エンタメ知的生産
エンタメ知的生産について
知的生産はエンタメ、つまりは娯楽として楽しむこともできると思っています。
まず前提として知的生産という言葉の定義
を決めておきましょう。
ここでは「仕事の役に立つ、何らかの概念をつくること」とします。
これは私が「メタワーク」と呼んでいる営為のことです。頭を働かせて何かを生産するのではなく、「頭を働かせて何かを生産する」ための何かを生産する、ということです。
知的生産は楽しい
例を出した方が早いと思うので、一つ出します。
先日、知的好奇心向上委員会コミュニティにて、Tak.さんと倉下さんが「アウトライナーは文脈エディタ」「コンテキストエディタ?」のようなやり取りをされていました。
私はこの「コンテキストをエディットする」という概念に一目惚れしてしまい、自分なりにコンテキストをエディットするとはどういうことかを考えてみることにしました。
その結果、生まれたものの一つが「コンテキストのABCDEF」です。
これは私の知的生産物です。コンテキストという言葉を、かなりのところまで捕捉できたと自負しています。それもABCDEFという形でまとめることができました(これがめっちゃ気持ちいいんですよね。こういう当て方を私はACBingと呼んでますw)。
どうです?楽しさが伝わったのではないでしょうか?
普遍的な楽しさであるということ
知的生産は楽しい、と書くとオタクが何か言ってるとしか見えないかもしれませんが、そうではありません。
これはより一般化して言えば、自分達が普段使っている道具を自分達の手でつくりだすは楽しい、ということです。DIYもそうですし、キッチンで日々メシをつくっている人達も色々生み出しているはずです(ただ明示的に名前をつけていないだけで)。
で、私達はたぶん普段から「頭を働かせて何かを生産する」をしていますよね。日用大工や料理ではなく、「頭を働かせて何かを生産すること」であるというだけです(主に書き物・情報整理・タスク管理あたりでしょうか?)。
改めて、エンタメ知的生産とは
知的生産とは
「仕事の役に立つ、何らかの概念をつくること」
❌頭を働かせて何かを生産する
🔴「頭を働かせて何かを生産する」ための何かを生産する
知的生産物とは
知的生産によってつくったもののこと
エンタメ知的生産とは
大して役に立たない(立たなくてもいい)知的生産物をつくること
知的生産は娯楽としても楽しいので、(役に立たなくても)純粋に楽しめるはず
それこそたとえばお金さえ払ってもらえる
という仮説です🐰
エンタメ知的生産を試す
早速試してみようと思って、こんなものをつくってみました。noteのマガジンです。
https://note.com/stakiran/m/ma27a17a263ad
「楽しい娯楽には金を払うもの」、なら「知的生産物を有料記事で販売しても払うのでは?」という仮説を抱いています。
たとえば上記の「コンテキストのABCDEF」、仮に100円の記事だったとして、買います?買いたくなります?私は「yes」だと見ているのです。ちなみに私の脳内では既に「色んな人が色んなエンタメ知的生産物を安い値で販売していて、「どれにしようかなー……」と迷いながら物色している私」という光景が繰り広げられています。
肝心のマガジンや記事ですが、まだちょっと腰が上がらなくてまだ何も書けていません(誰からも何からも反応がないという失敗が怖いのかもしれません)。
おわりに
特にオチはないですが、とりあえず今週の研究内容としてエンタメ知的生産なるものの現状を紹介してみました。
近況と日常
散歩ばかりしているおかげで、普段見なかったものに目が入っているなぁと感じます。
道路で干からびているミミズを見ると、なんとも言えない気持ちになります。このミミズの人生(虫生?)は何だったのだろうかとか。もちろんミミズに意思などありませんが、それでもそういうことを重ねて考えてしまう。
カラスにも目が行きますね。音声でコミュニケーションしてるのかなとか。あのくちばしや爪で攻撃されたら痛いだろうなぁとか。くちばしずっと開けてるのなんでだろとか(パンティング。換気で体温調整しているためだそう。汗かけないので)。人間から逃げるときのよちよち歩きがおしりふりふりって感じでチャーミングとか。
何も生産していなくて焦る気持ちもありますが、時にはゆとりも必要でしょう。現代はストレス社会ですし、知的生産を始め、知的な営為は焦ってどうにかなるものでもありませんしね。