清田隆之『さよなら、俺たち』 編集後記(森山裕之)
『さよなら、俺たち』編集後記 (スタンド・ブックス代表/編集 森山裕之)
『さよなら、俺たち』の著者、清田隆之とは十年来のつき合いになる。
彼とは、私がTBSラジオの「文化系トークラジオLife」という番組によく出ていた頃、知り合った。初めて会った時のことはよく憶えている。十数年前、その番組で、上智大学での公開収録があった。「知の遺産」というようなテーマだったと思う。今、ネットで調べたけれど、いつの収録だったか、正確なテーマがすぐに出てこない。
私はその放送で、「家に一冊も本がなかった」という趣旨の話をした。
両親ともに高卒で、そのまま生まれ育った長野で働き、上京はしていない。父は高校時代までかなり本格的に野球に取り組み、その後も社会人野球を続けた。母は洋裁の学校を卒業し、自宅で毎日ミシンに向かっていた。家に本が一冊もなかった。『金太郎』以外、読み聞かせをしてもらった記憶もない。小学生になり図書館で本に出会うようになってからは、時間が出来ると本屋さんに連れて行ってもらった。未知の本が並ぶ、紙とインクの匂いで包まれるその空間が他のどんな場所よりも好きになった。
上智大学での収録を終え、外に向かうため何人かでエレベーターに乗った。背後から20代後半くらいの男性から声をかけられた。
「僕も、家に一冊も本がなかったんです」
突然の言葉に驚いたが、その場は苦笑を返しただけで、ひと言、ふた言会話した程度だったと思う。
それから数年後、写真集の仕事で沖縄へ行くことになった。初めて仕事をする編集プロダクションにも制作に加わってもらい、数名で向かった。羽田空港で待ち合わせた時、あの日のエレベーターで声をかけられた男性がいた。それが清田隆之だった。
私たちは最初からウマが合った。年は6歳違うが、会ってすぐにコミュニケーションの初期設定を飛び越して、あらゆる話をした。沖縄の暗い夜道を私が運転するクルマで走りながら、「死とは何か」という話までしたことを憶えている。沖縄の最終日、何人かでひめゆり記念館を見学してから、東京に戻った。
沖縄で急速に距離を縮めた我々は、東京でも頻繁に会うようになった。『さよなら、俺たち』を一緒に作るまで、ほとんど仕事らしい仕事はしていない。一度、あるベストセラーになった本のリライトを頼んだことがあった。当時の清田の仕事ぶりもあまり知らなかったが、あるインタビュー取材の仕事を彼に紹介した。上がってきた文章を読んで、その絶妙な構成に驚いた。その構成を見ていたから、その本のリライトも彼に頼んだ。本当に仕事はそれぐらいしか一緒にしていない。
酒もふたりで飲んだことはない。酒の席を共にすることはあったが、その時は常に他の人たちも一緒だった。
清田と会うのはいつも朝か昼間だ。ただ、お茶するだけの時もあったし、洋服を一緒に見て、そのあとにお茶をすることもあった。何か話の準備をするわけではなかったが、話始めるといつも最初からフルスロットルだった。限られた時間で、最近あったこと、読んだ本のこと、恋愛のこと、考えたことを全開で語り合った。いつからかこのふたりでお茶をしながらただしゃべるだけの会を、「ゼロ冊会議」「魂会」と呼び、定期的に行うようになった。
私も当時は30代半ばだったが、その年になって、このようになんでも話すことができる友達ができるとは思わなかった。同じ業界にいるのに仕事をするわけでもないし、年齢は違うが上下をそれほど意識するわけでもない。いい年をして気恥ずかしいが、それは友達と呼ぶ以外他に思いつかない関係性だった。
やはり、年下の畏友であるライターの磯部涼が最初の単行本のあとがきの中で書いている。
「かっこいいと思うバンドは、仲のいいバンド。それは友達だから贔屓してるってわけじゃなくて、お互い影響し合ってるから、自分とは切り離して考えられない、ということ」。ブレックファストのモリモトくんが言っていた。友達のノブくんのDJを、友達しかいないフロアで聴きながら、ようやくその意味がわかったような気がした。ここが、僕にとっての、シーンだ。
磯部涼『ヒーローはいつだって君をがっかりさせる』(2004年、太田出版)
清田は私にとって、そういう意味での友達だ。お互い影響し合い、自分とは切り離してその文章、思考、仕事を考えることはできない。だからこそ、厳しい視線でいつも相手を見ている。とは言え、性格的にお互い厳しすぎるということもない。
知り合ってから何年経った頃だっただろうか、清田は大学時代の友人たちと始めた出版の制作会社を自ら辞めた。その制作会社とはよく仕事をしていたが、いきさつや想いも聞いていたから、止めることはなかった。その前後も、「魂会」はずっと続いていた。本にも書かれているように、彼が大きな失恋した日、うちに来て延々と話した夜もあった。
この十年間、ふたりの間で起こったこと、考えていることの多くはふたりで共有している。清田が考えていることが私の考えていることになり、私が考えていることが清田の考えていることに混ざっていくこともあったと思う。
私は4年前、長く務めていた会社を辞めて独立した。独立したと言っても、出版社を始めることは決めていたものの、前職から引き続く仕事もあったし、最初に刊行する本も決まっていなかった。社会人になって最初に勤めた印刷所を辞めた時のように、何も決まっていない、どうとでもなる日々だった。あの頃と違うのは、自分には育てていかなければならない3人の子供がいたことだ。
自分で出版社を作りたい。40歳を迎え、現役であとどれくらい本を作れるのか。自分の責任で、判断で、本を作りたい。現役で考え、作れるまで、全体重をかけて本を作りたい。そう思い立ち、清田に話し始めてからも、会社を辞めるのにはずいぶん長い時間がかかった。
果たしてこの想いも、自分から出たものなのか、清田から出たものなのか、判然としないくらい一緒に話し続けていた。
会社を辞めたその週から、「スタンド・ブックス」という社名も決まる前から、当時ふたりの住居の間に位置する阿佐ヶ谷で、毎週1回午前中2~3時間、ふたりで定期的に会って話すことを始めた。
清田もその間、恋バナ収集ユニット「桃山商事」の活動を続け、執筆の仕事を着実に増やしていた。桃山の活動からも見えてきた「ジェンダー」についての考えをどんどん更新していた。桃山商事名義の共著もこれまで3冊出版し、単著『よかれと思ってやったのに 男たちの「失敗学」入門』(晶文社)も2019年に出版した。
今年2020年の3月、文芸誌『すばる』4月号(集英社)に掲載された清田の文章「生まれたからにはまだ死ねない」を読んだ。一読し、すぐにLINEを送った。
「この文章を最後に置く本を作ろう」
それからは早かった。
今年の1月にローンチされ、私が編集長を務めることになったウェブメディア『QJWeb クイック・ジャパン ウェブ』でも、彼にとって初めての時評連載もスタートしていた。それらの文章や、新聞、雑誌、ウェブメディア、これまで様々な媒体で書いてきた文章をまとめ、必要な書き下ろしを加えて一冊にしようと話した。
これまで自分が作ってきた本は、基本、おおまかな構成を編集として私が最初に方針を出し、著者と話し合いながら作ってきた。
しかし、この本に収められる文章を前にし、これは清田本人がそれぞれの文章を並べたほうがいいのではないかと直感的に思った。
これは男性の、男性による自虐の書ではなく、ひとりの男が「俺たち」にさよならするまでを描いた教養小説(ビルドゥングスロマン)になると思った。そして、恋人と、妻と、夫と、パートナーと、友達と、人間同士と、ちゃんと向き合い、共に楽しく生きるための思想の書であり、「実用」の書になると思った。
だから、ここにある文章、意識の流れを彼自身に作って欲しいと思った。
上がってきた構成案に沿って文章を編み、通して読んで驚いた。私なら、こうは並べなかったし、ひとつも変えようと思うところがなかった。
ジャナーナリストで友人の津田大介くんの『ポリタスTV』に清田が出演した時(2020年8月7日)、津田くんが「これまで書いてきた文章をまとめた本とは思えない。すべて書き下ろした本のようだ」という意味のことを言ってくれたのは嬉しかった。
「さよなら、俺たち」というタイトルも、清田が出したものだ。タイトルもいつもは著者と出し合い、最後まで迷うことが多いのだが(その結果、これしかないと決まるタイトルもある)、LINEのビデオ通話で彼からそのタイトル案を聞いた時、「それだ!」とその場ですぐに決まった。
清田が『現代思想』の「フェミニズム」特集のデザインなどで気になっていた面識のなかったデザイナーの六月さんに私から連絡し、装幀を快諾頂いた。六月さんと清田と3人で、何度もオンラインの打合せを重ねた。美しい本に仕上げて頂いた。帯コメントは清田と話し、愛読しているふたりの書き手、植本一子さん(『かなわない』他)、花田菜々子さん(『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった一年間のこと』他)にお願いした。
『さよなら、俺たち』の初校ゲラを戻す時だったか、何度も繰り返し通して読んで思ったことを今伝えなければと思い、クルマで移動しながら、スピーカーで清田に電話をした。
素晴らしい本になったと思う。これは清田による教養小説だ。俺自身の言動に向き合う本になったし、この本を読んで何かを感じて変わるきっかけをつかむ人もいるだろう。それでも、男性性の優位さ、その気持ちのよさにあぐらをかいたまま、それに気づかず、見て見ぬ振りをして生き、死んでいく男たちが圧倒的多数だろう。これからは、その「俺たち」にも届く言葉を書いていこう。
そんな意味のことをまくし立てた気がする。
『さよなら、俺たち』は、清田隆之初の本格的ジェンダー・エッセイ集だ。これまでのひとつの到達点であり、通過点だ。
この本の重要なキーワードとしてdoingとbeingという言葉が出てくる。私はdoing=社会学と読み、being=文学と読んだ。間違っていたら、ごめん。社会学で世界を、俺たちを整理することを、清田はこの本でひとつの答えを出すまで考え抜き、自らに問い、書き切ったと思う。これからも彼は、時代に合わせ、シーンと人に合わせ、いろいろな答えを出し続けていくだろう。
本の最後に置かれた「生まれたからにはまだ死ねない」は、being=文学に清田自身が触れた文章だ。そして、それでも気持ちいいまま生き、死んでいく男たちに届けられる言葉は文学しかないのではないか。
誰かの苦しみや我慢を犠牲にして生きていくのは楽かもしれないが、楽しくはない。人はひとりでは、決して本当の楽しさを感じることはできない。そこに届ける言葉を、人の何かを変える言葉を、これからも清田に書いて欲しい。
先は長い。私たちにできることはまだある。
2020年8月26日水曜日 森山裕之 (スタンド・ブックス代表/編集者)