編集後記(森山裕之) 前野健太『百年後』
前野健太のファーストアルバム『ロマンスカー』は、2007年9月に発売された。
2007年夏、私は、編集者生活のスタートであり長く在籍した雑誌『クイック・ジャパン』を辞め、最新のカルチャー界隈から少し距離ができた頃だった。
『ロマンスカー』はライターの九龍ジョーと吉祥寺で飲んだ時に薦められ、その足で<バサラブックス>に寄って買った。
夜帰宅し、1曲目の「100年後」から、クレジットされていない最後の曲「東京の空」までを聴いた。その後も、家族が寝静まってから、リビングのCDプレイヤーにのせ、ひとり本を読みながら聴いた。
それから私は芸能プロダクションの出版部門に入り、カルチャー誌を編集していた頃とはまた違った種類の忙しさと気遣いが頭の中の大半を占めることになった。今の音楽やカルチャーから、気持ちが遠く離れてしまった。
2007年に前野健太の音楽には出会ってはいたが、何かすれ違ってしまった気持ちだった。ゼロ年代後半に出てきた音楽すべてに、いつもそんな後ろめたさのようなものを感じていた。
前野健太のライブを初めて観たのは2010年8月6日、下北沢〈ラカーニャ〉。ワンマンではなく、寺尾紗穂とのツーマン「ソングドキュメント2010~消えない歌~」だった。ライターの北沢夏音さんが企画し、誘っていただき、観ることができた。
ライブは素晴らしかった。すぐにセカンドアルバム『さみしいだけ』を買って聴いた。「鴨川」や「豆腐」や「sad song」という曲を知った。
それからまた時は過ぎる。
2014年6月4日、ライター磯部涼、九龍ジョーの共著『遊びつかれた朝に──10年代インディ・ミュージックをめぐる対話』(ele-king books)の刊行を記念したイベントが紀伊國屋書店新宿本店で行われた。ゲストとしてライターの北沢夏音、そして前野健太が出演した。そこで彼は、「最近作った曲」だと前置きをして、「今の時代がいちばんいいよ」を歌った。私はその曲を聴き、勝手に何かを受け取った気がした。
イベントの後、打ち上げに参加させてもらえることになって、新宿の街を歩きながら初めて前野健太と話した。「今の時代がいちばんいいよ」という曲が素晴らしかったと伝えた。歌舞伎町への道を歩きながら、この人の本を出したいと思っていた。
2016年3月、スタンド・ブックスを設立した。
前野健太の最初の本を、スタンド・ブックスの最初の本にしたいと前野に話した。
『本の雑誌』2016年4月号・特集「出版社を作ろう!」の中の「出版社最初の一冊」で、岩波書店の最初の一冊が夏目漱石の『こころ』だったことを知った。当時、『百年後』というタイトルは決まっていなかったが、『百年後』をスタンド・ブックスの『こころ』にしようとひそかに思った。そういう気持ちで、前野健太の文章に向き合い、編集した。
『百年後』には、前野健太が2006年から2016年の間に書かれた文章が、書き下ろし含め収録されている。10年間、ひとりの男が目の前にある「今の時代」と懸命に格闘し、その時にしかなかった言葉が拾われている。
『百年後』は、ゼロ年代後半から2010年代の、今の時代の「東京の空」の下の記録である。今を生きるために切実な言葉が詰まっている。そして同時にそれは100年後、誰かのとなりにある言葉だと信じている。
2017年3月 森山裕之