姫路の古書店「おひさまゆうびん舎」に行ってきた
姫路の古本屋さん「おひさまゆうびん舎」に行ってきました。
念願だったんですよね。
大阪市在住の当ブログ主には姫路はちょっと遠い。
仕事でもない限り、行くことはあまりないだろう、
という感じのところです。
お店は姫路城に近いところにあります。
木で見えにくいが、先に姫路城が見えます。
ひとつ目の角を曲がると
入り口から少々急な階段を上がっていくと、
このような店内が現れます。
部屋の左側はこんな飾りつけ
伊佐久美さんの『おおきくなったリス』(講談社)と
どいかや さんの「チリとチリリ」(アリス館)20周年フェア開催中でございました。
並んでいるのは絵本や児童書の古書が中心ですが、こうやって絵本作家さんのサイン入り新刊フェアもやっているんです。
どいかや さんは当ブログ主の一学年下の人で同世代だけど、この年代の児童文学者ってあんまり知らないのですよね。
こんなかわいい飾りもあります
当ブログ主はこんな本を発見。
中国から強制連行で北海道の炭鉱に連れていかれ、13年間の逃亡生活を送った劉連仁さんについての本。
2015年初版の森越智子著『生きる 劉連仁の物語』(童心社)
ここに置いてあったのは2016年発行の第二刷版。2016年の読書感想文課題図書の帯がついていた。
あんまり手アカがついていなくて読み込んだ形跡があまりない。
読書感想文だけのために買った本なんだろうということは店主の窪田さんにお伝えしたけど。
古本屋にある本というのは少々線が引かれたものがあってもいいのだ。
いろんな思い入れがつまった本と出会いたいものです。
○○オフじゃあ、100円コーナーに追いやられていそうだ。
おひさまゆうびん舎さんに来てよかったのかもしれない。
あまりにもひどい労務管理に耐えかねて、働かされていた炭鉱から仲間たちとともに脱走した劉連仁さん。
仲間たちが次々と見つかって炭鉱に連れ戻されるなかで、ただ一人北海道の山中での逃亡生活で13年間も生き延びた劉連仁さん。
劉連仁さんの話は、2014年8月に姫路で行なわれた山本宗補さんの写真展「戦後はまだ…」のトークイベントで、山本さん自身が熱く語っていたのを思い出す。そのときに、沢知恵さんのCD『りゅうりぇんれんの物語』を教えていただいた。茨木のり子の同名の長編叙事詩を沢さんがピアノ弾き語りでライブ録音したアルバムです。
更新・写真展巡回途中経過報告 「戦後はまだ・・・刻まれた加害と被害の記憶」 開催希望者募集中 - 山本宗補の雑記帳(写真はクリックすると拡大します) 9月23日 最新情報を更新しました。 写...
森越智子さんの著書『生きる:劉連仁の物語』の読書感想文については、次の丁寧なガイドの記事もあって、
そのなかで、茨木のり子さんの詩も紹介されています。
岩波文庫から出ている『茨木のり子詩集』もおすすめです。谷川俊太郎さんが選んでいます。
茨木のり子詩集 - 岩波書店素直な表現で,人を励まし奮い立たせてくれる,「現代詩の長女」茨木のり子のエッセンス.(対談=大岡信,解説=小池昌代)
おひさまゆうびん舎は、絵本、児童書中心の古書店ですが、
このような本もあります。
結城昌治の『軍旗はためく下に』のハードカバー版も。深作欣二監督で映画化されたことで有名な小説。
世田谷ピンポンズのCDコーナーも。
先日お邪魔した奈良の本屋さん「ほんの入り口」でも世田谷ピンポンズのCDをあつかっていますね。
ここで買った本は
石亀泰郎さんの写真集は、これは古本ではなくて新品。
石亀さんは『イエペはぼうしが大好き』が代表作だけど、
デビュー作『ふたりっ子バンザイ』を夏葉社が復刊していて
おひさまゆうびん舎でも取り扱っている。
夏葉社の本のコーナーがあります。
最後は尾崎秀樹の『大衆文学論』(勁草書房)
尾崎の本は1966年初版で1967年第二刷というたいへん古い本だった。1967年に京都の書店で購入したとの書き込みがされていた。図書館の書庫にどのくらい所蔵が残っているんだろう。貴重な本なのは間違いない。
ちょっと中身を見ると、講談社の創業者・野間清治は、子ども向けに書かれた読み物の挿絵を絵本として独立させ、絵本出版を確立した功労者だというようなことが書かれていた。尾崎秀樹のような人が児童書についても確固たる視点を持つ人だったということを知ったのは収穫。こういうのも古本屋の醍醐味ですねえ。
講談社は、前身の大日本雄弁会時代の1914年に『少年俱楽部』を創刊していて、それは鈴木三重吉の『赤い鳥』創刊の1918年より4年も前。童謡・唱歌は赤い鳥創刊の1918年から始まるとする言説が幅をきかせているけど、児童書の歴史はだいたいそのころから始まっているようです。
童謡・唱歌や児童文学の歴史についてはもっと総合的な視点に立った研究が望まれると思うのですが、まだまだそういう本格的研究はまだなされていないような気もします。