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寺尾紗穂「天使日記」より①

寺尾紗穂さんの最新エッセイ集『天使日記』(スタンド・ブックス/2021年)が、前作『彗星の孤独』とともに電子書籍化されました。

電子書籍発売を記念し、本書に収録されている表題エッセイ「天使日記」(p63~p118)より、序盤(~p79)を5回に分けて転載します。

第1回は冒頭から「2017年4月5日」(p63~p68)までです。

寺尾紗穂『天使日記』収録「天使日記」より一部転載

天使日記


 もうあの日から一年が過ぎた。二〇一七年四月五日。二重の意味でこの日は忘れられない日だ。加川良さんが死んだ日。そして、長女のきぬが天使に出会った日だ。まさか良さんが天使になったわけではあるまいが、良さんを迎えに来た天使が、たまたまきぬと出会ったのかもしれない。

2017年4月5日

「おかあさんは信じてくれないかもしれないけど」
 きぬが夜になって切り出した。昼間公園で、男か女かわからない人に会ったという。公園の生垣がふと途切れる場所があり、そこにその人は現れた。その日は曇り日だったがその人のまわりにはまぶしいくらいの光があふれていた。白い袖なしのワンピースのようなものを着たその人は裸足に金のサンダルをはいていたという。髪は白く、肩に触れるくらい。肩から金のたすきみたいなものをかけている。足はふと見ると、なくなって宙に浮いている。「それって天使じゃないの?」
 私は聞いた。曇りの日にそれほどまぶしい光に包まれた人物とは、ただ者ではない。どうやら、誰にでも見えるものではないものをきぬが見たのだ。そして、そこまで聞いて連想されるのは天使だった。

はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
神は「光あれ」と言われた。すると光があった。
神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。        

(『創世記』1章1-4節)

 アウグスティヌスはこの「光」を天使の創造であるとし、「彼らは、神の不変の叡知である永遠の光の一端として創造されたのである」と語っている(『アウグスティヌス著作集 神の国 上』)。

 きぬは私の質問には答えずに続けた。
「頭には白いゆりの花を飾っていた。背は私と同じくらい。どこから来たのと聞いたら、空を指差した。声が小さいのにすごく響くの。お父さんとお母さんは、と聞くと〝わからないけど、神様の声を聞いた気がする〟と言ってた」

燭台の中央には、人の子のような方がおり、足まで届く衣を着て、胸には金の帯を締めておられた。その頭、その髪の毛は、白い羊毛に似て、雪のように白く、目はまるで燃え盛る炎、足は炉で精錬されたしんちゅうのように輝き、声は大水のとどろきのようであった。

(『ヨハネの黙示録』)

 アダムよ、唯一人の全能なる神がこの世に在し給い、すべてはその神から生じ、また善より逸脱しない限り再び神へともどってゆく、──すべては、もともと完全に善きものとして創造られたものであるからだ。すべては、一つの原質量から出来ており、様々な形相、様々な段階をもつ内質、そして生けるものの場合には様々な段階の生命、をそれぞれ与えられている。しかし、各おのおのはその独自の活動の領域を定められているが、神の近くに位置を占めれば占めるほど、或は神の近くへと志向すればするほど、いっそう浄化され霊化され純化されてゆき、さては、それぞれ定められた限界内においても、肉は霊へと上昇しようと力めるのだ。

(ミルトン『失楽園』)

 アダムとイブが蛇に化けたサタンにそそのかされて禁断の実を食べる前、天使ラファエルは、二人のもとに舞い降りてこのように語っている。きぬの出会ったその子が天使だとするならば、その天使はどうやって生まれたのだろう。その子の記憶は失われているようだが、「神様の声を聞いた気がする」という言葉からは、人間の命、それも若くして失われた命が、神様の近くに救い上げられたイメージが描けるように思った。
 正直なところ、きぬがこういう不思議なことを言い出すのは意外ではなかった。四、五歳の頃、空想上の友達がいたからだ。海外ではイマジナリーフレンドという。日本では珍しいが、ヨーロッパなどでは割と多くの子が持っている「友達」で、成長とともに数年で見えなくなったりするらしい。私は月に二回、大学院時代の友人で現在は研究者になっているナオコさんと江戸以前の文献の図像から当時の生活を読み解く読書会をやっているのだが、ナオコさんも小さな頃イマジナリーフレンドがいて、一緒におままごとなどをしていたという。きぬも三歳くらいから三年ほど「ことはちゃん」という友達がおり、ベランダから木を指差して、あそこにいるよ、とか、自転車のうしろの席に乗ってるよとか、エレベーターに乗るといつもいるよ、などと言っていたが、気づくとまったく言わなくなっていた。だから、最初、またその手の想像の産物が見え始めたのだろうか、と思った。あるいは突然霊感が開花し、これを境に霊的な世界を認知する人になるのだろうか、とも思った。どちらにしろ、不思議な話の好きな私にはわくわくする話だった。そして話を聞く限り、その光に満ちた天使のような存在は、悪いものには思えなかった。きぬもまったく恐怖を感じていないようだった。
 母にメールで伝えると、「天使に会えるなんて、私も会ってみたい」と返事が来たが、すぐにそのあと、統合失調症の症状かもしれないし、友達に変な子と思われるかもしれないから、学校では見えることを言わないように言いなさい、という現実的なメールが来た。いささか心配しすぎのようにも思えたので、少し様子を見てみようと思っていた。
 私はきぬと天使のことを、音楽家の高野寛さんにメールで送ってみた。高野さんとは一度大阪梅田のキャンドルナイトでお会いしたきりだったが、初対面のそのときからそんな感じがせず、リハが終わると喫茶店で長いこと、いわゆるスピリチュアルな分野にまたがることから修験道の話まで、話し込んだ記憶がある。その後、高野さんが教えてくれたフランス映画『美しき緑の星』もとても面白かった。地球よりずっと進んだ星から、どうしようもない地球を救うために、人間を装った異星人が送り込まれるという話で、過去にはキリストやバッハも送り込まれたが大きな変革は起こせなかったという、コメディタッチながら、刺激的な設定だった。高野さんからのメールの返信には、「知人の音楽家の娘さんも天使に会っているという話です。そういう時期にさしかかっているということなんでしょうね」というのんびりしたことが書いてあって、百年先の未来から返信が来たような気持ちになった。

寺尾紗穂『天使日記』(スタンド・ブックス)収録、「天使日記」の冒頭より転載(p63~p68)。

寺尾紗穂『天使日記』より② につづく

寺尾紗穂『天使日記』
発行:スタンド・ブックス
2021年12月23日発売 
ISBN:978-4-909048-13-4 C0095
本体2,200円(税込2,420円)
四六判上製 320ページ


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