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ある日記「出待ち」2024年12月28日
僕は芸人をやっている。ときたま「出待ち」をしてもらえることがある。「出待ち」とは、ライブや収録後に出演者を通用口で待ち、お話をしたり差し入れを渡したりすることだ。してもいいかどうかは時と場合による。
僕は「出待ち」が嬉しい。応援してもらえてると実感できるからだ。同時に、五分十分お話しするために外で何十分も待たせてしまって申し訳ないと思う。夏は暑く、冬は寒い。お見せしたいもの、お聞かせしたいことは舞台上で出し尽くしているので、いわば空っぽの状態で接してしまうのも心苦しい。でも、嬉しいのだ。
「出待ち」をしていたのに、いつの間にか僕が帰っていたなんてこともあるかもしれない。本当に申し訳ない。こちらから待ってくれてる人がいないか探すのがどうしても気恥ずかしいのだ。もしかしたらと思って視線を向けるのが精一杯で、いつも流しそうめんのように立ち去ってしまう。もしよければ流しそうめんだと思ってキャッチして欲しい。僕が流しそうめんと違うところは、声をかければ止まるところだ。
確実に視線を向けられたのに無視された、と思った方もいるかもしれない。これも本当に申し訳ない。僕は眼の筋肉がよわよわで、真っ直ぐ物を見ることができない。僕が見ているつもりでも、周りからすれば見ていないようだし、逆も然りだ。カメラ目線も苦手で、学校で学生証の写真を撮るときや、卒業アルバムを撮るとき、カメラを見るように何度もカメラマンに注意されてきた。
しかも、人の顔を認識するのが下手で、マスクをされると誰が誰だか分からない。派手な髪や特徴的な服装をされていたらやっと気づけるくらいだ。できれば僕から声をかけたいと思っているが、なかなか難しいのだ。繰り返しで飽き飽きしてるかもしれないが、本当に申し訳ない。
さらには僕の都合でしっかりお話しできないこともある。例えば、「新書といっしょ」のYouTube生配信があって、その準備に追われているとか。予定を立てて前々から用意していれば回避できる事態だが、切羽詰まらないと動けない性格もあり、これも本当に申し訳ないと言うしかない。
この半年、「出待ち」をしていただいて思ったことがある。みんな僕の相方とスケベコンテンツの話をしたいのではないかと。
相方のYouTubeをきっかけに僕らのことを知る方が増えた。供給過多なお笑い界の中でリップグリップを見つけてもらえるなんてすごいことだ。「スケ大チャンネル」とスケベを愛する人々には頭が上がらない。
実態がいまいち想像できないお笑いライブというものに足を運んで、しかも勇気を持って「出待ち」をしたら、そりゃあ学長とスケベコンテンツについて話したいだろうと思う。それなのに、僕がスケベな話についていけなくて、ぽかーんとした顔をしてしまって、話すのをやめてもらっているときがある。これもまたまた本当に申し訳ない。
そんなときは「この先、スケベコンテンツについてじっくり話したいので、岩永さんを占領したい」と言っていただければ、僕は納得して先に帰らせてもらう。冗談に聞こえるかもしれないが、僕は良い選択肢だと思っている。自分だけ一人で帰るのが苦じゃないのだ。
「出待ち」をしてくださっているみなさん。いつもありがとうございます。感謝しても、しきれません。とはいえ、一番嬉しいのは僕が作ったものを楽しんでもらうこと。あなたが楽しめば僕は存在する。あなたがいるからこう言える。僕は芸人をやっている。
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「うちはうち」ゲームを買ってもらえぬも車窓の中は横スクロール
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