ある日記「ブーメラントーク」2024年11月21日
帰り道、電車の中ほどに座席を確保して本を読んでいた。最寄り駅まであと二駅のところで、前に立つおじさんが「押すなよ」と大きな声で言った。車内に響き渡る声量で不快感が前面に表れた言い方だった。
隣に立っていたおねえさんが「押してません」と大きな声で言った。断固とした意志が感じられる言い方だった。こちらもまた車内に響き渡った。
おじさんが「押しただろ」と言い返した。早くも怒りは最高潮に達しているようだった。おねえさんが「押したのはそっちでしょ」と言った。それはもう正真正銘の押し問答だった。
おじさんが堪忍袋の尾をセルフで切断した。「馬鹿がよ。押しただろ。よく言うわ。言葉を失ったわ。押したじゃねえか。ブーメラントークすんな。馬鹿がよ。押したくせに」と、数パターンの罵詈雑言が止まらなくなった。意外と悪口は「馬鹿がよ」頼りで、相手を傷つける意図は汲めるものの、イヤ〜な言葉は出てこなかった。きっとおじさんが言葉を失ったからだろう。
おねえさんは無視を決め込むことにしたようだった。それでもおじさんは止まらなかった。「馬鹿がよ。やめろよ。押すなよ。言葉を失うわ。ブーメラントークすんな。馬鹿がよ。本気で言ってんのかよ」と、終わる気配がなかった。「馬鹿がよ」にとびきり感情を込めることで、怒りのチャージをしているようだった。
というか「ブーメラントーク」ってなんだ。おじさんは決め台詞の一つに「ブーメラントークすんな」を採用していた。おそらく自分が言ったことが自分に跳ね返ってくる様を「ブーメラントーク」と名付けているのだろう。今回の場合は、自分が押しているのに相手に「押すな」と言うことだ。ただ、「ブーメラントーク」なんて単語は現代日本にないはずだ。おじさんが独自の情報源で仕入れたか、その場で生み出したか。どちらにせよ聞き馴染みのない横文字揶揄単語だった。
目の前で始まった喧嘩によって張り詰めた緊張の糸は「ブーメラントーク」によって緩和されかけていた。笑うまいと我慢すればするほど口から笑みがこぼれそうになった。おじさんに笑っているのを見られたら「馬鹿がよ」の矛先が僕に向いてしまう。読んでた本で顔を隠し、俯くことで、目の前の喧嘩に困っているのだと自分を演出した。
どんな二人が喧嘩しているのか気になって目線を上げてみた。おじさんは赤茶色の革ジャンを着て、横の髪だけ生える外国人の禿げ方をしていた。おねえさんは長い黒髪を無造作にポニーテールにし、眼鏡をかけて、パーカーにジーンズという出立ちだった。そして、パンパンに詰まったリュックサックを、背負うでもお腹に抱えるでもなく、右肩にかけていた。リュックサックの出っ張りはおじさんの脇腹を何度も何度もつついた。おねえさんの左側を見ると、そこには移動できるだけの充分なスペースが存在した。そう。押していたのはおねえさんだった。
おねえさんが「押してません」と言ったメカニズムはよく分かる。鞄類は必ず持ち主に側面を接着させるため、電車に乗ると角が周りの人達に当たるのだ。持ち主は少し押されたくらいだと思っていても、周りにしてみれば角で攻撃されている。特に、肩掛けの角張った鞄や大きな土産物袋はよく凶器になる。
もちろん、おじさんの怒り方は常識外れで、ぜひともやめていただきたい。しかし、おねえさんも鞄をお腹に抱えるという乗車マナーを無視していた。もし抱えるのが大変なら、網棚か足元に置けば、おじさんに当たって絡まれることもなかっただろう。
最寄り駅に着くと僕は急いで降りた。笑いが吹き出す五秒前だった。ホームに降り立つとスマホで「ブーメラントーク」と検索した。そんなものなかった。僕は一通り笑って、そして帰った。
よろしければサポートお願いします。新書といっしょに暮らしていくために使わせていただきます。