昭和と令和の狭間に、居たはずの殿上湯さんへ。
この文章は、令和2年6月の私から令和5年10月の私へ、まさかの3年の時を隔てて書いた、リレー形式の文章です。思いの外、超大作。その理由は、最後まで読んでいただけたら嬉しいです。
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猛烈に、文字に起こして誰かに届けたくなるようなときめく経験がたまに訪れる。今がまさにそのときで、私は番台のお兄さんを横目に、湯冷める前に、とこのnoteを走り書いている。
出会いは偶然だった。ステイホームの合間の散歩時間。ルールはシンプル、これまで歩いたことのない道を選び続けて歩くこと。散歩も後半戦に差し掛かり、角を曲がったそのとき、優しい石けんの香りが鼻先を掠めた。香りに導かれて歩くと、イケてる家紋のような印を中央に配した、大きくて立派な濃紺の暖簾に出会った。
目を取られて思わず立ち止まる。惹き寄せられるままに暖簾をかき分けた奥には番台があった。目が合ったような気がしたけど、入るわけでもないしと、数歩下がってもう一度、端正で古風な構えの建物を見つめていた。
ガラガラっと、内側から引き戸が開いて「これ、どうぞ。」
暖簾の奥から人の良さそうなおじさんが正方形の小さな厚紙を私に差し出して、また引っ込んで消えた。
殿上湯。
暖簾と同じ家紋風のお洒落なロゴと、営業時間などが書いてある。ここは、この町の銭湯らしい。よく見れば、銭湯という言葉とは疎遠な類に思えるインスタのアカウント名が載っている。帰り道に検索すると、何やら只者の銭湯ではない予感がした。迷いなく、今晩の夕飯後に再び訪れることに決めた。
夜8時。家を出て歩き出すも、昼間は気の向くまま歩いていた上に、夕闇で様相の違う街並み。あの場所にまた辿り着けるのか、そもそもあの銭湯は忽然と消えてるんじゃないかとすら不思議な胸のざわつきがしていたけど、それはあの銭湯への期待値の高さゆえだった。
気もそぞろな時間も束の間、あの暖簾を下げた店は夕闇を背して、暖かな光を放ちながらどっしりと構えていた。ドキドキしながら暖簾をくぐる。番台には、昼間とは違うお兄さんが座っていた。大人470円。タオルは無料貸し出し、良心的な価格すぎる。シャンプー・ボディソープも備え付けだった。いよいよ、右手の赤い暖簾をくぐって脱衣所に足を踏み入れる。
ぴたり、と足が止まった。赤い暖簾の先には、令和の面影を持つものは一切、無かった。完膚なきまでに、銭湯とはこうであれよろしくな昭和イズムが隅々まで流れていた。
魔法にでも、掛けられたのか。それとも、湯を沸かすほどの熱い愛の世界に紛れ込んで、登場人物にでもなったのかもしれない。ありもしない想像が次々と湧いてくる。
昭和から生きながらえた備え付けのモノたちが、あら一見さんね、手ほどきは必要かしら?と温かい眼差しを送ってくるようだった。浮き足立つ気持ちを堪えて、趣きのあるロッカーに押し込み、脱衣所から風呂場に足を進めた。
銭湯のイメージを超えて、そのままに体現したような温かい趣き。壁一面の富士山、明るい黄色のプラスチックの桶、水色の高天井(10mはあるかな)。
古くて、どこか懐かしく、年季は入ってるけど隅々まで綺麗に洗われている。なんだか清々しくて、愛おしくて、気持ち良い。
伸びないシャワーで身体を洗った。桶を使おうとバルブを捻るとヘレンケラーの「Water!」(湯)を彷彿とする勢いで湯が流れてきた。
しばらくすると、Staff Onlyの奥まった扉が少し揺れたかと思いきや、想像より随分低い位置から女の子の顔がこちらを覗いた。年端もいかないその子は、手に人形を抱いて、服を着たままとことこ浴室に入ってきた。
あーちゃんだ、思わず心の中で呼んだ。
昼中にインスタで見たこの銭湯の看板娘ちゃんのはずだ。こちとら一糸纏わぬ姿で恐縮だが、思わず声を掛けてしまう。
「あーちゃん?」
女の子は、少し目配せして微笑み、足早に脱衣所の方へ消えてしまった。後ろから出て来たあーちゃんのお母さんと思しき方。看板娘ちゃんのいじらしく、塩寄りな可愛い対応とは対照的に「知ってくださってるんですね」と笑顔だった。
口の周りにチョコの跡を付けてたあーちゃんは、食べるのが大好き、という前評判通りの愛くるしさだった。
湯船に浸かる。地下から汲み上げた天然水を備長炭で沸かしてるらしい。壁一面の富士山を眺めながら、反対の壁に目をやると男湯との境の壁は心なしか低く感じられる。これも殿上湯が出来た頃の時代背景を映し出しているような気がして、うん、面白い。
いいお湯で、うっかり長居したらのぼせるかもしれないと思い、名残惜しい気持ちで風呂場を出た。脱衣所の赤い暖簾を再びくぐって、令和の世界に戻ってきた。
番台の前にある椅子に腰掛ける。天然水が汲めて、これがまた美味しい。入り口の濃紺の暖簾から吹き込む夜風が心地良くて、令和と昭和の狭間に居るような感覚に浸っていた。本棚に鬼滅の刃の漫画があるんだから、令和に違いないけれども。
全ての昭和世代にはきっと懐かしく、平成生まれで令和を生きる私には温故知新を思わせる銭湯体験。
魅力はそれだけではない。
住み込みの若者達が銭湯feat.ほにゃららな企画を打ち出し、次々と形にしているのだ。
隣に泊まれて、お手製のバーがあって、珈琲牛乳、漫画、時には写真展やピアノ伴奏、朝活風呂まである。
いつもと違うことをしてみると、思わぬところに新たな出会いがある。私は、これからも心安らぐ場所に出会えたのかもしれない。
心くすぐるタイムスリップ、ぜひお試しあれ。
ここまで読んでくれた人は、殿上湯さんに私の心揺さぶられた一端を垣間見てくれたのではないでしょうか。
あれから3年ほど経ち、住む街も、仕事も変わって、主たる趣味はいつのまにかサウナになっていた私。温浴施設巡りと風呂上がりのコーヒー牛乳が好きなのは、変わっていない。
足は随分遠のいたけど、殿上湯さんの眩い感動をありありと思い出して、この下書きを見つけたことをきっかけに今頃どうしてるかなと、また行きたくなってインスタを調べた。
本当に、えっ、と声がこぼれて、我が目を疑った。
あんなにも素晴らしい銭湯が、昭和から令和まで愛され続けたあの場所が、もうこの世には無いことを知らせる、更新の止まったインスタグラム。
そして、今の私ならすぐにわかってしまう。
10月10日は銭湯の日、だということを。
外野から僭越だが、その日取りには想いが感じられてついつい切なくなってしまうよ。
3年前に書いた文章をネットの海に放ったとして、結末は変わらなかったのだろうけど、なぜ下書きに眠らせてしまったのだろう、という気持ちが頭を過ぎる。
今、あの場所は。暖簾を変えて後継者が現れたりしたんじゃないかと、淡い望みを願いながらTwitterで検索すると。
2023年10月、まさに今月。
大きなクレーンで、銭湯の建屋もろとも取り壊しの真っ只中だった。あの象徴的な富士山の壁画が外気に剥き出しで晒されている解体現場の写真を見て、廃業は間違いのない現実だと知ることになった。
全くもって、間に合わなかった。
あの、心ゆるまるような風景や体験は、もう二度と手の届かない場所になってしまった。それでも、殿上湯さんのことを、残しておきたいなと思った。
それが何になるでもない、何にもならないことだけど、65年間も殿上湯さんを大切に経営を続けてくれた方々や、可愛い看板娘ちゃんに、いつかどこかで届くといいな、と思ったりする。
いつか、はなるべく、今、に代えて。
小さな後悔を減らせるように、過ごしていきたいなと思わされました。
殿上湯さん、本当にありがとう。