寺尾紗穂「天使日記」より⑤
寺尾紗穂『天使日記』収録「天使日記」より一部転載
4 月23日
しばらく会わない日が続いたので、「どうしてるかね」と子供たちと出かける。近所のテニスコート付設の小さな公園に行ってみるがここでは会えない。やはり桐の木の公園でないと会えないのかもしれず、向かう。しばらく現れない。今日はもう会えないかな、ときぬに言うと、きぬが少し動いた。現れたようだ。
「初級の合格おめでとう、と伝えて」
きぬが見えない相手に向かって言うと、
「ありがとうって」
「そういう修行があるみたいだけど、どれくらいで本当の天使になれるの?」
天使に質問したきぬが「えっ」と驚いている。聞くと、中級、上級もあり、それも細かく分かれているのでだいぶ先らしい。
「桐の木があるけど、この木に精霊はいるか聞いてみて」
きぬがしばらくしてまたも驚いて「え、まじ?」と笑っている。
「だんごむしの精霊に会ったって」
家から桐の公園にいく途中に坂道がある。その左手には竹林の中に廃屋が何軒か並んでいる。蛇も狸もいる林だ。そこで天使がだんごむしの精霊に会ったという。
「足がいっぱいあるの?」
「白い服で触覚が生えていたって」
服を着ているのか。それなりに大きいんだろうか。足がいっぱいあるのでないなら、会ってみたいものだ。それにしても、だんごむしのようなものにもそんな立派な精霊がいるのだなあと感じ入ってしまう。うちは古い平屋なので風呂場になめくじが出るが、あのなめくじたちにも一人ひとり精霊がついているのだろうか。あるいは、だいぶ長生きした個体が精霊としての姿を持つのだろうか。
公園で天使と別れ、歩いていると、また前回のようについてきたようだ。一緒に坂をのぼる。きぬが「何色がすき?」と聞くと「ぺス色」と答えたという。こちらの世界にはない色だそうだ。花だと「エリモア」がいいという。坂をのぼりきると人見街道だ。ここで別れる。きぬの視線が上に向かっていく。
「スローモーション!」
きぬが笑って叫ぶ。いつもよりゆっくりのぼっているらしい。目の前にあるケヤキのてっぺんあたりまでいって消えたという。人見街道の手前で消えるというのは、やはり車が多いところはいやなのかもしれない。
午後、娘たちは前夫と映画を観に行く日だったので、夕方駅まで迎えに行った。
駅への階段をのぼっていると、「お母さん、いた!!」ときぬが笑って改札のほうから走ってくる。改札を出たら天使が待っていたらしい。人の多いところでも環八が近くても関係ないらしい。
「あの子が会いたいと思うと来てくれるのかな。驚かそうと思ったのかもね」
「うん、今日はすずらんの髪飾りだった」
シュタイナーに精通した訳者として著名な高橋巌は、シュタイナーは天使論というものを天上界の存在の位階制の問題として捉えた、と解説する。キリスト教の用語では天使だけれども、他の宗教においても、同じような考え方、共通性を見出したのがシュタイナーだった。地上界と天上界、そして人間の関係をどう捉えるか。
きぬがしてくれているのは、確かに橋渡しのようだった。でもまだ十二分に無邪気な様子の天使ときぬが邂逅したことには、どんな意味があるのだろう。「見つけてくれるの待ってた、って言われた。自分のことを信じてくれる人に会いたかったって」ときぬは天使の言葉を伝えた。天上界の闇の側面とは何だろう。それは人間世界の思考の投影ではないのだろうか。きぬが見ている天使も、きぬ自身の投影である可能性もあるのだろうか。それを、妹たちも同時に見ることは、単なる暗示による幻覚なのだろうか。