的、スキル的余裕の1つでもあるだろうか。そもそも、気力を失った僕にやりたいことなど何もなかった。どうやって生きていこう、死んだほうがいいのではないか、そればかり考えていた。今の仕事では先が見えない上に根本的な解決は望めないと考え、当時勤めていた仕事を退職した。それからしばらくして、学生時代の先輩から、仕事の誘いをもらった。経験のない業界、職種だったが、学生時代を過ごした東京に戻れるということに魅力を感じた。なんとか、東京に戻って働きたい。その気持ちを持てたことが大きな転機となった。
⑤再起
東京に戻って就いた仕事は、福祉、しかも障害を持った子どもたちの支援だった。最初は、自分に務まるか不安だった。自己肯定感を持てない自分が子供たちとかかわっていいのだろうか。でも、子どもたちと向き合うにつれ、仕事に大きなやりがいを感じた。子どもたちからたくさんの気づきをもらった。極度のストレッサーになっていた「仕事」への価値観が大きく変わった。障害への見方も少し変わって、現在は障がい者手帳を取得している。
様々な感情が交錯し、①~⑤まできれいに分けられているわけではないが、概ねこれが現在の私の状態である。将来的なゴールを決めるのはまだ先でいい。その時々で、心の状態も変わるだろうし、また生きている意味を問い直すこともあると思う。生きづらさはそれなりに感じるが、僕のアイデンティティは「発達障害であること」ではなく、「僕自身であること」なので、その都度自分に問いかけ、修正していきたいと考えている。